2−37 こんなはずじゃなかったのに
(悪魔になって、最高の魔術師になる。僕はそのためなら、全てを棄ててもいいとさえ、思っていた……)
「後片付け」に忙しいグリプトン達よりも先に、グラディウスの膝元にたどり着いたセドリックではあったが。住処に帰還しても、安心することができずに……すぐさま漆黒の根元に駆け寄ると、背中を丸めて涙を溢している。
こんなはずじゃなかったのに。
セドリックの内心を満たすのは、満たされない現実に対する後悔だけ。孤独を望んではみたものの。実際に孤独になってしまえば、疎ましく思っていたはずの繋がりが今更に懐かしい。
(どうして、だろうな。僕はミアレットを見た瞬間……何故か、安心してしまった……)
本人でさえ理解し得ない、不意の郷愁。もちろん、セドリックの中にあるのは恋慕などという、ありふれた錯覚ではない。彼の中に渦巻くのは、羨望と嫉妬。かつてのセドリックが努力しようとも手に入れられなかった厚遇を、彼女は易々と手に入れている。
先生達の関心を集めているのだって、そう。心迷宮の攻略に参加しているのだって、そう。それもこれも……彼女の潜在能力の高さを示す、証明の一端。今まで、周囲を見下すことで平常心を保っていたセドリックにとって、ミアレットの存在感は不可解であると同時に……興味深くもあった。
(そう、か。そうだな。僕も結局は、ミアレットに注目している人間の1人だったってことか……)
それに引き換え、自分はどうだろう。
確かに、幼い頃から自分は優秀だった。母が美人なせいだろう、「美少年」と持て囃される容貌も持ち合わせている。明晰な頭脳に、秀麗な外観。その上、ラゴラス家は古くからカーヴェラの興隆に携わってきた、大貴族。能力・容姿・家柄。全てにおいて、恵まれた存在。それがセドリック・ラゴラスの表向きのディテールだった。
しかしながら、それらの要素はあくまで「人間としてのレアリティ」。魔法学園の判断基準となる「魔術師としてのレアリティ」にはなり得ない。そして、ミアレットと比較したらば、自分の魔術師としての存在感は希薄だったとのだとセドリックは痛感する。魔術師の卵として、セドリックも目立つ存在ではあったが。特殊祓魔師達に注目される存在ではなかったのだ。
(何が足りない……? 僕には、何が足りなかったんだ……?)
血筋? 努力? それとも……。
そこまで考えて、セドリックはようよう涙を拭う。血筋は自分の方が上だし、努力だってしっかりとしたつもりだ。向上心は人一倍強いと、自負してもいる。もし、ミアレットと自分の間に「差」があるとするならば。それは偏に、生まれつきの潜在能力……本人にはどうしても覆せない、先天的な要素でしかない。しかも……。
(くっ……! まだ、僕はなり切れていない……。少しでも、グラディウス様から離れると……正気を保てなくなる……)
この有様になっても尚、彼女を前にしたらば涙は拭えても、劣等感は拭うこともできない。言いようもない程に喉が渇き、無性に暴れたくなる。ドクンドクンと脈打つリズムでやってくる、衝動を抑えるのにさえ喘いでいる。
今のセドリックは人間ではない。しかし……悪魔でもない。今の彼は「デミエレメント」と呼ばれる、精霊になりかけの存在。通常の食事ではなく、暗黒霊樹の魔力を糧に生きる、魔法生命体になりつつあった。
(……慣れれば大丈夫と、言われたけれど。僕はこの先、耐えられるのか……?)
