3−1 お兄様が悪い事をする前に
ペアの正式申請さえ出してしまえば、もう彼女達を邪魔する者はない。ミアレットとエルシャは無事に選考試験の申請書を出し、きちんと受理されたことに胸を撫で下ろしていた。
それでなくとも、ここ最近の「お誘い」はエスカレートしてきており、ミアレットだけではなくエルシャにまで、ペアを組んで欲しいと懇願する者が出てきている。と、言うのも……。
「エルシャ、ここ最近でメキメキと魔法の腕が上達したわよね。私なんか、あっという間に追い抜かれちゃうかも」
「えっ、そんな事ないわ。ミアレットの方が絶対に上だって」
「そうかなぁ……」
いつの間にか、エルシャは初級魔法の大半を使いこなすようになっていた。攻撃魔法はあまり得意ではないようだが、弱冠12歳で水属性初級の補助魔法が一通り使えるのであれば、確実に「天才」の域に入るだろう。伊達に天才と称されたセドリックの妹ではない、ということか。
(いや、それだけじゃないわね。DIVE現象の影響もあるだろうけど、エルシャ自身が頑張るようになったからかも……)
かつては両親に甘やかされるがままに、「頑張ること」を放棄していたエルシャだったが。セドリックを探すという目的ができたからか、以前のワガママ娘と同一人物とは思えない程の努力家へと転身している。
「ところで、ミアレット。今日もこの後は美術館に行く、で良いのかしら?」
「えぇ、そうしましょ。……なんだかんだで、学校だと思うように練習できないし」
「そうよね……」
しかしながら、申請が受理されたとて、気が抜けない状況はあまり変わっていない。
お誘いの手は緩みつつあるが、今度はミアレットとエルシャの作戦会議に割って入ってくる者がいたり、魔法の練習に無理やり混ざってくる者がいたりと、2人きりの時間が思うように取れなくなっているのだ。
彼らの意図が邪魔をするためなのか、純粋な向上心によるものなのかは、定かではないが。いずれにしても、ミアレットとエルシャにしてみたら迷惑なこと、この上ない。
「それに、アンジェ達の様子も気になるし。まぁ、あの2人なら大丈夫そうな気がするけど」
「そうよね。アンジェさん、今度こそ試験をパスするんだって、頑張っているみたいだし。ランドルさんとなら、パスできちゃいそうよね。それにしても……いいなぁ。私もランドルさんみたいな、幼馴染がいれば良かった……」
アンジェとランドルの関係性は、純粋な幼馴染ではない気がするが。それでも、子供の頃から顔を突き合わせてきた間柄でもあるので、気心が知れている仲なのは間違いない。
「それはそうと……エルシャって幼馴染とか、婚約者とか、いないの? 貴族って、子供の頃から決まった相手がいるんだと、思っていたけど……」
「いないわよ、そんなの。……だって、お父様が片っ端から断ってたもん」
「あぁ〜……エルシャのお父さんなら、やりかねないわぁ……。かわいいエルシャを嫁に出すなんて、って言い出しそう……」
「まさに、それ。もぅ、お父様ったら本当に心配性なんだから。素敵な人ができたら、真っ先に報告するって言っているのに」
エルシャがさも不服と、プクッと頬を膨らませて見せる。しかし、すぐさま頬を元に戻しては、悲しげにため息をついた。
「でも、今は恋よりも魔法の方が大切かな。お兄様を早く、探し出さなきゃ。お兄様が……悪い事をする前に」
「そうよね。今はとにかく、セドリックを探すためにも……本校へ行って、魔法の勉強をたくさんしないとね」
「うん」
アンジェの心迷宮でセドリックに出会ったことを、ミアレットはエルシャにも一応は伝えてある。だが、彼が人間を捨ててしまった事は、とうとう話す事ができなかった。
(……お兄様が悪い事をする前に、か……)
ミアレットは確かに、セドリックの現状全てをエルシャに伝えていない。だが……きっと、エルシャもどことなく、勘づいているのだろう。ミアレットが少しだけ隠し事をしていることも、セドリックが今もどこかで無茶をしていることも。
(悪魔になりたかった、ってセドリックは言っていたけど。レベルが高い悪魔になるのって、本当はとっても大変なことなんだって、アーニャ先生も言っていた気がする……)
この世界の悪魔は、驚く程に繊細で複雑な成り立ちをしている。
死に際に残した禍根、どうしても捨て切れなかった欲望。それらの無念を抱いた魂が魔界の霊樹・ヨルムツリーに呼ばれることによって、ゴラニアの悪魔は誕生するのだが……悪魔になった者全員が、超常的な力を手にするわけではない。いや、むしろ……天使や精霊と肩を並べて実力を発揮できるのは、「上級悪魔」か「真祖」と称される大物悪魔くらいのものなのだ。
そして、セドリックが思い描いていただろう悪魔……おそらく、ハーヴェンやアーニャのような……に該当する「上級悪魔」は相当の苦痛と絶望とを抱いて死して尚、全てを諦めきれなかった者を指す。
もちろん、アレイルのように生まれた時から上級悪魔として認められる者も、いるにはいるが。彼女の場合は母親が上級悪魔であったと同時に、父親が悪魔と人間のハーフだったがために、悪魔になり得るだけの血の濃度を保持していたに過ぎない。そもそも、出自が人間のそれとは大幅に異なる。
(でも、セドリックは正真正銘の人間……。アレイル先生とは、事情が違うわよね)
タダの人間が「上級悪魔」になるには、それなりの苦痛と覚悟が伴うのだと……アーニャが悲しそうに説明してくれていたのを、ミアレットはぼんやりと思い出す。
果たして、セドリックが「悪魔になる」事をどこまで理解しているのかは、ミアレットには分からないが。今の彼が後悔していなければいいなと、心配してしまう。
「って……あら? あれ、なんの騒ぎかしら? 今日って、何かあったっけ?」
「うーん……特に、特別な事はなかった気がするけど……」
下校ついでに、美術館を目指す2人の前には、黒山の人集りができている。今日は特段、生徒が集まるようなイベントはなかったはずだが……と、ミアレットが首を傾げていると。黒山の中心で、いかにも見目麗しい男子生徒が2人、ニコニコと愛想を振りまいているのが見えた。
(……なーんか、妙にいけすかない感じがするわぁ……)
いずれにしても、自分達には無関係だろうと、ミアレットとエルシャはその場をそっと離れようとするが。ご丁寧にも向こうからお声をかけてくるのだから、嫌になってしまう。
「おや、君達は……もしかして、例の優等生ペアかな?」
「ふふ……なるほど、なるほど。2人とも、とってもキュートじゃないか。僕達の相手に、ピッタリそうだね」
「はい……?」
何がどう、ピッタリなのかミアレットには理解できないし、理解したくもない。興味がないのだから、放っておいてくれればいいものを……どうも、このテの男子は妙に自意識過剰だから、よろしくない。




