小人の神様からの恩返し転生には、危険と恋がある
「恩返しがしたいんだ」
そう言われたら、きっと良いことを返してくれるって思うよね?
だけどこれはない。
恩返し要素が全くない。
恩返しとしてリオナ・バーリスとなった莉央は、今まさに命尽きようとしていた。
そもそもの始まりは学校の帰り道、道路の真ん中で怯えて動けない様子の子猫を見つけた事から始まった。
「このままでは車に轢かれちゃう!」と、思わず莉央が駆け寄ると、そこにトラックが迫って来た。
思わずぎゅっと目を瞑り、身体に大きな衝撃を受けて――「終わったな」と覚悟した莉央だったが、気がつくと子猫を抱えたまま見知らぬ場所に立っていた。
何もない世界だ。
建物も風景もない、不思議な世界。
訳が分からず不安になって、莉央は思わず子猫に話しかけた。
「ニャンちゃん、大丈夫?……ここどこだろう?」
そう言って手元に視線を落とすと、手の中にいる子は子猫ではなかった。
ふわふわの生地のフード付きのマントを被った、小人だったのだ。
「あれ……?小人……?」
マジマジと手元の小人を見ていると、小人が顔を上げて口を開いた。
「助けてくれてありがとう。実は僕は、莉央にとっての異世界の神の子なんだ。ちょっと他の世界を見てみようと思っただけだけど、繋げた場所が悪かったようだね。あのまま僕がいなくなったら、僕担当の世界が終わってしまうところだったよ。
命をかけてまで助けてくれたお礼に、僕担当の世界――『星降る夜にあなたと永遠の愛を』の世界に生まれ変わらせてあげるよ」
「え!ホシアイ?あれってネット小説でしょう?
……あ。夢かコレ」
非現実的な申し出に、莉央は夢かと納得する。
「夢じゃないよ。『ホシアイ』の世界を、物語として莉央の世界に流してみたんだ。神界の若い世代の新しい試みってやつだよ。
『ホシアイ』はすごくヒットしてるでしょう?僕の世界が全世界に通じる日も近いよね」
『星降る夜にあなたと永遠の愛を』
――通称『ホシアイ』
『星祭りの夜、手を取り合った男女が流れ星を一緒に見ると、それは運命の恋になる』
星祭りの伝説を持った世界を舞台に、ヒーローとヒロインが結ばれる、今爆発的人気を誇っているネット小説だ。
胸がキュンキュンくるストーリーに、莉央も心ときめかせていた。
「え……あ、そう、なんだ?よく分からないけど、『ホシアイ』の世界は素敵だよね!私が生まれ変わりたいのは―」
「分かってる。僕に任せて」
興奮して話す莉央の口を、小さな手がそっと抑えて、小人の神様が微笑んだ。
「莉央には恩返しがしたいんだ。目を瞑ってよ。次に目を開けたら、莉央はもう僕の世界の子に生まれ変わっているから」
「!……はい」
莉央は小人の神様の言う通り、ドキドキと期待をしながら目をつむった。
目を閉じていると、周りの空気が変わるのを感じた。
少し騒々しい気配がする。
「今夜が峠でしょう」
遠くで誰かが静かに告げる言葉と、すすり泣く声が聞こえる。
『今夜が峠って。どんな状況なのよ』
なんだか身体が重くて動けないけど、聞こえた言葉が気になって、莉央がうっすらと目を開けると、泣き腫らした女の人が自分の顔を覗き込んでいた。
隣には同じく涙を流す男性もいる。
「リオナ……!戻ってきてくれたのね……!」
リオナ。
そう呼ばれて気づく。
『そうだ。私はリオナ・バーリスだ。目の前の人は、私のお父様とお母様だ』
――何故か分かった。
目を開けた瞬間は戸惑ったが、すぐにリオナとしての、これまでの人生が記憶として蘇ってきた。
「今夜が峠」と告げられていたのは、自分だったのだ。
リオナは、あらゆる事業に成功を収めるバーリス侯爵家の一人娘だ。そして『ホシアイ』のヒーロー、ハインツの婚約者でもある。
――いや違う。『元』婚約者だ。
ハインツは17歳の時、幼馴染の婚約者を亡くしている。
それが私である事に間違いはないだろう。
ハインツは今年17歳だし、今まさに私は尋常じゃないくらいに身体がつらい。
『なんかもうダメかも』と気弱になりかけて、自分の置かれた立場に気づく。
