3−6 初夏の恒例行事
「あぁぁ……疲れた〜……」
ドレスを汚さないというミッションを達成し。ようやく、無事に自宅(孤児院)へと帰還したミアレットであったが。そんな彼女を労うように、今夜もアーニャが……ではなく、ティデルがホットミルクを運んできてくれる。
「はい、お疲れ、ミア。これを飲んで、リラックスしたらいいわサ」
「ありがとうございます、ティデル先生……って、あれ? そう言えば……アーニャ先生は、どうしたんです?」
交流会に出かける時は、確かにミアレットを見送ってくれていた気がするが。普段は真っ先に出迎えてくれるはずの、養母の姿はそこにはない。
「あぁ、アーニャは今夜からリルグ分校へ助っ人に行っているわ。今年も、特殊祓魔師の選抜シーズンなもんで」
「そうだったんですね。そうかぁ……もう、そんな時期ですかぁ……」
リルグ分校もカーヴェラ分校と同じ、魔法学園の施設の1つではあるが。他の分校とは異なり、生徒は大人の魔術師達が大半を占める。リルグ分校は教師と認められた魔術師達が集められる施設であり、特殊祓魔師への昇進試験が行われる場所でもあるのだ。
(リルグって……確か、アケーディア先生のご自宅がある場所でしたっけ……)
リルグはナーシャ地方の山岳地帯に位置しており、ロマネラ大山脈に抱かれた高山都市の1つである。中でもリルグは標高が高い山間にあるため、別名・ロマネラの天空都市とも呼ばれる。
そんなリルグではあるが、現在はオフィーリア魔法学園の副学園長を務めるアケーディアの所轄地となっており、敷地内には彼の魔法研究所があるだけではなく、固有の霊樹・ヨフィが鎮座している。霊樹・ヨフィはまだまだ若木とされてはいるものの、リルグに潤沢な魔力をもたらしてくれる、非常に有難い存在だ。そして、そんな彼女が吐き出す魔力を利用して、上級クラスの魔術師向けの強化合宿と特殊祓魔師の試験を行うのが、魔法学園における初夏の恒例行事となっている。
「ま、本格的な開講は生徒側の本校選抜が終わってからだけど。先生の先生になるんだから、それなりの準備期間が必要なのかもねー」
「先生の先生……。アーニャ先生って、本当に凄い先生なんですね……」
「そりゃぁ、ね。アーニャは色欲の悪魔の中でも、第二位の実力者だって言うし。ハーヴェンと同レベルだと思ってくれれば、いいわよ」
ミアレット自身は、ハーヴェンやアーニャが実際に戦っている所を見たことはないが。少なくとも、ハーヴェンが水属性最高峰クラスの魔術師と謳われている事くらいは知っているつもりだ。そのハーヴェンと同格ともなれば……アーニャも最高峰クラスと考えるのが、妥当か。
「そっか、しばらくアーニャ先生はいないんですね……」
「あぁ、心配しなくていいわよ? 今年も代役、ちゃんと来てくれるから」
「代役、ですかぁ……? 今年はどんな天使様が来るんでしょうか? 変な人じゃないと、いいんですけど……」
そんな悪魔の代役で、天使がやってくると言われて……本当は安心すべきなのだろうが、ミアレットはすぐさま不安を募らせる。
理由はよく分からないが、天使様達は何かと人間界に出たがる習性があり、きっかけあらば大挙して押し寄せてくる傾向があるのだ。アーニャ1人の代役だと言うのに4〜5人でやってきて、お仕事ついでに「息抜き」も抜かりなくやってのける。彼女達にとって、人間界で何気ない日常を過ごすことは相当の刺激になるらしい。
「……うん、ま。その辺はミアレットの想像にお任せするわ。ネッドとザフィは手堅いと思うけど……他の奴らは、おまけだし。気にしないでやって」
「アハハ……そうですね。ネッド様とザフィ様がいれば、大丈夫ですよね……」
アーニャが不在ともなれば、常連でやってくるのは、子守もベテランの上級天使コンビ・ネデルとザフィール。全体的に浮つきがちな天使達にあって、落ち着いた淑女然としているのがネデル(愛称:ネッド)とザフィール(愛称:ザフィ)であり、この2人が来てくれれば、基本的には子供達の生活には支障は全く出ない。むしろ、2人だけ来てくれれば大丈夫な気がすると、ミアレットはいつも考えてしまう。
「そう言えば……リルグって、アケーディア先生の研究所があるんですよね?」
