2−35 芸術ロマンス
お家がない。純然たる現実として、お家がない。それこそ、物理的にも跡形もなく。
ランドルも働く場所は確保していても、すぐに住める場所までは準備できていない。それでなくとも、ランドルだって弱冠17歳。幼い子供ではないとは言え、未成年が簡単に住処を用意できるほどまで、ゴラニアの世界も甘くはない。
「どうしましょうかねぇ……。俺の働き先、住み込みは無理っぽいし。この際だから、他の貴族に使用人として雇ってもらいましょうか……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私はどうなるのよ⁉︎」
「そうなんすよね。……お嬢様も一緒に働ければいいんでしょうけど。家事もダメ、常識もナシ。その上、基本的に高飛車だから……人に仕えるのも、人に愛想を振り撒くのも、無理そうっすね……」
「って、そこまで言うことないじゃない! ま、まぁ……家事に関しては事実かも知れないけど……」
家事以外の部分も当たっていると思うけど。ミアレットはそう思いながらも、アンジェレットも確実に変わりつつある事にも、しっかりと気づく。……以前のアンジェレットであれば、ランドルの指摘は全否定していただろうに。僅かでも他者の意見を聞き入れられるのだから、この調子であれば上手くやっていけるのかも知れない。
「そう言えば。さっきアンジェレットさんが言っていた美術館って、ルルシアナ・ミュージアムの事です?」
2人の掛け合いを観察しながら、アンジェレットに変身願望を植え付けた、美術館について俄かに思い出すミアレット。カーヴェラには旧・ルルシアナ家という大貴族が残した立派な美術館があり、所在地は貴族街とされるブルーエリアに位置している。アンジェレットが足繁く通うのであれば、間違いなく行き先はルルシアナ・ミュージアムだと思われるが……。
「あら、よく知ってるわね。もしかして、ミアレットも行ったことがあるのかしら?」
「いえ……行ったことはないんですけど。そこのオーナーがマモン先生だったりしたものですから。話くらいは聞いてます」
「えっ? そうだったの……?」
そう、そうなのだ。カーヴェラ随一とまで言われる美術館の所有者は何を隠そう、強欲の大悪魔様その人である。
なんでも、旧友でもあったルルシアナ最後の当主から、経営権を引き継いだとかで……時折、自身も所蔵品を鑑賞するため、経営状況の確認がてら通っているそうだ。
「まぁ、先生本人は忙しいみたいですし……。普段は知り合いの悪魔さんに管理をお願いしている、って言ってましたよ」
「あっ。その話、ボクも知ってる〜! 普段はオスカー君が美術館長をやってるんだよねぇ。で、オフの日はマモンとオスカー君とで絵を描いてるんだって、リッテルも言ってたなぁ。ムフフ。ボクもイケメン達に混ざって、芸術ロマンスを体感したーい」
芸術ロマンスって、なんだろう? 一緒に絵を描くこと……ではなさそうだが。
「ハイハイ、ミシェル、落ち着いて。ルシエルからも天使のイメージ崩さないでって、言われてたでしょ? それ以上ははっちゃけないでちょーだい」
「えぇ〜?」
乗り気で話に混ざってきた大天使様を、ピシャリとティデルが制止する。……良くは分からないが、どうもミシェルは何かにつけ、物事を恋愛話に持って行きがちな様子。芸術ロマンスが何たるかは、分からないままだが。……分からないままでもいい気がすると、ミアレットは話を切り替える。
「えっと……それで、美術館にはアトリエもあるらしいんですけど。先生も館長さんも忙しくて、アトリエとか庭の手入れができていないから……住み込みで働いてくれる人を探してるって言ってましたけど……」
「そ、それ……本当⁉︎」
「うん、本当です。ただ、アンジェレットさん……昨日、やらかしたからなぁ。マモン先生の心証、めっちゃ悪いかもぉ……」
「ゔっ……そ、そうよね……。私、ちょっと生意気だったかも知れないわ……」
ちょっとどころか、かなり生意気だった気がする。しかしながら、今までのアンジェレットの様子からすれば、自覚しているだけでも大きな進歩である。この雰囲気なら……お願いできそうかも知れないと、ミアレットは考える。
(マモン先生、なんだかんだで面倒見いいし……。深魔のせいでお家がなくなっちゃったって言えば、引き受けてくれそう……)
それにマモンに断られたら、いっそのこと孤児院で一緒に暮らすのも一考だ。ミアレットとしては、できればご遠慮願いたいが。切羽も詰まりに詰まっている状況でもあるし、アンジェレットも孤児院は嫌だなんてワガママは言わない気がする。
「それじゃぁ、マモン様には私から連絡を取っておくわね。心配しなくても、大丈夫。きっと、マモン様ならいいよって言ってくれると思うわ」
そんなことを言いながら、アレイルが早速とばかりに魔術師帳にスラスラと何かを書き込み、「送信完了」と小さく呟くが。ミアレットは彼女の様子に、「はて」と首を傾げてしまう。
(……魔術師帳にメッセージ送信の機能なんて、あったかしら?)