莉央でもあるリオナは、
『ハインツは元婚約者を思い出し、夜空を見上げた』
と小説の中でサラリと書き流される、名前も出ないほどのモブ以下の存在だったのだ。
小人の神様の仕打ちが酷すぎる
だけどそもそもリオナは病気などではない。
身体がこんなに極限状態なのは、ずっとまともに食事を摂らずにいたためだ。
愛するハインツの好みのタイプが、「折れそうなくらい華奢な女の子」という話を聞いて、ハインツのために食事制限をし続け、食べる事自体が怖くなってしまっていた。
そんな極限までの食事制限の末、身体は飢餓状態に陥って儚く散ろうとしているところだったのだ。
同じ歳のハインツは今、遠く離れた王都の貴族学園に通っている。
『都会の洗練された女性達に負けないように、次に会った時はびっくりさせるくらいに綺麗になろう』と決意して、今まさに命を落とすところだった。
『ハインツが婚約者でなければ、自分がどんな立ち位置にいる者かさえも知る事ができなかったわ……』
動かない身体で、ガックリと内心肩を落とす。
あやうく星祭りの夜にハインツが夜空を見上げて、
「昔、星祭りに一緒に行こうと約束した子がいた。……約束は守れなかったけど」と、
感傷に浸ってヒロインに語られるだけの存在になるところだった。
『冗談じゃない!』
動かない身体で、莉央は怒りに燃え上がる。
生まれ変わったと思ったら、もう生涯が閉じようとしている。しかもそれは、「婚約者の好みのタイプに合わせるためのダイエット」という、あまりに馬鹿馬鹿しすぎる事が原因だ。
リオナは裕福な侯爵家の一人娘だ。
なんの贅沢もしないままにこの生涯を終えたくはない。
「お父様……お母様……お肉が食べたい……」
「リオナ!食欲が出たんだね!」
「美味しいものを……じゃんじゃん持ってきて……」
出来る限りの贅沢をしたいという一心で、消えかけた命の炎を再び燃え上がらせた。
弱りきった身体で、いきなりのお肉を食べる事は叶わなかったが、口に運ばれる物は極上の美味しさだった。
『貴族は最高だ……!!』
幸せを噛み締めながらまた眠りにつく。
眠る前にはしっかりと、「明日も美味しいものを」とお願いをしておいた。
これで明日の幸せも確定された事だろう。
目を瞑ってまどろみながら、小人の神様に呼びかける。
もう敬語だって使う気にもなれなかった。
「神様、聞いてる?何してくれちゃってんのよ。転生したと思ったら、もう話が終わっちゃうところだったじゃない。私は絶対にシナリオ通りに消えたりしないからね!」
「いいよ」
「え?」
軽く答える声に、莉央のリオナが目を開ける。
そこは、莉央がリオナになる前の、何もない世界だった。
目の前にふわふわのフード付きマントを被った小人の神様が浮かんでいた。
「ちょっと神様、ひどくない?なんでリオナにしちゃったわけ?」
「だって莉央だし……」
「名前がちょっと被ってるだけじゃん!」
むうっと莉央のリオナは頬を膨らます。
「私、絶対ハインツなんかのために生涯を終えたりしないから。とりあえず貴族生活を楽しみたいし、ヒロインのニディアと結ばれるハインツなんて選ばないからね」
「別にいいよ」
「え、……いいの?あなた神様でしょう?」
「神だけど」
あっさり許可をもらった事に莉央のリオナが驚くと、小人の神様が説明してくれた。
「莉央の世界に流した物語は、僕の世界の一部を紹介しただけだし。
だって考えてもみてよ。僕の世界の人口だって、80億人だよ?物語だって星の数ほどあるんだよ。
数人の物語が少し変わったくらいで、この世界に影響が出る事もないし、莉央はリオナの人生を好きに生きればいいよ。
莉央だって物語読みながら、『私も貴族になって、贅沢三昧、オシャレ三昧してみたいな〜』とか思ってたじゃん」
――ギクリとする。
そうやって冷静に言われると、欲望が剥き出しの人みたいに聞こえてしまうではないか。
確かに間違ってはいないけど、なんか嫌だ。
莉央のリオナはコホンと小さく咳払いして、小人の神様に確認をした。