不安を抱えるのは、実際に悲劇に直面してから。そうして、ミアレットは話題の切り替えついでに、リルグについてティデルに尋ねるが……。
「そうだわね。それが、どうしたの?」
「いや……どんな研究をしているのかなぁ、って思って……」
「ま、アケーディアも悪魔だからねぇ。平気で残酷なこともできちゃうタイプだったみたいだし、以前はかなーり、マッドな研究もやってたみたいね」
マッドな研究って、何だろう……。ティデルはケロリと大した事もなさげに、おっしゃるが。平気で残酷なことができてしまった時点で、あまりよろしくない向きの研究であった事は間違いなさそうだ。……こちらはこちらで、不安な内容だったと、ミアレットは頭を抱えたくなる。
「ったく、そんなに不安そうな顔をしないの。心配しなくても、大丈夫だわサ。今は平穏な研究をしてるって、聞いてるわよ」
「あっ、そうなんですね」
「当たり前でしょ? 天使様達の目があるのに、人間を実験台を使うなんて、できないわよ」
自分はそんなに不安そうな顔をしていたのだろうか。何かと鋭いティデルに指摘され、ミアレットは苦笑いしてしまうが……彼女の言葉からするに、以前は人間を実験台にしていた事もあった模様。
今は平穏だと言うことだが……やはり、悪魔は悪魔だった。昔の悪魔の方が、一般的なイメージに合致すると思われる。
「んで……確か、後付けで魔力適性をくっつける研究をしてたわね」
「後付けで、魔力適性をくっつける……ですか?」
「えぇ。ホルダーキャリアの出現は、血統に左右される……ってのは、ミアも知っての通りだけど。だけど、それじゃ不公平な上に、新しい魔術師出現の可能性も潰すことになるでしょ? だから、誰でも魔力適性をゲットできるように、魔力適性を培養する魔法道具の研究をしてるんだって」
「魔力適性って、培養なんてできるんです?」
「悪魔の手にかかれば、できるみたいね。とは言え……そう単純でも、簡単でもないみたいだけど」
この世界の不公平は「魔力適性があるか・ないか」が要因であることも、少なくない。そして、その不公平は負の感情を育て上げ、平和を乱す一因にもなる。だからこそ、魔法学園では魔術師を育てると同時に、魔法格差を埋める努力もしているのだと、ティデルは結ぶ。
「……魔力適性がない奴は、どんなに頑張っても魔法を使えないからね。魔力適性がない奴にしてみれば、魔法を使えることは羨ましいだけじゃなくて、妬ましいことでもあるのよ」
「そうですよね。そっか……魔法は使えるのが、当たり前じゃないんですね」
「そうよ〜? だから、ミアは相当にラッキーだと思わないと、ダメだわよ。この孤児院で魔法学園に通ってるの、ミアだけなんだから。まぁ、魔法が使えなくても人並みには暮らしていけるから、普通に生きていくだけなら問題ないけどねー」
しかし、人並み以上の生活を望んだり……或いは、最初から人並み以上の環境に生まれた場合は、どうなるのだろう。
(普通に生きていくだけなら、か。それが許されない人達は……魔法が使えないだけでも、苦しいのかも知れないわね……)
【登場人物紹介】
・ネデル(炎属性/光属性)
救済部門に所属する、上級天使。愛称・ネッド。
救済の大天使最有力候補と目される実力派の天使であり、殊に認識阻害やジャミング系統の魔法を得意としている。
見た目年齢が若くなりがちな天使にあって、貴重な「きちんと大人な天使」の1人。
世話好きな一面があり、霊樹戦役以前からルシー・オーファニッジに職員として派遣されていた経緯がある。
アーニャとも非常に仲が良く、彼女が不在の時は真っ先に応援要請がかかる相手でもある。
・ザフィール(水属性/光属性)
転生部門に所属する、上級天使。愛称・ザフィ。
生前はクージェ帝国の軍医だった経歴の持ち主で、特殊体質でもあったシルヴィアの経過観察もあり、霊樹戦役以前からルシー・オーファニッジに顔を出していた。
内面・外観共に「きちんと大人な天使」であり、子供達からは「ザフィおばちゃん」と呼ばれ、親しまれている。
睡眠魔法を始めとする状態異常魔法のスペシャリストではあるが、気取らない性格もあり、誰に対してもフレンドリー。




