2−32 深魔として進んだ存在
「ランドル、どこで油を売っていたのだ。……この大事な時に、いなくなりおってからに」
どうやら、ランドルが「父上」と呼んだ紳士……グリプトンは、今の今まで息子が心迷宮で活躍してきた事を知らない様子。ネグリジェ姿の少女を大切そうに抱えながら、ランドルに「早くこちらに来い」と当然のように急かしてくるが……。
「……ところで、父上。アンジェレット様は、どこっすかね?」
「うむ? なんだ……お前はまだ、あの出来損ないを気にしているのか? あぁ、安心しろ。まだ殺しはしておらんよ。ただ……家は物理的にも潰してやったがな」
平然とヒューレック家を潰したと言い放つ紳士に、ミアレットは遅ればせながらも、違和感と警戒心を抱き始める。彼の腕の中で眠っているのは、シャルレットの方だろう。とろりとした蜂蜜色の髪の毛はそのままに。心迷宮で激しく暴れたせいなのか……彼女は脱力したままで、微動だにしない。
「しかし、本当にアンジェレットは余計なことをしてくれた。シャルレット様が召し上がるはずのリンゴを、一部だけとは言え……食い荒らしおって」
「あぁ、それは俺の不注意です。アンジェレット様はとりあえずは、悪くないっすよ。……秘薬のことが耳に入ったら、横取りしそうなのは分かっていましたし。俺が目を離したのが、いけない。まぁ……食べかけに手を伸ばすまでに意地汚いのは、予想外だったけど」
肩を竦めながら、意地汚いらしいアンジェレットの肩を持つランドル。そんな彼の横で……ミアレットは、俄かになるほどと唸っていた。
(そっか。アンジェレットさんはリンゴを丸ごと食べたわけじゃなかったのね……)
エルシャは黒いリンゴを「夢中で食べた」と言ってはいたが。おそらく、彼女はセドリックから渡されたリンゴを丸ごと完食したのだろう。だが、アンジェレットは彼らのやりとりからするに……シャルレットが食べるはずだったリンゴを「一部だけ」横取りしたのだ。だから、アンジェレットが宿主だったはずの心迷宮の「ボス階層」にはシャルレットが居座っていたのだし、彼女の取り分が多かったから、「深魔として進んだ存在」になっていたのだろう。だが……。
(でも……それならば、シャルレットさんもこっちで深魔になっているはずよね? どうして、アンジェレットさんだけ深魔化していたのかしら?)
リンゴの一部を食べただけのアンジェレットが深魔化したのだ。であれば、妹よりも多量の「秘薬」を摂取した姉は深魔にならなかったのはおかしい……いや、そうではないか。
(シャルレットさんは「漆黒魔人」って言われる存在になっていたのよね。これはこれで、深魔になった事になるんだろうけど……)
やはり漠然としてはいるが……妙に引っかかるとミアレットは考えてしまう。
リンゴを丸ごと食べたエルシャは深魔になりこそすれ、「漆黒魔人」にはなっていなかった。更に、「霊樹ベビー(マモン談)」に魂を取り上げられそうになっていたりと、心迷宮内で我が物顔で振る舞うような暴挙はしでかしていない。
「……そういう事。要するに……そっちの子は魔力適性はなかったけれど、瘴気への適性はあったってことかしら?」
「えっ?」
ミアレットがあれこれと思い悩んでいると、眼鏡をクイと小突きながらアレイルが思いもよらぬ事を言い出した。そして、そんな彼女に……グリプトンはご名答、と不敵な笑みを浮かべる。
「ふむ……そちらのレディは深魔についてもお詳しいようだ。……ご推察通り、シャルレット様は生まれつき瘴気への並外れた耐性をお持ちでね。かのオフィーリアの女神と同じ、精霊の先祖返りでもあるのだよ」
「精霊の先祖返り……?」
聞きなれないキーワードに、ミアレットは思わず首を傾げてしまうが。そんな疑問にも、アレイルが的確に説明してくれる。
「……精霊の血を引く者が、突発的に魔力を隔世遺伝で引き継ぐことで、異常耐性を持つ事象のことよ。シルヴィア様もかつては精霊の先祖返りの特殊な人間だった……と、聞いてはいたけれど。……だけど、精霊の先祖返りは狙って発生させられる訳ではないわ」