「じゃあ、私は『このまま生涯を終えないリオナ』として生きるわね。ヒーローのハインツとも、ヒロインのニディアとも関わらないから」
「いいよ。彼等は彼等で生きていくだろうし、莉央は恩人だからね。幸せになりなよ」
どうやら悪意あってのリオナへの転身では無かったようだ。
「ありがとう。そうするわ」
莉央のリオナはお礼を言って、また眠りに落ちていった。
それからは『病気療養』という名の、ご馳走三昧の食っちゃ寝生活を続け、リオナは健康な身体になった。
リオナとして目覚めてから、もう半年以上が過ぎていた。
この世界に転生したばかりの頃のリオナは、痩せ細り過ぎて鏡を見る度にホラーを感じるほどだったが、健康な身体を手に入れた今、リオナは控え目に言ってもめちゃくちゃ可愛いしかない。
パサパサだった髪は艶っ艶の絹のような手触りのシルクのように、カサカサだったお肌は潤って透明感があるものに、落ち窪んでギラついていた目は輝きを持った瞳になった。
骨が浮き出ていた身体も、付くべきところにお肉を付けて、今では抜群のスタイルとなっている。
更に、今までハインツのために必死に頑張ってきた勉強やマナーの知識はバッチリ身に付いているし、刺繍の腕もプロ級だ。
リオナはただ美味しいご馳走を食べているだけで、「完璧な淑女である深窓令嬢」となれた。
イージーモードな人生に、小人の神様には感謝しかない。
「うちの主治医は天才ね。食事の栄養バランスを管理してくれているお陰で、お肉三昧の生活でも吹き出物ひとつ出来ていないわ。今日の私も最高に可愛いわね」
鏡を見ながらリオナが呟くと、側に控えていた侍女のメアリーが大きく頷いた。
「リオナお嬢様は以前からとてもお美しいですよ。ハインツ様の見る目が無さすぎるのです。
本当に信じられないくらい酷い男ですよね。リオナ様が危篤状態の時だって連絡ひとつせず、やっと手紙を寄越したと思ったら「好きな人が出来たから別れてほしい」だなんて。非常識過ぎます!」
ハインツの話題が出て、メアリーが怒りでワナワナと手を震わせる。
長年リオナに仕えるメアリーが怒るのも無理はない。
リオナがリハビリ生活を送る中、ハインツから届いた手紙は一通で、『運命の女性と出会ってしまった。婚約を解消してほしい』というものだった。
おそらくハインツの言う『運命の女性』とは、ヒロインのニディアの事だろう。
原作ではリオナが亡くなってから出会う二人だが、リオナが元気でいても、巡り合う運命だったようだ。
『ホシアイ』の中の彼等は、物語のヒーローとヒロインらしく、周りから祝福される素敵な恋人同士だった。
だけどリオナが病気療養中に、浮気や略奪という形で結ばれた今の二人は、周りからの評判を落としまくって、残念なカップルになってしまったようだ。
リオナの病気は、ハインツに執着するあまりの心の病気だったが、そんなことを知らない世間は、「身体が弱い婚約者を捨てた男」とハインツに冷たい目を向けていた。
『追い詰められるほどのリオナの想いは、ハインツにとっては重すぎたんだろうな』と、今のリオナはハインツを理解しているつもりだ。
だけど婚約解消を願うハインツからの手紙を受け取った時、以前のリオナの気持ちが揺さぶられるのか、悲しくて胸が痛んだ。
リオナはハインツと結ばれる運命では無かったが、それでもリオナは確かにハインツを愛していた。
『婚約者を蔑ろにするような男に、同情の余地などあるはずがない』と、ハインツに理解を示しながらも、彼からは莫大な慰謝料を搾り取ってやった。
今日も美味しいお肉を食べて、満たされた気分で庭園を散歩していると、茂みの陰に倒れている男を見つけた。
人はあまりに驚くと、声をあげる事も出来なくなるらしい。
ピシリと固まったまま倒れた男を凝視していると、ふと『ホシアイ』の言葉が頭をよぎった。
『ジェラルド王子は、王都から遠く離れた貴族の屋敷の庭先で力尽きて倒れた。
もしジェラルド王子が暗殺者によって命を絶たれなければ、偉大な王となっていただろう』
