3−15 憧れの塊
初夏の日差しを浴びて、カーヴェラの街並みは鮮やかなオレンジ色に染まっている。その眩しさに目を細めながら……ディアメロは束の間の自由を噛み締めていた。
ディアメロがミアレットに連れてこられたのは、時計塔の展望スペース。どっしりとした石造りの手すりに身を預け、街を眺めれば。空の青と屋根のオレンジのコントラストが、視界いっぱいに広がる。
「……本当に、カーヴェラはしっかりと整備されている。グランティアズとは大違いだ」
「まぁ……この街は昔から、大都市だったみたいですし。いろんな人が集まる手前、街を維持するための決まり事を作っているみたいですよ?」
「ふーん……そうなんだ?」
この美しい風景は、決して出鱈目に出来上がったものではない。カーヴェラは都市の景観条例がしっかりと定められており、屋根はシンボルカラーのオレンジで統一しなければならない他、時計台以外の建物はおおよそ15メートル(5階相当)までとされている。そのため、時計台からは非常に均一的で、調和の取れた景観を一望できるのだ。
「それはそうと……なぁ、ミアレット。お前、王宮に来る気はないか?」
「へっ?」
そんな美しいカーヴェラの情景を、時計台の展望スペースから一望し。素直に街の感想が出てくるかと思いきや……ディアメロの口から溢れたのは、意外な提案。突然のお誘いにミアレットはついつい、目をパチパチさせては、首を傾げてしまう。
「えぇと……それ、お城で働けって意味です?」
困惑気味にミアレットが問えば、ディアメロは悲しげにため息をつく。そうして、周囲に人がいない事を繁々と確認すると……意外な提案に至った理由を、話し始めた。
「僕はそのつもりだが……はっ。分かっているさ。そんな誘い、優秀な奴は乗ってこない事くらい」
「いや、誘いに乗る、乗らない以前に……私はそこまで優秀じゃないですって……」
「謙遜はよせよ。魔法学園の奴ら、こぞってお前を褒めてたぞ? ……魔力適性はピカイチだとな」
「は、はぁ……」
「相手にされない僕達とは、大違いだ」
半ば吐き捨てるような自虐に、ミアレットはどう答えてやればいいのか分からない。だが、一方のディアメロは感情の堰が切れてしまったのか……ミアレットの困惑もお構いなしに、話をやめようとしなかった。
「お前も知っての通り、兄上と僕は魔法を一切使えない。それはもう仕方のない事だと、割り切ってもいるのだけど。ただ、何もないままでは……大臣の言いなりになるしかなくてな。だから、僕達は優秀な魔術師を従者として雇いたいと……魔法学園があるカーヴェラにやって来たんだ」
「……」
だが、ヘッドハントの釣果は芳しくない。魔法学園側からは門前払いを食らい、悔し紛れに前庭で勧誘をしてみたところで、有望な生徒は寄ってこない。王子様達の誘いに熱心に耳を傾けたのは、将来性はやや薄い、魔法も中途半端な貴族ばかりだった。
「……それはそうだろう。魔法学園とグランティアズ、どっちかに付けって言われたら……優秀な奴は、学園側に付くよな。……僕だって才能があったら、きっとそうするだろうさ。魔法学園で働いていた方が、やり甲斐も収入も、しっかり保証されるのだから」
投げやりに言い捨てながら、尚も悲しそうにディアメロが肩を落とす。そうして、彼が言わんとしている事を考えながら……ミアレットはやりきれない気分にさせられていた。
特殊祓魔師の任命は名誉であると同時に、聖域へ足を踏み入れる栄誉も手に入れられる、魔術師にとっては憧れの塊みたいな境遇だ。しかも、天使様のお墨付きとあっては……おそらく、人間が手にできる中で最上の栄光であろう。
一方で、ディアメロの話ぶりからしても、王宮暮らしは窮屈な上に、魔法の展望も暗いと見える。彼の言う通り、「将来性のある魔術師」が王宮で働くことを選ぶとは考えにくい。
(でも……なんだか、可哀想になってきちゃった……。王子様って、意外と苦労してるのね……)
なかなかに切ない境遇の王子様を慰めてやれないかと、ミアレットはあれやこれやと考える。王宮に行けないにしても、何か代替案があればいいのだが……。
「キュゥゥゥ……」
しかし、ミアレットから出たのは妙案ではなく、腹の音。あまりに気の抜けた虫の鳴き声に、ミアレットは内心で「あちゃ〜」と額に手を充てていた。
「ミアレット、今の音は……」
「……そう言えば、お昼まだでした……アハハ。お腹、空いちゃった」
「魔術師でも、腹は減るんだな」
「そりゃ、当たり前ですよ。私だって、同じ人間ですよ?」