そうして、一応は確認しようと自身の魔術師帳も開いてみるものの。メモスペースは表示されるが、メッセージが送れそうなコマンドはなさそうに見える。
「ミア、どうしたの? 怪訝そうな顔をして」
「いや……魔術師帳って、誰かとやりとりできる機能なんてあったかなぁ、と思いまして」
「あぁ、そんな事? 特殊祓魔師の魔術師帳は特別なんだわサ。ミアも特殊祓魔師になって、魔術師帳をアップデートしてもらえれば、コード交換した相手とやり取りできるようになるわよ」
「あっ、そう言う事ですね。そっか。先生達の魔術師帳と、自分の魔術師帳とを比べちゃダメですよね……」
「そーいうコト」
ミアレットの疑問に、ティデルが更に解説を加える。ティデル自身は学園関係者ではないものの。普段から彼らのサポートをしていることもあり、それなりに内部事情にも詳しいようだ。
「特殊祓魔師は、それだけ権限もあるってコトなのよ。特殊祓魔師の魔術師帳は生徒の魔術師帳に一方的に介入もできるし、アプリケーションの解放とか……逆に制限とか。諸々ができるようになるらしいわ。だから、特殊祓魔師のアレイルの魔術師帳は、機能をフルオープンにされている状態、って事ね。因みに、上級魔法の指南書も特殊祓魔師になってから初めて解放されるわよ」
「えっ……?」
世話焼きついでに、詳細を教えてくれるのは結構だが。ここにきて、衝撃の事実発覚である。
(えぇと、つまり……特殊祓魔師にならないと、魔法を全部知ることはできないってこと……?)
ミアレットとアレイルの魔術師帳の機能の違いが、魔術師の格の違いであることは、さておいて。できるだけ穏便に魔法を勉強し尽くそうと思っていたミアレットにとって、勉強するための条件が「特殊祓魔師になること」なのは、ただのバッドニュースでしかない。
(嘘、でしょぉ⁉︎ それ、どう頑張っても戦うハメになるパティーンじゃないですかぁ⁉︎)
元の世界に戻るための魔法を作るには、おそらく上級魔法の概念も必要になる可能性が高い。何せ、風魔法の専売特許とまで言われる「転移魔法」は上級魔法に属しているのだ。それはつまり、特殊祓魔師にならなければ、転移魔法の習得機会を得られないし……元の世界に帰れないかも知れない、という事である。
(いやぁぁぁ⁉︎ これ以上、危ない目に遭いたくないですけどぉ⁉︎ 女神様達のバカッ! いや、その前に……ユウトのクソ野郎がぁぁぁぁッ!)
静かなる怒りで、心の中で絶叫し。ミアレットは人知れず、ガクリと肩を落とした。
【登場人物紹介】
・オスカー(水属性/闇属性)
色欲の上級悪魔・インキュバスを本性に持つ、知的な印象の美丈夫。
元は色欲の中級悪魔・アルプであったが、色欲の真祖・アスモデウスの特殊魔法によって、自由と引き換えに上級悪魔としての能力と美貌を手に入れた。
生前は旧・カンバラ法国の宮廷画家であり、その記憶を一部引き継いでいたことから、現在はルルシアナ・ミュージアムで代理館長を務めている。
・アスモデウス(炎属性/闇属性)
魔界に君臨する、大悪魔の1人。
6種類の「欲望」と2種類の「感傷」を統括する悪魔のうち、アスモデウスは「色欲」を司る。
女帝とも呼ばれ、魔界娼館の女主人であると同時に、色欲の悪魔の頂点でもある大悪魔。
妖艶な美女ではあるが、高慢な性格で非常にワガママ。
何故か天使・リッテルとウマが合うようで、よく一緒に噂話に花を咲かせている。