ジェラルド王子は、『ホシアイ』で当て馬となるエドワード王子が慕っていた兄だ。
後のエドワード王子に、星空を見上げながら
「僕にも優しい兄はいたよ」
と呟かれちゃうだけの登場人物なのだ。
――いやいやいや。
待て待て。
そんな偶然がある訳がないだろう。
まさかうちがその「王都から遠く離れた貴族の屋敷」なんて事はないだろう。
『落ち着くのよ!』
リオナは自分を叱咤して男をさらに観察すると、血濡れた指に光る指輪が、王家の者だと告げていた。
――『ホシアイ』で王太子となったエドワード王子が付けてた指輪だ。
『ヤバいヤバいヤバい!マジ王子じゃん。必ず彼を助けなくちゃ!』
リオナは側についていたメアリーに、すぐに主治医を呼ぶよう言いつけた。
第一発見者は、第一容疑者ともなり得るのだ。
こんなところで命を落とされては、リオナどころかバーリス家さえ危うくなる。
死人に口無しなのだ。どんな罪をなすりつけられるか、分かったもんじゃない。
『彼に万一の事があれば、全てが終わる』
その一心で、リオナ自身も献身的にジェラルドを看病した。
こんな巻き込まれ事故で、贅沢貴族生活を終わらせるわけにはいかないのだ。
リオナの必死の思いが神に通じたのか、『ホシアイ』で数行で流されるはずのジェラルドの運命は変えられたようだ。
深い傷は負っていたが、一命は取り留めた。
ジェラルドが目覚めた時、彼は自身を「ルド」と名乗った。
「私はさすらいの旅人で、ガラの悪い連中に絡まれて刺された」とジェラルドは怪我の理由を話し、リオナはその言葉をそのまま受け入れた。
それでいい。
リオナは余計な事を知るべきではないのだ。
何故なら、物語の中で消される脇役には、かけられてしまう言葉がある。
「お前は余計な事を知り過ぎたようだな」
――知り過ぎる者には危険しかないのだ。
彼がとぼけるなら、リオナだってとぼけていたい。
ジェラルドの意識が戻った翌日には、グレイと名乗る彼の従者が「ルドの友人だ」と駆けつけてきたが、「お友達ですか」と、グレイにも同じくとぼけて騙されておく事にした。
「ジェラルドの友人」を称する者達が、日々ジェラルドの部屋を頻繁に訪れる。
今、いつの間にかスッと部屋の中に影のように現れた彼もまた、ジェラルドの友人だ。
黒い衣装をまとい、鋭い目をした彼は、どう見てもカタギの者ではない。おそらく彼は闇の中で生きる者だ。
「あ。カシュ様こんにちは。今日もルド様のお見舞いですか?」
「……ああ」
「お茶をご用意しますね。少しお待ちください」
カシュが姿を現すと、今から『聞いてしまったらヤバい話』が始まる事を察して、リオナは自然な形で部屋を出る事にしていた。
『ドアをノックしようとしたその時、リオナは扉越しに不穏な話を聞いてしまった』
そんなありがちな危険な状況にウッカリ陥ることがないように、カシュのために淹れるお茶は、念入りに時間をかけて用意する。
お茶の用意だけでは時間が足りないだろう。
お菓子だ。アレもコレも綺麗にお皿に盛り付けるのだ。
時間をたっぷりかけて用意したティーセットを、ジェラルドの部屋に運ぶ頃には、カシュの姿はいつも消えていた。
それでいい。
リオナはこの世界が気に入っているのだ。
まだまだこの最高しかない貴族生活を手放すつもりはない。
「あら?カシュ様、もうお帰りになられたんですね」
――残念そうな呟きも、賢いリオナは忘れない。
「リオナ嬢は、いつもカシュを気にかけるんだな」
綺麗に盛った大量のスイーツを運ぶカートに目をやりながら、ジェラルドに声をかけられる。
「カシュ様はいつもすぐ帰られてしまいますし、お仕事がお忙しいかと思いまして。ゆっくり甘いものでも食べてもらえたらと思ったのですが、今日も準備が間に合わなかったようですね。
だけどお忙しい中、毎日ルド様のお見舞いに来てくれるなんて、本当に仲が良いですね」
リオナの適当な言い訳に、ジェラルドはフッと小さく笑う。
「仲が良い、か……。私も弟とは、仲が良いと思っていたが………」
