3−10 僕も狙ってみようかな
ミアレットが想定外の順番に、困惑している頃。ナルシェラは綺麗な青空を見上げては、ため息をついていた。
テーブルには質素ながらも、王族の朝食に相応しい料理が並んでいる。クロテッドクリームが添えられたスコーンに、香り高い紅茶。ポーチドエッグはしっかりとバターの香りを纏っており、ハーブが揉み込まれたサラダはどこまでも瑞々しい。
(今頃、ミアレットは試験に臨んでいる頃だろうか……)
そんな遅めの朝食を口に運びながら……ナルシェラはぼんやりと、ミアレットの事を思い浮かべる。
聞いた話によれば、カーヴェラ分校の「選抜試験」は今日が本番らしい。先日の視察で、「愛想のいい生徒達」が教えてくれた内容を思い出しながら、ナルシェラはミアレットを振り向かせるにはどうすればいいかを、延々と悩んでいた。
交流会の様子からしても、彼女は権力には無頓着な様子。話しかけても嬉しそうにするどころか、迷惑そうにしていた時点で、ミアレットにとってナルシェラは関わりたい相手ではないのだろう。その事からしても……彼女とお近づきになるには、アプローチの方向性から見定める必要がありそうだ。
「……兄上、元気ないですね。どうしたんです?」
こちらはこちらで、やや寝坊したらしいディアメロが、テーブルの向かい側からナルシェラに訝しげな視線を向けている。
「それでなくとも、僕と違って兄上はいつも早起きでしょうに。夜遅くまで……何をそんなに、悩んでいたのですか?」
「あぁ、いや……別に、大した事はないさ。今日はどうしようかなと、思っていただけで」
「左様で?」
口先ではさして興味もないと、ディアメロがサラリと流してくるが。それでいて、ペリドットにも似た光彩を放つ瞳を眇めながら……口の端をクイと上げて、意地悪く囁く。
「兄上のため息の理由……当ててみましょうか?」
「えっ?」
「……どうせ、ミアレットの事を考えていたのでしょう? 兄上はアレを痛く気に入っていたようですから」
ディアメロは未だに、ミアレットにやり込められたことを根に持っているのだろう。ミアレットを「アレ」と侮蔑まじりで示しつつ、ナルシェラの沈黙を肯定と受け取っては、いかにも気に入らないと鼻を鳴らす。
「そんなに気に入ったのなら、囲えばいいでしょうに。王妃にしないにしても、愛妾にする分には問題ないのでは?」
「……僕はそんな風に接するつもりはない。できれば対等な関係を築き、協力してもらえればいいと思っている。だけど……そう、か。そうだな。……僕が望む関係も所詮、ディアの言う通りのものでしかないのかもな……」
ディアメロの指摘を受け、自身の最終目的を鑑みた時……どう転んでも、ミアレットの魔力適性を「分けてもらう」には子を産んでもらわねばならないのだと、ナルシェラは頭を抱えてしまう。王妃に据えるにせよ、愛妾として囲うにせよ……ミアレットが果たして、伴侶としてナルシェラを受け入れてくれるかどうかは、未知数だ。いや、むしろ……。
「……あの調子だ。きっと、ミアレットは僕の隣に収まるだなんて、イヤだと言いそうだな……」
「でしょうね。それに、アレは王族になるべき人間じゃありませんよ。魔法の素質はあっても、教養やマナーは微妙だろうし。僕だったら、伴侶じゃなくて手駒として加えることを考えますけどね」
そこまで言って、ディアメロはニタァと更に意地悪い笑みを溢す。そうして、わざとナルシェラが焦るようなことを言い出すのだから、性悪だ。
「ふふ……だったら、僕も狙ってみようかな、ミアレットを」
「なっ……!」
「いいじゃないですか。どうせ、兄上には婚約者もいるのだし。この場合、僕の方が圧倒的に有利ですよね」
自分だって、望んで婚約しているわけではない。できる事なら、大臣の娘との婚約なんて、綺麗サッパリ破棄してしまいたい。だが……ナルシェラには彼女との婚約も、彼女の父からの提案も、拒否できる立場も権限も与えられていなかった。
「確かに、そうだろうな。しかし……だとすると、ディアはミアレットを娶るつもりなのか?」
「まさか! あんな娘を娶るだなんて、あり得ませんよ。僕はただ、手駒としてミアレットが欲しいだけです。なんでも、カーヴェラ分校で最高の魔力適性を持っているのでしょ、彼女。伴侶にするには微妙ですけど、従者にするには打って付けです。しかも、平民であれば……万が一があっても、簡単に切り捨てられる」
何もかもが好都合だとでも、言いたげに。ディアメロは優雅に紅茶を啜っていた同じ口を、グニャリと下品に歪める。そうされて、一方のナルシェラは……弟の困った部分が如実に顕れていると、苦々しい気分にさせられていた。
