2−36 お嬢様は金輪際、禁止
ミアレットが新たな目標を拵えてしまったのを、尻目に。すぐ横でアレイルがもう返事が来たわ、と嬉しそうに微笑む。
彼女によれば……予想通り、彼の答えは「俺は構わないぞ」だったとのことで。「彼側の条件」としては、掃除ができることと、美術品を損なう真似をしなければそれ以上は望まない……というものだった。
(本当にそれでいいの? 普通、面接とかするんじゃ……?)
勝手に紹介してしまった手前、そんなことを心配できる立場ではないが。ミアレットはマモンの即決加減に、不安を拭えない。きっと、彼は「お家がなくなっちゃった」事情込みで大甘の判定を下したのだろうが……それにしたって、決断が早過ぎる。
「でも、マモン様はよくても、館長さんにも会ってみないと分からないわね……。採用するかは、オスカー様の最終判断に任せるって、書いてあるし」
「あっ、そう言うことですかぁ……」
やはりと言うか、何と言うか。彼の大甘な判定には当然の如く、追加条件があったようだ。
「ま、そりゃぁ、そうなるでしょうね。美術館を仕切ってるのは、マモンじゃなくてオスカーだし。それでなくても、オスカーはかなり神経質らしいから。住み込みで働くってなったら、マモンよりもオスカーに気に入られなきゃ、始まらないわ」
ティデルの追加情報に、またも嫌な予感を募らせるミアレット。彼女の話からするに、オスカーとやらは相当に気難しい相手であるらしい。例のアトリエも、そもそもがオスカーの芸術活動のために増築されたものだったと言うことで……。
(……そんなアトリエの掃除、アンジェレットさんにできるのかしら……?)
昨日まで良くも悪くも生粋のお嬢様だったアンジェレットは、家事スキルはほぼゼロだと考えていい。執事のランドルと一緒であれば、ある程度の補正は利くだろうが……それでも、オスカーが彼女が使えるようになるまで、待ってくれるとは限らない。最低条件として、オスカー自身に気に入られなければならないともなれば。……不安要素が多すぎて、まずまず前途多難である。
(アンジェレットさんの反応は……あれぇ?)
だが、当のアンジェレットはティデルの追加情報に不安がるどころか、何故か目をキラキラとさせている。今の話のどこに、彼女が興奮する要素があったというのだろう……?
「あぁぁぁ! なんて、幸運なのかしら! あのオスカー様のアトリエで暮らせるなんて……!」
「えっ? アンジェレットさん……オスカーさんの事、知っているんです?」
「えぇ、もちろんよ! ま、まぁ、直接お話したことはないんだけど。たまに、美術館でお見かけすることがあったのよね。うふふふふ……! よし、こうなったら、何が何でも頑張らないといけませんわね!」
無事にお仕事へのやる気もチャージしたアンジェレットが、鼻息荒く興奮し始める。そんな彼女の様子に、やっぱりますます不安を募らせるミアレット。
(……頑張る方向、間違ってないといいけど……)
いずれにしても、本人も意欲的に取り組むつもりの様子。まずは当たって砕けるつもりで、チャレンジするのもいいのかも知れない。
「とにかく、頑張れ……って言った方がいいのかな?」
「そうね。まずは会ってみない事には、分からないわ。マモン様のお返事では、人手不足なのは間違いないようだし」
「そうですよね……。あっ、そうそう、アンジェレットさん」
「何かしら?」
「万が一、オスカーさんに断られちゃったら、孤児院に来ればいいと思います。少なくとも、住む場所には困らないと思いますから。もちろんランドルさんも一緒に、ね」
ミアレットの提案に、目を丸くするアンジェレットとランドル。
「そうなったら、是非にご厄介になりたいんすけど……えぇと……」
「そんなの、お断りよ……なんて、言ったところで始まらないわよね。えぇ。もし、ダメだった時はお世話になるわ。申し訳ないんだけど、孤児院の先生にもお願いしておいてくれる?」
一方で、予想以上にしおらしいアンジェレットの返事に、目を丸くするミアレットとランドル。特にランドルは驚きのあまり別の心配をしては、気の毒な程に慌てだした。
「おっ、お嬢様……大丈夫ですか? もしかして、頭を打ったりしました? まさか、熱でもあるんです? それとも……やっぱり絶望的過ぎて、記憶喪失になりました⁇」
「……ランドル。どうして、そうなるのよ……。私は至って、普通ですわよ?」
「そっすか。だったら、いいんですけど……」
少しばかり頬を膨らませて、不服とばかりに不機嫌そうな顔を作ったのも、束の間。すぐに「プッ」と吹き出すと、クスクスとアンジェレットが笑い出す。そんな様子に……この2人なら意外と大丈夫なのかも知れないと、ミアレットは胸を撫で下ろす。
(そっか。ランドルさんがいれば……アンジェレットさんは笑うこともできるのね。なんだか、気が抜けちゃったわ)
貴族としての家柄も、屋敷も。そして、両親や兄弟も。みんなみんな、なくなってしまったけれど。それでも……その決別も、今の彼らには寂しさよりも清々しいものがあるのかも知れない。
「あぁ、そうそう。……ランドル、これからはお嬢様だなんて、恭しく呼ばなくていいからね」
「へっ?」
「……だって、ヒューレックはなくなってしまったのですもの。今となっては貴族にこだわるなんて、格好悪いわ」
「そりゃ、そうかも知れませんけど……お嬢様は本当に、あのお嬢様ですよね⁇ まさか、中身が入れ替わっているとかは……」
「ある訳ないでしょ。私は紛れもなく、あのアンジェレットだけど? それはともかく……お嬢様は金輪際、禁止。そうね……気軽にアンジェとでも呼べばいいわ」
「えぇぇぇぇッ⁉︎」
ランドルの絶叫が、ヒューレック家跡地に響く。そんな彼に「失礼しちゃうわ」なんて、小さく言いつつも。どこか満足そうに、アンジェレットが微笑む。そして、彼女の笑顔は尊大な貴族のそれではなく……ごくごく普通な女の子の、自然な明るい笑顔だった。