そして暗い笑顔でリオナに尋ねた。
「リオナ嬢は裏切られた事があるか?」
――ヤバいヤバいヤバい。
その笑顔は、闇に堕ちようとする者が見せるものだ。
リオナは『ホシアイ』で描かれなかった、隠された真実を察してしまう。
『ホシアイ』の中で星空を見上げながら、「僕にも優しい兄はいたよ」と呟くエドワード王子が、暗殺者をジェラルドに向けた犯人だったのか。
これは決して察してはいけないヤツだ。
王家の秘密を知る者に未来はない。
裏で暗躍してそうなカシュをやり過ごしたと思ったら、ここにも要らない情報を勝手に流してきて、リオナを危機に陥れようとする王子がいた。
ここはもう張り切ってリオナの受けた裏切りエピソードを話すしかない。
『大丈夫よ。私達は裏切られ仲間よ』と仲間感をアピールするしかないだろう。
追い詰められた者は、どこへ走るか分からないものだ。ジェラルドの恩人のはずのリオナに、敵意が向かないという保証はない。
「そうですね。婚約者に裏切られて、死にかけた上に捨てられた事はありますよ。死にかけたのは、私が勝手に彼の理想に近づこうとしただけなんですけどね。
誰でもそんな事はあるのではないでしょうか」
「誰でもはないと思うぞ……」
ジェラルドにとって思いがけない話だったのか、少し彼は引き気味だ。
だけど先ほどの闇の表情は消えている。もう一押しして、彼を正気に戻すのだ。
「今は解消して「元」になった婚約者なんですけどね。彼の理想のタイプが「折れそうに細い」と聞いて、ついダイエットを超えた絶食をしちゃったんですよ。飢餓状態に陥って、一度は息も止まったようですが、ギリギリで引き返せて良かったです。
婚約解消となってご馳走は美味しく食べられるし、莫大な慰謝料もせしめましたし、裏切られた事でむしろ勝ち組になっちゃったくらいですよ」
「原作通りに儚くならなかった者」の先輩として、リオナは自信を持って断言する。
「ルド様。これからはきっと良い事しかない人生ですよ。裏切りで死にかけた先輩として、私が保証します」
これからの彼には、輝かしい未来が待っている。
ジェラルドは暗殺者によって命を絶たれなければ、偉大な王となる者なのだ。
キリリと真面目な顔で未来を告げるリオナに、ジェラルドが笑う。
「そうか。先輩がそう言うなら、私の未来も安泰だな」
「そうですよ。安心してください」
どうやら未来の王の闇堕ちを防げたようだ。
「傷も癒えたし、準備も整った。明日ここを出ようと思う。リオナ嬢には世話になったな」
すっかりジェラルド滞在の日々に慣れてきた頃、出発の時が来たことを告げられる。
――「準備が整った」
ジェラルドの言葉は、深く追求してはいけないやつだ。
何の準備を整えて、これから彼が何を始めるというのか。それはリオナが知るべきではない世界だろう。
そこにスッとカシュが部屋に現れたので、『最終打ち合わせね』と察したリアナは、お茶の準備と称して部屋から避難した。
最終打ち合わせは長引くかもしれない。
最後の最後で、うっかり立ち聞きのミスを犯す訳にはいかないと、いつもよりも丁寧にお茶の準備をして、いつもより時間をかけてお菓子の用意をしてから部屋に戻った。
長い時間をかけたはずではあったが、リオナが部屋に戻るとまだカシュがいた。
『早く戻り過ぎた?私は余計な事を聞いちゃうの?』
と焦ったが、どうやらカシュは最後にリオナのお茶を飲んでくれるらしい。
リオナは粗相のないよう、慎重にお茶とお菓子をカシュの前に置いて「どうぞ」と勧めると、彼のお茶を飲む姿はとてもスマートだった。
『所作が綺麗な暗殺者ね』とカシュをじっと眺めていると、彼は小さな袋をリオナに差し出した。
「いつもお茶とお菓子をたくさん用意してくれていたと聞く。それはこの時期、王都で流行るものだ。つまらぬ物だが、どうぞ」
「ありがとうございます。開けてみますね」
カシュにお礼を伝えて、袋に入った物を取り出すと、それはガラス作りの星の形のブローチだった。
これは。
『星祭りのブローチ』だ!