昔から、ディアメロは「王族というブランド」に固執しがちな部分がある。例え、そのブランドが「レッテル」だったとしても……高貴な血筋には変わりないと、ディアメロは自分の価値を信じて疑わない。いや……そうでもしないと、プライドを満たすことができないのだろうと、ナルシェラは兄なりの理解を示す。
ディアメロは少しばかり思い込みが激しく、強引だ。名ばかりの王族の威光を振り回しては、周りを平伏させて愉悦を得る。しかして、ディアメロは無作為に尊大に振る舞っている訳ではない。彼は、狡猾にも……威光が届く範囲をしっかりと見極め、威張っていい相手を見定めてもいる。だからこそ、ディアメロはミアレットを目の敵にするのだろう。ローヴェルズの外であればそれなりに通用するはずの「王族ブランド」が、ミアレットには通じなかったのだから。
「……ディアはそういう所、本当に直した方がいい」
しかし……だからと言って、悔し紛れに周囲を見下していい訳ではない。自己肯定感を得るために、身勝手に誰かを巻き込んだところで、実が伴わない以上、却って虚しいだけである。
「不用意に相手を貶めるものじゃないし、人を道具扱いするものじゃない。平民だから切り捨てていいだなんて、横暴以外のなにものでもないだろう」
「へぇ……そうですか? 僕達はいつも道具扱いされているのに? 大体……兄上は何もかもが、いい子すぎるんですよ。もう少し、欲張ったらどうです?」
「……」
一方、ディアメロも兄・ナルシェラをよく理解している。
生まれた時からお人形として磨き抜かれ、自己主張を許されなかったがために、何事も聞き分けよく引き下がってしまう。誰かに指摘されたことをすんなりと落とし込み、しっかりと納得する秀逸さも持ち合わせるが……それが故に、何かと先回りしては行動する前から諦めてしまうのだ。
「ふふ……でしたら、兄上。僕と勝負しませんか?」
「勝負?」
「えぇ。どちらがミアレットを手に入れられるか……試してみません?」
「だから、僕はそういう扱いをするつもりはないと、言っているだろうに」
「そうですか? いずれにしても、僕はミアレットを手駒に加えるつもりでいますけどね。ほらほら、僕に取られたくないんだったら……せいぜい欲張ってくださいよ、兄上」
皿に残ったクリームを掬いながら、最後のスコーンを口に運ぶディアメロ。そうして、ご馳走様と口元を拭きつつ……何事もなかったかのように、退室していくが。残されたナルシェラは大変なことになってしまったと、またも頭を抱えてしまう。
(ミアレットがもし、本当に女神の愛し子だったとしたら……従えるだなんて、横暴が通用する相手じゃないだろうに……)
最悪の場合、ミアレット経由で女神の逆鱗に触れる可能性もあり得る。ミアレットにどこまでの影響力があるのかは、不明ではあるが。いずれにしても、ディアメロにミアレットを渡すわけにはいかないと……ナルシェラはただただ、焦るばかりだった。
***
「……ディアメロ様」
「ラウドか。そんなに怖い顔、するなよ。……心配しなくても、兄上はいつも通りに悩んでいるだけだから」
軽めの朝食さえ、遅々として進まない兄を置き去りにし。ディアメロが先に部屋を出たところで……しっかりと、扉の外で話を聞いていたらしいラウドに呼び止められる。厳つい顔を険しくしているものだから、それだけで迫力満点ではあるが。……ディアメロは勝手知ったるものと、ラウドを軽くあしらった。
「全く……僕があぁでも言わないと、兄上は決意もできないみたいだから。必要以上に卑屈で繊細だから、参っちゃうよねぇ……」
君もそう思わない?
あからさまに含みのある笑顔を見せながら、ディアメロがラウドに同意を求める。そうされて、ラウドも困った人達なのだからと、安堵したように肩を落とした。
「……そういう事、ですか。ナルシェラ様を焚き付けるために、あのような事を……」
「うん、まぁ……半分はそんな所かな? とは言え……僕も少し、興味はあるんだよね。ミアレットについて。あんな芋臭い娘を、隣に置くつもりはないけど。魔術師として優秀なら、手元に置くのは悪くない」
そんなことを言いつつも、ディアメロはこれから街に繰り出すつもりらしい。ヒラヒラと手を振り、その場を離れていくが……。
「とりあえず、僕は僕で気の向くままに視察に行ってくるよ」
「では、お供しま……」
「別にいい。ラウドは兄上に付いていなよ。……どうせ、僕はお人形のスペアだ。死んだところで、ちょっと騒ぎになるだけさ」
王族の死が「ちょっとした騒ぎ」で済むはずないだろうに。わざと軽薄に言ったところで、落ちるのは重苦しい沈黙だけ。自嘲気味のディアメロが傷ついているのは、目にも明らかだ。しかし、咄嗟に慰めの言葉を見つけられる程、ラウドは器用でもなく。ようようため息混じりで、ディアメロの背中を見送ることしかできない。