グラディウスから離れれば、魔力が枯渇して自我を保てなくなる。だが、補充しようにも、暗黒霊樹の魔力は全身を蹂躙するような苦痛をもたらす。グラディウスの魔力は悪しき魔力。瘴気をふんだんに含んだ魔力は、人の身にはあまりに過酷だった。
「どうした、セドリック。今日は一段と、調子が悪そうだな?」
「グラディウス様……」
先程までは、気配すら感じさせなかったのに。霊樹の根元で苦しむセドリックの銀髪を、サラリと撫でる者がある。しかし、手付きや声色は優しくとも……かの存在の感触は、セドリックの背筋にゾワリと寒気を走らせた。
「やはり、中途半端に適性を持ち得ていると、瘴気の毒が堪えるようだな。魔力因子を持つこと。それはつまり……瘴気への適合性をも内包することを意味する。しかし、そう悲嘆することでもない。お前の苦しみの深さは、魔力があるが故の苦痛。……まだ、可能性は大いにあろう」
「は、はい……」
それでも、こうして認めてもらえることが心地よくて。セドリックは冷たい慰撫に縋るように、グラディウスの神を見上げる。そんなセドリックの揺らぐ視線を受けて……神も思うところがあるらしい。フゥと憂い気に息を吐くと、側に控えていた白竜に指示を出す。
「……弛まず励む者には、褒美をやらねばな」
「褒美……?」
「セドリックに、良いものをやろう。……バルドル、あれを」
「ハィ〜、承知しましたぁ! ちょっと待っていてくださいね〜」
トストスと軽快な足音を残し、バルドルが暗闇の彼方へ消えていく。
「彼は……どこへ行ったのですか?」
「花畑に、行ったのだよ」
「花畑……?」
暗がりしかない、この閉じられた世界に花畑があるなんて。セドリックはつい、彼の言葉を疑ってしまうが……。
「お待たせしましたぁ〜!」
しかして、グラディウスの神が言うように、本当に花畑が実在するらしい。花畑の証明とばかりに、バルドルがその腕に深い紫の花を抱えて帰ってくる。
「セドリック様、ささ。こちらをどうぞ」
「どうぞ……って。これ……何の花だ?」
「これは、ミルナエトロ・ラベンダーって言いましてぇ! 瘴気を清める効果があるんですよぅ!」
「なん、だって……?」
物は試し……騙されたと思って、食べてみて。
バルドル曰く。この花はかつて、グラディウスがローレライだった頃……暗黒霊樹になりかけたローレライの瘴気を祓うため、神界の尖兵が持ち込んだ魔法植物なのだと言う。
「本当はぁ、根絶やしにしたかったんですけどぉ。……意外と、使い道があるものですから。普段は、バルちゃんが管理しているんですよ〜」
「そうだったのか……」
神界を原産地とするため、強い光属性を帯びるミルナエトロ・ラベンダー。清々しい香りを存分に振りまくそれは、暗黒霊樹の空間にあっても尚、瘴気を喰らい尽くすまでに貪欲でしぶといのだとか。しかも、驚くほどに生長も早く……生意気にも群れを為しては、花畑を形成するまでに至っているそうな。
「一応は黒いリンゴと同じように、とっても貴重な品物ですからね。大事に食べてくださいよ〜」
「あ、あぁ……。ありがとう」
やや憎々し気に、バルドルがフスと鼻息を荒げるが。半信半疑で口に含めば、セドリックの口内にたちまち広がるのは、何とも言えぬ清涼感。一房摘んだだけだと言うのに、セドリックの体からは倦怠感も苦痛も、スッと抜けていく。
「素晴らしい効き目ですね、これ……!」
「ふむ。役に立ったようで、何よりだ。だが……あまり使い過ぎるなよ」
「どうしてですか?」
「……この瘴気を清めるという事は、グラディウスを拒絶することに等しい。今のお前は我が霊樹の魔力を礎に、生きている。原動力への耐性を持たぬまま、清めていたのでは……いずれ、魔力が枯渇して死ぬことになるぞ?」
餓死か、狂死か。暗黒霊樹への耐性を勝ち得なければ、セドリックの未来に待ち受けているのは、苦しみを伴う死のみである。
「分かりました……。これはどうしても辛い時にだけ、使うようにします」
「そうするが良い。……やはり、お前は賢いな。例の先祖返りよりも、遥かに見込みがありそうだ」
セドリックの返事に、満足そうに呟いて。少し休めと、セドリックの頭を手つきだけは優し気に撫ぜるグラディウスの神。そうして、セドリックも恭しく首を垂れるが……自身の頭に注がれている視線が冷たいことを、俯いているセドリックは知ることさえできない。
【補足】
・デミエレメント
霊樹の魔力に呼応し、精霊としての1歩を踏み出したもの。
きちんと対象の霊樹の魔力を蓄え、祝詞を授かることができれば、正式な精霊へと昇華することができる。
デミエレメントの発生には「潤沢な魔力があること」が前提条件とされ、魔力がまだまだ薄い人間界では、デミエレメントの発生自体も珍しい。
・精霊の先祖返り
精霊の血を引くハーフエレメントが、突発的に魔力を隔世遺伝で引き継ぐことで、異常耐性を持つ現象。
ハーフエレメント自体が「血に濁りを宿した穢れた存在」とされてきた歴史があり、余程のことがない限り外界へ出ることもなく、内々的に「処理」されることが殆どだった。故に、先祖返りの発生も相当のレアケースである。
精霊の先祖返りは正式な精霊として扱われないため、霊樹の祝福を受けることができず、祝詞を授かることもできない。
瘴気に対して桁外れの耐性を持ち得るが、存在自体がタブー視される傾向がある。