星の形のブローチは、『ホシアイ』の中で重要アイテムとして描かれていた。
『星祭りの夜。この日は皆が、ガラスで作られた星の形のブローチを付けて、一年の幸せを祈る』
――確かにそう描かれていた。
『ホシアイ』の中で、星祭りの日にヒーローのハインツが、ヒロインのニディアに贈ったブローチなのだ。
星祭りシーズンが近づき、ブローチが街で売り出されるようになると、王都では星祭りムードが盛り上がっていくという。
『ホシアイ』ファンなら、誰でも欲しがる感涙もののアイテムだった。
「これって星祭りのブローチですよね?……え、どうしよう、夢みたい。嬉しすぎて涙出そう。カシュ様ありがとうございます!」
リオナは星祭のブローチを握りしめて震えた。
瞳を潤わせて喜ぶリオナに、カシュが若干引いたように答える。
「いや、それはどこにでも売っている王都土産で、そんなに価値がある物ではないのだが……」
「私にとってはすごく価値がある物なんです。本当に嬉しいです。大事にしますね」
「……そうか」
感動を伝えるリオナに、カシュはほんの少しだけの笑顔を見せて、来るときと同じように彼はスッと姿を消した。
今までカシュの事を、『鋭い目が暗殺者のようだ』と思っていたが、星祭りのブローチをくれた上に笑顔まで見せてくれると、途端に『涼しげな目元のクールなイケメン』に見えてくるのが不思議だ。
カシュの消えた辺りをぼんやり眺めていると、ジェラルドに声をかけられた。
「アイツはやめた方がいい。仕事はできるが周りに女は多いぞ」
「え?そうなんですか?それはいくらイケメンでも駄目男ですよね。大きすぎる欠点ですね……」
残念だ。どうやらクールなイケメンは、女癖が悪いらしい。
「イケメン……?ああいうのがタイプなのか?」
「そういうわけじゃないんですけど。男の人にプレゼントをもらったのは初めてだったから、つい浮かれちゃったみたいです」
ジェラルドに聞かれて、つい本当の事をカミングアウトしまい、リオナは恥ずかしくなって照れ笑いで誤魔化した。
しょうがないだろう。
前世と今世を合わせても、男の人からのプレゼントなんて初めてだったのだ。冷静でいられるわけがない。
「リオナ嬢の元婚約者って、ハインツ侯爵子息でしょう?婚約期間も長かったでしょうに、贈り物ひとつ無かったのですか?」
ジェラルドの従者のグレイが不思議そうに尋ねると、リオナの側に控えていたメアリーが、『黙っていられない』というように口を挟んだ。
「ハインツ様は贈り物はおろか、手紙の返事さえもろくに返さないような不誠実な男でしたから。
お二人は手も繋いだ事がない、清らかすぎる関係だったのですよ!
リオナ様は、ガラスのブローチを贈られたくらいで泣いちゃうくらいピュアなお嬢様なんです……」
メアリーが話しながら、そっと自分の目元をハンカチでおさえた。
「メアリー……」
リオナは羞恥心で言葉が続ける事ができなかった。
『止めて。マジ止めてメアリー。それはもう私に対する悪口だから』
――心の中でメアリーに懇願することしかできなかった。
「……そうなのか?」
「そうなんですね……」
リオナを見る男どもの目が、「そんな婚約者のために死にかけたのか……?」と語ってる。
そんな可哀想な者を見る目で私を見ないでほしい。
リオナはいたたまれない思いで、二人の男の視線など気付かぬフリをして、意味もなくじっと壁を見つめた。
ジェラルドがバーリス家を発つ時がきた。
「ルド様、これは私からの気持ちです」
リオナは、最後のお別れの挨拶としてジェラルドにハンカチを手渡した。
「これは部屋で刺繍をしていたものか?」
「はい。私はわりと刺繍が得意なんですよ。勝ち組先輩としての勝者の証を刺繍しました。良ければ使ってくださいね」
ジェラルドの看病に付き合いながら、時間を持て余す時に刺繍をしていた。
以前のリオナは、刺繍が好きだったのだろう。思い描く物を自然と刺繍に描き出す事が出来た。
「これは……ステーキ肉だな」
「ご馳走を美味しく食べられるという事は、生きているという事ですからね。ちょうど良い具合に焼けたお肉を描きました。美味しそうでしょう?」