「同じ人間……か。そうだな。お前も僕も、腹は等しく減るんだな」
腹が減っては、戦はできぬ……ならぬ、妙案は浮かばぬ。それに、ミアレットの腹の虫が鳴いたところで、ディアメロもちょっと緊張の糸が解れた様子。「僕も腹が減ったな」と小さく呟く。
「だったら、ここでお昼にしません?」
「だけど、僕は何も持ってないぞ? それに、お前だって……」
「ふふふ……とにかく、ディアメロ様。そっちのベンチに行きましょ。心配しなくても、お昼はちゃんと出て来ますから」
「えっ?」
半信半疑の王子様を、近くのベンチに座らせて。ミアレットも彼の隣に腰を下ろしつつ、魔術師帳の交換リストを開く。そして、手頃なバゲットサンドとフルーツジュースの交換希望数を「2」と入力すると、すぐさま2人分の食事が手元に現れた。
「まさか……これも、魔法道具の効果なのか⁇」
「そうですよ? この魔術師帳があれば、貯めたチケットに応じて、色んな物と交換できるんです。と言うことで……はい、こちらをどうぞ。王子様のお口に合うかどうかは分からないですけど、魔術師帳で交換できるお料理や菓子は、ハーヴェン先生のレシピを再現しているとかで……絶品だって、評判なんですから」
「ハーヴェン先生? ……誰だ、それ」
「あっ、そっか……ディアメロ様はハーヴェン先生、知らないですよね」
バゲットサンドとジュースを手渡しつつ、ミアレットは「ハーヴェン」が何者なのかを、掻い摘んで説明する。
ハーヴェンは特殊祓魔師の顔を持つと同時に、普段は料理番として、大天使様の胃袋をガッチリ掴んでいるそうで。そんなシェフとしても一流な彼のレシピを元に、【クッキングシステム】で再現されたのが、ミアレット達の手元にあるバゲットサンドなのだが……選りすぐりの食材を使っているとあっては、ちょっとした軽食ですら絶品グルメ。彼の料理は大天使様のみならず、生徒達の胃袋も鷲掴みにしているのだ。
「……! 美味いな、これ……! 肉の辛味も絶妙なら、野菜のソースもまろやかで、コク深い……。まさか、お前……普段から、こんなに美味い物を食べているのか?」
「お口に合ったようで、何よりです。とは言え、私も普段からこんなに贅沢をしているわけじゃないですよ。たまに奮発して、お取り寄せするくらいで。魔術師帳の物品は、お料理も含めて学園内の通貨を使う仕組みになっているので、そんなに沢山は交換はできないんです」
「そ、そうか……それじゃぁ、これは貴重な食事ということか。……無駄な出費をさせて、悪かったな」
「えっ? 無駄な出費だなんて、思っていませんよ? 私もお腹空いていましたし。それに何より……ふふ。その様子だと、ちょっとは元気、出ましたか?」
「なっ……僕は別に、落ち込んでいたわけじゃ……!」
ミアレットの指摘に、図星だと言わんばかりに慌てては……ディアメロは誤魔化すように、ハムハムとバゲットサンドにかぶりつく。きっと、普段はお上品に食事を摂っているに違いない、王子様の意外な勢いに……彼も年頃の男の子なのだと理解しては、ミアレットは微笑ましいと思うと同時に、フッと息を吐く。
(こんな若い子にまで、窮屈な思いをさせるなんて。王子様っていうのは、思っていた程、気楽な存在じゃないのかもね……)
【設備紹介】
・クッキングシステム
暴食の大悪魔・ベルゼブブが自らの食欲を満たすために開発した、自動調理システム。
ベルゼブブ配下のハーヴェンが蓄積・考案していたレシピを元に材料選定と調理までを自動で実行し、待っているだけで至高の一品を提供してくれる、夢の魔法道具である。
なお、食材の供給源は神界のメインシステムであるため、さりげなく天使・悪魔両陣営による共同開発の設備だったりする。
魔法学園の各分校と本校にも設置されており、魔術師帳で交換できる軽食やおやつは、クッキングシステム経由で供給されている。
【登場人物紹介】
・ベルゼブブ(地属性/闇属性)
魔界に君臨する、大悪魔の1人。
6種類の「欲望」と2種類の「感傷」を統括する悪魔のうち、ベルゼブブは「暴食」を司る。
暴食の上級悪魔・ハーヴェンの親玉にあたる存在であり、魔界で最も高い魔力を誇るが……如何せん、いい加減でおちゃらけた性格で、ハーヴェンからは「無責任が服を着て歩いているような奴」と、やや不名誉な評価を下されている。
一応は天使長・ルシフェルの夫でもあるが、半ば強引な結婚でもあったため、未だに奥様との距離が遠いのが悩みらしい。




