3−16 好奇心をくすぐられる存在
「へぇ……旅行? いいんじゃない? 折角だし、行ってきなさいよ」
ディアメロを無事に滞在先へ送り届け、ようやく孤児院へと帰還せしめたミアレット。そうして、代理院長のティデルに旅行に誘われたと言ってみれば。あっけらかんと、了承してくれる。
「いいんですか?」
「別にいいわサ。とは言え……行き先がグランティアズなのが、ちょっと心配だけど」
「そうなんです?」
「まぁね。……と言っても、王都自体が問題なワケじゃないのよ? どっちかっつーと、アーチェッタに近いのが不安なのよねー」
「アーチェッタ……?」
「王都・グランティアズのお隣にある、宗教地区だぁね。でも、奴らが信仰している宗教がちょっと訳ありで……」
ティデルによると、グランティアズが王都として認知されたのは、かつてゴラニア大陸を席巻していたリンドヘイム聖教という宗教団体の威光によるものだったらしい。そしてグランティアズはかつて、宗教国家・カンバラ法国の首都でもあったそうな。
それが「ローヴェルズ」になったのは、圧政を敷いていたカンバラ法国の王族が革命により処刑され、リンドヘイム聖教の教皇筋から王族を据えてからなのだが……その「ローヴェルズ」という国名自体も、リンドヘイム聖教が勇者として認定していた異端審問官・ハール・ローヴェンに因んだものだったと言うのだから、いかに彼らの影響力が大きかったかは、想像に余りある。
故に、カンバラ法国の時代からグランティアズは王都であると同時に、宗教都市としての側面も持ち、リンドヘイム聖教の本拠地・アーチェッタとは切っても切れない土地柄でもあるのだ。
「だけど、いつの世もかつての栄光に縋る奴ってのは、絶えないもんでねー。……アーチェッタはリンドヘイムの総本山でもある偽聖地なもんだから。……未だに、残党が燻っているのよ」
もちろん相手が普通の宗教団体であれば、警戒する必要もないし、彼らの信仰を否定する必要もない。だが問題なのは、かつてのリンドヘイム聖教は過激な思想を振りかざし、異教徒を武力で弾圧・制圧してきた歴史があるためか、攻撃的な性質も保っているという点だ。
「でも……ま、王都から出なければ、大丈夫だわサ。ミアレットは魔法も使えるし、賢いし。旅行くらい、問題ないっしょ」
「あはは……ここまで不安要素を盛っておいて、何を無責任な……」
結局はいつもの調子で、軽やかに話をまとめるティデル。微妙な心配の種が増えた気がするが……いずれにしても、旅行に行ってもいいと了承をもらえたのだから、一安心だろうか。
(明日、エルシャに伝えなきゃ。ふふ……なんだかんだで、旅行は楽しみだなぁ)
生前の「マイ」はライブや推し活もあり、それなりに旅行慣れしてもいたし、旅行好きでもあった。それに……。
(くぅぅぅ……! 歴史のあるお城とか、レトロな城下町とか、めっちゃ好物なのよね……! グランティアズ、どんな所なのかしら……!)
ミアレットは人でも物でも、「ヴィンテージモノ」が好きである。人であれば歳を重ねたダンディが、物であれば年を経たアンティークが感性にジャストフィットする。コーヒーを飲むなら、巷で話題のカフェじゃなくて、純喫茶が落ち着く。音楽を聴くなら、流行りのポップじゃなくて、しっとりとしたジャズがいい。そして……何よりの大好物はミアレットが崇拝してやまない、「KingMou様」の美声である。
もちろん、生まれ育った「モダン」なカーヴェラも嫌いではないが……ディアメロの反応からしても、どうやら「レトロ」らしいグランティアズは、ミアレットにとって好奇心をくすぐられる存在になりつつあった。
***
「ディア、随分と嬉しそうだな。今日はどこに行っていたんだ?」
豪奢ながらも、どこか寂しい夕食の席。それでも、今夜のディアメロは何だかとってもご機嫌だ。そんな弟の上機嫌を訝しげに見つめながら、ナルシェラはお行儀よく食事を口に運ぶ。
「特に大したことはありませんが……カーヴェラの商業地区を見てきました。いや、グランティアズとの違いに、驚かされっぱなしでしたよ」
一方で、どこぞで新しい食事マナーを覚えたらしいディアメロは、手元の丸パンをサクサクとナイフで真っ二つにした後……メインディッシュの牛フィレのグリルをパンに挟んでいる。そして、そのままガブリと頬張るが……彼の余りの大胆さに、ナルシェラは目を丸くしていた。
「ディア、ところで……」
