2−33 腐るつもり、ないんで
アンジェレットを始末しろ? それはつまり……彼女を殺せと言うことだろうか?
ランドルは父の非情な命令を理解できないと同時に、理解したくもないと……思考を停止させたまま、呆然としていたが。それでも、抵抗せねばとようよう拒絶の言葉を絞り出す。
「……嫌っす」
「嫌、だと? まさか、お前……その出来損ないを、捨てられないと申すのか?」
「その通りっすよ。俺のご主人様はアンジェレット様だけっす。確かに? お嬢様はどうしようもなくワガママで、あり得ないくらいに非常識っすけど。そんなお嬢様の世話を焼いてやるのは、嫌いじゃないんすよ」
歪んでるでしょ? ランドルはようやくいつもの表情を取り戻すと、戯けて肩を竦めて見せる。
「父上みたいに歪んでいるのは、自覚してましたけど。でも……今の父上みたいに腐るつもり、ないんで。それに、いいじゃないっすか。兄上達はちゃんと、父上の息子らしく覚悟とやらを示したんでしょ? だったら……1人だけ臆病者が混ざっていたってことで、俺の存在はなかった事にすれば」
「何を、愚かな事を……! 私はお前にこそ、最も期待しておったのだぞ⁉︎ 第一……」
「……俺に期待するのは、母上に一番似てるから、でしたっけ? ホント、女の子に生まれなくて良かったす。万が一、女の子に生まれてたら……ゔっ。想像しただけで、虫唾が走るっすね」
ランドルの言い分に、とりあえずは静観を決め込んでいたミアレットも釣られて「ゔっ」と呻いてしまった。彼らの家庭事情はよく分からないが……話の筋からするに、ランドル達の母親は既にないのだろう。その上で、改めてグリプトンやランドルの兄達と、ランドルとを比較しては……あぁ、なるほどとミアレットは思ってしまう。
(確かに、この中ではランドルさんが一番中性的かもね……。メイド服を着ていたら、女の子に見えなくないかも……)
グリプトンや兄2人は、体つきががっしりとしており、背も高い。一方で、ランドルは背はそれなりにあるものの、彼らに比べれば軽やかな印象がある。髪色も兄達との深い焦茶色とは異なり、少しばかり明るめな蜂蜜色をしている。
(でも、さっきから……他のお兄さん2人は妙に静かよね。元から無口なタイプなのかしら?)
その割には、表情も硬いままで変化に乏しく、あからさまに不自然だと訝しんでしまう。だが……ミアレットがそんな事を考えているうちに、段々と白んでいたはずの空がピシリと不穏な音を立てた。
「どうやら、時間切れのようだ。……天使共に感づかれたな」
やや不遜な事を言いながら、グリプトンが兄2人に撤退を促し始める。しかし当然ながら、その逃走にもアレイルが待ったをかけるが……。
「待ちなさい! あなたには聞きたい事が、山ほどあるの。易々と逃がしゃしないわ!」
セドリック相手にエンドサークルが効かなかった事も、踏襲し。アレイルがフレアノートに魔法の矢を番える。そうして、間髪入れずに彼女が矢を放てば。軽やかにヒュンと音を立て、グリプトン一直線に閃光が伸びていく。
「申し訳ありませんが、急いでいるものでね。……これ以上の長居をするつもりはないのですよ、レディ」
「……!」
しかし、アレイルの放った「糸付きの矢」を易々と解き。グリプトンは何食わぬ涼しい顔で、ひらりひらりと手を振る。そして……。
「……馬鹿な選択をしたものだ、ランドル。そんな小娘を守ったところで、後悔しかないだろうに」
「そうっすね。お嬢様と関わったら、苦労しか見えないっすね」
「だとしたら、何故……は、聞かぬでおこう。その気まぐれこそが、シェーラらしい」
「……だから。俺は母上じゃないって……」
力なく肩を落とし、呆れた様子で顔を顰めるランドル。だが、そうされて……グリプトンは歪んだ笑顔を見せると、フンと小さく鼻を鳴らし去っていった。
「……あぁ〜あぁ。本当に私、何をやっているのかしら……。セドリックだけじゃなく、お父上まで逃すなんて……」
「いや、すんません……父上がどうしようもなく、歪んでて……」
ひび割れた空が、完全に砕け散った後。アレイルが自身を不甲斐ないと、項垂れている一方で……ようやく、保護対象を捕捉したとばかりに、ティデルが呼んでいたらしい小柄な天使がやってくる。そうして、アンジェレットの容体にも気づいたのだろう。すぐさま、彼女に回復魔法を施し始めたが……。
「って……えっ? えっ⁉︎ どうして、こんな所にミシェル様が⁉︎」
「アレイルちゃん、ひっさしぶり〜! いやー……最近、お仕事が退屈でね〜。んで、丁度よく天使出動の要請があったもんだから。大天使・ミシェル、降臨しちゃいましたッ! イケメンサーチも絶賛稼働中ですッ!」
舌を出しつつ、キラリンとポーズを取る大天使様だったが。当然ながら、周囲は彼女のテンションに付いて行けていない。
「……だからって、大天使様がいらっしゃることはないでしょうに……。それに、イケメンサーチとは……については、聞かないでおきましょうか……」
呆れ顔を隠さないアレイルの一方で、フンフンと鼻歌混じりで回復魔法を展開する大天使様。あの恐怖の大天使様(ルシエルの事である)と同じ階級の天使とは思えない、やや軽薄な雰囲気に……ミアレットは思わず、アハハと乾いた笑いを漏らしてしまった。
「とりあえず、ミア。お疲れ〜。その様子だと……今回も活躍させられた感じみたいね」
「活躍させられた……って。もうちょっと、言い方ないんです? それはそうと……」
あちらの天使様、妙に軽くないです? ミアレットが小声で、ティデルにヒソヒソと聞いてみると……。
「あぁ、ミシェルはいつもあんな調子だから。一応、とっても偉い天使みたいなんだけど……ま、ノリがノリだからね。無駄に有り難がる必要も、敬う必要もないから。気にしなくていいわよ」
「は、はぁ……」
この世界の天使は、揃いも揃って曲者しかいないらしい。その現実が、ますますミアレットを困惑させたのは……言うまでもない。