リオナが時間を持て余す時に考えるもの。
それは美味しいお肉だ。
ジェラルドのためを思って作ったものではなかったが、彼にとっては縁起が良いもののように思えたのでプレゼントする事にしたのだ。
「ありがとう。確かにこれを見ると元気が出そうだな」
おかしそうに笑って、ジェラルドは自称友人達と静かに去って行った。
ジェラルドが去って1ヶ月も経つと、現王が不治の病にかかった為に退位して、新しい王が立った。
新国王はジェラルドだ。
ついでに言うと、ジェラルドと仲の良かった弟も、流行り病にかかって、一生療養生活を余儀なくされたらしい。
『ホシアイ』の原作では、王様の退位もエドワードの療養生活も、描写されてはいなかった。
ジェラルドが儚くなって、エドワードが王太子となっても、王様は現役で頑張っていたはずだ。
王族事情が変わっている。
――これは絶対裏を読んではダメなやつだ。
『ルド様はさすらいの旅人だったし、グレイ様やカシュ様は、そのご友人だったのよ』
その設定は、リオナの中で生涯通すつもりだ。
近日中に、新国王の戴冠式がある。
貴族全員参加の戴冠式で、うっかり新国王を知人のような目で見る事がないよう気を付けなくてはいけない。
幸いリオナの両親は、ジェラルドの療養生活の間「さすらいの旅人のルド」に関わる事はなかった。……というより、後の危険に繋がらないよう徹底的に関わらせなかった。
両親が新国王を見て、知人のようなリアクションを見せる事はないだろう。
『目立たないよう参列して、目立たないように帰ればいいわ』
リオナはそう考えていた。
そう考えていたのだが。
王都に着いた途端に、リオナは王城に連行された。
もうすでに日は沈みかけていて、夜になろうとする時だ。
新国王から派遣されたという屈強な騎士達に囲まれた馬車に乗り、『このまま闇に紛れて消されてしまうのかも』と一抹の不安がリオナの頭をよぎる。
通された部屋は牢屋ではなく応接室だったが、すっかり罪人気分でソファーに腰をかけていた。
カシュからもらった星祭りのブローチを握りしめながら、リオナは神に全力で呼びかける。
『ねえ神様。私、大丈夫よね?ルド様とは良好な関係でお別れしたはずよね?口封じなんてそんな事は……ないはずよね?
………ないよね?そうよね?ねえ神様、何とか言ってよ!』
「リオナ嬢は本当にそのブローチを大事にしてるのだな」
いつの間にか部屋に入ってきたジェラルドが、俯いて祈るリオナの手元からブローチをヒョイと取り上げ、開け放った窓から力強く投げ捨てた。
「私のお守りが……!!ちょっとルド様、何してくれるんですか!」
うわあああっと窓辺に駆け寄るが、外に見えるのは日が落ちた庭園だけだ。星空しかない。
「真っ暗で何も見えない……」
「今日から星祭り期間だし、流れ星くらいしか見えないな」
リアナの肩越しに、ヒョイと外を覗いたジェラルドがなんて事ないように声をかける。
リオナはガックリと肩を落として、思わずいつもの調子で声をかけてしまった事を思い出し―――自分の運命が終わった事に気づく。
こうなったらもう開き直るしかないだろう。
「ルド様、この度は心からお祝い申し上げます。陛下の治世となる今後は、国民皆の更なる発展と幸せが約束されますね」
『私の今後の幸せも約束してくれるよね?』と祈りを込めて、お祝いの言葉を伝えてみる。
「やっぱりリオナ嬢は、私の正体に気づいていたのだな」
「それは……まあ。だけど誰にも話すつもりはないですよ」
さりげなく――それでいて必死にリオナは無害アピールをする。
「もう全てが片付いたから、話してもらっても何も問題ないがな。
裏切りはあったが、確かに私は勝ち組になれたようだ。リオナ嬢の話していた通り、私のこれからが良い事しかない人生だというならば―――これを受け取ってくれないか?」
ジェラルドはひざまづいて、手に持つ小さな宝石箱を開けて、リオナに差し出した。
それは星祭りのブローチだった。
カシュから受け取った物と輝きが違うのは、きっとその星型に光る石が本物だからだろう。