「どうしました、兄上?」
「その食べ方、どうしたんだ? いくら何でも、手掴みでかぶりつかなくても……」
「この食べ方は、とある料理に感銘を受けた結果ですよ。僕は今まで……あんなにも美味しくて、楽しい食事を経験したことはありませんでしたから。同じようにしてみれば、あの感動を忘れないと思いまして。ただ……うん。やっぱり、あの味には遠いな。これは妙に、気取った味がする」
美食はともかく……楽しい食事を経験したことがないのは、ナルシェラも同じだ。食事は不足のないものを与えられてはきたが、長ったらしい毒見の後でようやくありつけても……常に完璧なテーブルマナーを求められ、監視されていては、息苦しいことこの上ない。彼ら兄弟にとっての食事風景は、お人形としての完成度をお披露目する品評会でしかなかった。
そういう意味では、今回の視察は護衛のラウドの他には数人の使用人がくっついているだけなのだから、相当に気楽ではある。だが……この自由も残すところ、あと2日。それが過ぎれば、王城で飾られるだけの人形へと逆戻りだ。
「それはそうと、兄上」
「うん」
「……ミアレットはどうするんです? 早く囲わないと、遠くに行っちゃいますよ? あいつが本校に行くのは、時間の問題でしょうし……向こうに行かれたら話すことはおろか、会う事さえできなくなるのでは?」
「囲うって……もう少し、言い方があるだろうに。しかし、時間がないのは確かだな。できることなら、グランティアズに帰ってからも、交流は続けたいのだけど……」
文通……はないな。
ナルシェラはいかにもありきたりな方策に、苦笑いをしてしまう。ナルシェラ達の手紙は出す方も、届く方も、全て大臣や彼の息がかかった者にチェックされる。ただのペンフレンドとして文通するくらいなら、咎められないかも知れないが。ミアレットとの交流の先にナルシェラ達の抵抗が見え隠れしたのなら、文通は即刻禁じられてしまうだろうし、場合によってはミアレットにも危ない目に合わせてしまうかも知れない。大臣・ガラファドはこの上なく用心深く、狡猾な男なのだ。相手が年端も行かない少女であろうとも、自身の地位が揺らぐ可能性があるのなら、容赦はしないだろう。
「……そう言えば、ミアレットって……いくつなんだ?」
ガラファドの冷徹さを思い出すついでに、ミアレットの実年齢さえも知らないと……フゥムと顎に手をやり、ナルシェラは首を傾げてしまう。外観はどこをどう見ても、ごく普通の子供でしかないが。話してみると彼女は恐ろしい程に聡明で、賢い。
「えっ?」
「いや、受け答えが妙に大人びているから……忘れかけていたのだけど。ミアレットは考えたら、初等部の生徒なんだよな。だとすれば、12〜3歳位か……?」
「言われてみれば、確かに……。しかし、それがどうしたのです?」
いつの間にか、パンと一緒にフィレを平らげているディアメロが話の続きを促す。一方のナルシェラは、珍しくディアメロがミアレットを否定しないなと思いつつ……負けじと食事を進めながら、言葉を継いだ。
「……実は、ミアレットは孤児らしい」
「は? あいつ……孤児だったんですか? ま、まぁ……平民だっては、聞いていましたけど……」
「ラウドが調べてきてくれてな。ミアレットは生まれた時から、カーヴェラの孤児院で育ったそうだ」
ミアレットの意外な境遇に、ディアメロは驚きを隠せない様子。しかしながら、意味ありげな間を置いた後……ナルシェラが語った計画は、更にディアメロの度肝を抜くものだった。
【登場人物紹介】
・ハール・ローヴェン(水属性)
原初の霊樹・ユグドラシルが燃え尽きた後も魔力を有し、水属性の魔法を使うことができた、リンドヘイム聖教所属の異端審問官。没年24歳。
非常に真面目なリンドヘイム聖教信者であったが、敬虔すぎるが故に教会が掲げていた「異教徒浄化」(要するに大虐殺である)に疑問を抱きながらも、命ぜられるがままに加担してしまっていた。
その上で、アーチェッタ地下で行われていた非人道的な「実験」の中身を知ってしまった事で、信仰を失ったと同時に惨殺される憂き目に遭う。
しかしながら、教会側はハールの死因は悪魔祓いによるものと公表し、ハールそのものを「勇者」と神格化した事で、更に信者を増やしていったが……当人は有り余る苦痛から闇堕ちを果たしており、異端審問官が悪魔になったという、なかなかに皮肉な末路を迎えている。