アレイルはそこまでの説明で言葉を区切った後……鋭い視線で、グリプトンを睨みつける。ギリっと牙を鳴らし、何やらお怒りの様子だが……。
「そう、そういう事……! あなたはランドル君とは違って、とっくにグラディウスに鞍替えしていたってことかしら? 例のリンゴの出どころは、暗黒霊樹そのもの。そして……その子に瘴気耐性があるのをいい事に、グラディウスの女神に仕立てようとしているわね……?」
「ふふ……これまた、ご名答! ここまで読み解かれたのであれば、私がここにいる理由も……そして、この空間が特殊なことも。ある程度はご存知なのでは?」
「……認識阻害と魔力のジャミングもしっかりされているわね、ここ。そうよね……こちらに来る前に、ティデル様にバックアップをお願いしておいたもの。それなのに……天使様達がいらっしゃらない時点で、魔力反応を遮断されていると考えた方が自然だわ」
そうして、ふと視線を瓦礫の山にずらすと……アレイルが悲しそうにため息をつく。
「この様子だと、ここに住んでいた人達は全滅かしらね」
「そうなりますな。あぁ、でも。そこのランドルは連れて行きますよ。……無論、それなりに覚悟はさせますが」
「覚悟って……俺になんの覚悟をしろと言うのですか? 父上……」
「なに、簡単なことだ。……メルディやフリックと同じようにすればいいだけの話だ」
「兄上達と同じように……?」
すぐ隣に控えていた、男の子の片方にシャルレットを託すと。グリプトンがそっと手を翳す。その仕草にアレイルがすぐさま、警戒体制を取るが……ミアレット達の前にドサリと放り出されたのは、グッタリと脱力し、ボロボロのドレスを纏ったアンジェレットだった。
「お嬢様⁉︎ 父上……お嬢様に何をしたんです⁉︎」
「さっきも言ったろう? まだ殺してはおらん、と。ただ、無理に深魔になったせいで、相当に消耗しているようでな。未だ、目を覚ますことはない」
「でも……生きてるんすよね? だったら、手当てすれば……」
「ふむ? まさか、ランドルはその出来損ないを助けるつもりなのか?」
「当たり前でしょッ⁉︎ 何のために、心迷宮で頑張ってきたと思ってるんです! お嬢様を助けるためじゃないっすか!」
「……」
すぐさまアンジェレットのもとに駆け寄り、彼女の息があることに安心するランドル。だが……グリプトンはいかにも理解に苦しむといった表情で、息子を睨んでいたかと思うと、冷酷な命令を下し始める。
「……とにかく、だ。ランドル、行くぞ」
「ですから、どこに? こんな状態のお嬢様を置いて、どこにも行けないっすよ」
「……ふん、本当に察しの悪い奴だ。さっき言っていた覚悟とは、偽の主人達に別れを告げること。……ランドル。その出来損ないを始末し、こちらに来い」
「はっ……?」
父親の口から放たれた、あまりに無慈悲な通告。そんな彼の冷酷さに……当のランドルはしばらく、何を言われたのか理解できなかった。
【登場人物紹介】
・メルディ・ベルルフィ(水属性)
代々カーヴェラ貴族・ヒューレック家に仕えてきた執事の家系・ベルルフィ家の長男。22歳。
ヒューレック伯(アンジェレットの父)を担当する専属執事。
父親譲りの高い魔力を有しており、補助魔法が得意。
父親に対して盲信的な傾向があり、非常に真面目ではあるが、頭も硬い。
・フリック・ベルルフィ(水属性)
代々カーヴェラ貴族・ヒューレック家に仕えてきた執事の家系・ベルルフィ家の次男。19歳。
ヒューレック伯夫人(アンジェレットの母)を担当する専属執事。
魔力適性は兄や弟に劣るが、剣技に優れ、魔法能力も攻撃寄り。
やや粗暴で、執事一家の中でもヒューレックの人々を見下す傾向が強い。
・グリプトン・ベルルフィ(水属性/闇属性)
代々カーヴェラ貴族・ヒューレック家に仕えてきた執事の家系・ベルルフィ家当主。年齢不詳。
類稀なる魔力適性を有し、水属性の最上位魔法の他、闇属性の魔法も一部使いこなす熟練者。
実年齢は不明ではあるが、闇属性のハイエレメントを持ち得ることから、純粋な人間でもないらしい。
本当のご主人様でもあるグラディウスの神の命令に従い、特殊体質を持つシャルレットに対し、瘴気定着の実験を行っていた。