「全てが片付いた」という言葉は、流すべき言葉としてスルーする。
「すごく綺麗……。このブローチ、一年どころか一生分の幸せを願えちゃいそうですね。これは本当に大事にしますね。ありがとうございます」
リオナにとっては、ガラスのブローチが『ホシアイ』の本物のブローチではあるが、投げ捨てられちゃったなら、しょうがない。それはそういう運命だったのだ。
それに国王から渡される、本物の宝石の星祭りブローチは、激レアものだろう。
ご利益がたっぷり詰まっているに違いない。
「……それは王妃となる者に受け継がれていく物と分かって受け取ってくれているのか?」
「え!」
「……普通はプロポーズだと気づくだろう?」
――気づかなかった。
前世を含めて、男の人に好意を示されたのは初めてなのだ。
ジェラルドがひざまづいたのも、『まさか自分が』とその行為の意味するものをウッカリ流してしまっていた。
「すみません。まさか私がプロポーズされるとは思ってもみなくて。だけど私は美味しいものを食べているだけで、何も出来ませんし……」
「何も出来ないなんて事はないだろう?王妃として相応しい能力は、十分に合わせ持つと思うが。
リオナ嬢は語学も堪能だし、学園に通わないのも飛び級で卒業して、領地経営をご両親から学んでいたからだろう?
淑女としてのマナーも、刺繍の腕もある。ハンカチのステーキ肉の刺繍も、美味しそうに焼けているぞ。見るたびに食べたくなるほどだ」
ジェラルドが話しながら、胸ポケットからステーキ肉の刺繍の入ったハンカチを出して見せた。
「それ……まだ持っていてくれたんですね。お肉の刺繍、誰にも見せてないですよね?お肉の刺繍なんて、淑女は誰もしないでしょう?」
「確かにリオナ嬢くらいだろうな」
お肉の刺繍は淑女としてマズい。
てっきりすぐに捨てているだろうと思っていたが、どうやら大事にしてくれていたようだ。
――ちょっと『嬉しい』と思ってしまう。
そしてジェラルドの言葉を考える。
自分に、王妃として求められるほどの能力があるとは思えないが、確かにリオナは出来る女だ。
以前のリオナは、ハインツに認められたいために、血の滲むような努力を重ねてきた人生を送っていた。
ちょっと猟奇的な愛の深さを見せてしまって、ハインツには徹底的に避けられてきたが、それを除けばリオナは完璧な淑女だ。
自分で言うのもなんだが、美貌だって持っている。
「私は手紙だって返すし、贈り物も送る。手も握ると約束しよう」
ジェラルドの重ねてのアプローチの言葉に、リオナは真っ赤になる。
「ちょっと待って。そんな事言われて「嬉しいです」なんて言えないじゃないですか!」
「嬉しいのか?」
「うっ………」
言葉に詰まって首まで赤くなったリオナの前に立ったジェラルドは、リオナの手を取って囁いた。
「やっと伝える事が出来た。ずっと会いたかったんだ。
私はリオナ嬢とならば、さらに良い人生を送れそうだと思うのだが。……リオナ嬢はどうだろう」
ジェラルドは『もう会えないだろう』と思っていた人だ。会えなくなる事が分かっていたから、彼に踏込むことはしなかった。
それでもジェラルドがいなくなってから、彼の不在をとても寂しく感じている事は自分でも自覚していた。
それに――ジェラルドの肩越しに見える星空には、流れ星が降っている。
この状況はズル過ぎる。
素直に自分の気持ちを認めるしかないだろう。
「……私もずっとルド様の側にいたいです。……うぅ」
涙が止まらなくて締まりのない返事になってしまった。
贅沢三昧、自堕落三昧の貴族生活は確かに最高だけど、それより上回るのは愛する人と過ごせる人生だ。
以前のリオナが愛を強く求めた事に引っ張られるのか、心が震えていつまでも涙が止まらなかった。
『ホシアイ』の神様は、ふわふわの生地のフード付きのマントを被っていて、一見子猫に見えてしまうが、偉大なこの世界の神様だ。
『星祭りの夜、手を取り合った男女が流れ星を一緒に見ると、それは運命の恋になる』
流れ星の降る夜に、ジェラルドと手を取り合うリオナは、確かに運命の恋が始まっている事を感じていた。