2−16 そんなスジ、どこにも通りません
何よ、何よ! どうして、みんな私を丁重に扱わないの⁉︎
勝手なことをグルグルと頭の中で回しながら。アンジェレットは苛立ちげに、ヒューレック邸へと帰宅する。そんな彼女の後ろには、律儀に付いてきたランドルが控えているが……しばらくは何を言っても無駄だと、彼は心得てもいる。お嬢様がいかに不機嫌を撒き散らそうとも、いつもの事だと割り切っては、アンジェレットの出方を窺っていた。
「あぁ、もう! 本当に疲れたわ! 大体……どうして、私がこんなに歩かなきゃいけないのよ!」
エルシャは魔法駆動車で通学していると、聞き及んでいたアンジェレットにとって、徒歩で移動しなければならないことは屈辱だと感じられる。ラゴラスにあるものが、ヒューレックにはない……鮮やかにラゴラスとの差を見せつけられることは試験で「自分だけ落選した」という悔しさもあって、彼女には最も面白くないことであった。
「しかも、平民如きが偉そうに! 自分の力でなんとかしろ、ですって⁉︎ 私は貴族なのよ? ミアレットが私のためになんとかするのが、スジじゃなくて⁉︎」
(……そんなスジ、どこにも通りませんよ、お嬢様……)
ズンズンと足音荒く、廊下を進むお嬢様の背中を見つめながら……相変わらず横暴なんだからと、ランドルはまた1つ、ため息をつく。それでもアンジェレットが超理論を振りかざし、駄々滑っていくのも見ものだと、早々に気分も切り替えた。
確かに、一流の魔術師から魔法を教えてもらえる機会は潰えてしまったが。それ以上に、お嬢様が失敗していくのを見守る方が断然楽しいと、ランドルは思い直す。そうして……自分は相当に歪んでいるかもと、ぼんやりと考えてしまう。
(ま……それもこれも、父上の命令ですけどね。最低限は見守りするけど、勝手に転がり落ちるようなら、突き落とすまで。それが俺の役目なんですから)
所詮、ランドルにとってアンジェレットの失態は対岸の火事なのだ。彼女がいくら火だるまになろうとも、ランドルには火の粉さえ飛んでこない。ヒューレック家にあって、実権を握っているのはアンジェレットの父ではない。……ランドルの父・グリプトンの方だ。ヒューレックがいかに没落しようとも。真の実力者である執事一家の彼らは、降りかかる火の粉を軽く払いのけるだけで済んでしまうだろう。焼け落ちそうな家からは、延焼する前に避難すればいい。ただ、それだけのことである。
(しかし……こいつは、ちょっとマズいかもなぁ。この調子だと、シャルレット様に八つ当たりしそうだし……)
威張り散らすのが常々、癖になっているアンジェレットではある。しかし、今時のヒューレック本体は落ち目も落ち目。外で威張ろうにも周囲の貴族はもちろんのこと、試験にアンジェレットが無様に落選してからというもの……魔法学園でも、彼女を丁重に扱う者などいない。そして、ヒューレックを取り巻く境遇はアンジェレットだけではなく、彼女の両親にも大きな影を落としていた。
ヒューレック伯夫妻は魔法学園入学さえできなかった、アンジェレット以上に魔力適性が乏しい落ちこぼれ。だからこそ、魔力適性ゼロのシャルレットの誕生には失望したと同時に、僅かでも高めの魔力適性を持ちえたアンジェレットが誕生した暁には、彼らは妹に期待すると同時に……本格的に姉を冷遇するようになったのだ。アンジェレットには魔力適性があったのだから、シャルレットの魔力適性がないのは自分達のせいではない……と言わんばかりに。
(別に貴族にこだわらなければ、シャルレット様も幸せになれたかもしれないなぁ……)
そんな状況を幼い頃から刷り込まれたアンジェレットの側で、シャルレットの逆境も見つめてきたランドルは、やや憐憫混じりで考える。魔法が使えることが特別ではなくなりつつある、今のご時世。貴族という括りにこだわるのは、もはや愚の骨頂。決して、賢明だとは言えない。
確かに、「人間であれば」魔法を使えるのは特別なことになるのだろう。だが……ラゴラス邸で出会った特殊祓魔師のような、人外の存在を前にすれば。魔法の有無など関係なく、人間は一律「魔力適性の低い落ちこぼれ」に成り下がる。ともなれば、「落ちこぼれの人間」という種族の枠内で平民もターゲットに含めれば、シャルレットならばいくらでも嫁ぎ先が見つかるに違いない。何せ……シャルレットは美人なのだ。アンジェレットがピカピカに手入れされているのにも関わらず、シャルレットの方が圧倒的に美しい。
シャルレットには貴族からの釣書はなくとも、平民からの釣書はわんさと届いている。しかも、大富豪の嫡男や若くして大成した商人など、ヒューレック家よりも確実に成功している相手も含まれているのだから、シャルレットは嫁に出してやった方が互いのためにもなるのではないかと、ランドルは思ってしまうが……。
(でも……シャルレット様がいなくなったら、優越感を得られる相手がいなくなる……か)
平民だろうが、成金だろうが。シャルレットを嫁に出したら、ヒューレックの面々は誰を相手に威張ればいいのだろう? 自分達よりも弱い立場にあるシャルレットを見下し、虐めることで、ようよう保っているプライドを……彼らは自力で補填する術を知らない。
「あぁ! もぅ! ランドル!」
「はい、どうしました? お嬢様」
「……アレを呼んできて」
応接間のソファにドカリと腰を下ろし、アンジェレットが不機嫌そうにランドルに命令を下す。
「もぅ……シャルレット様をそんな風に呼ぶなって、申し上げたでしょ?」
「アレはアレじゃない! 魔力もないような落ちこぼれに、名前なんていらないわ! とにかく、呼んできなさいよ! お茶を淹れろと、伝えなさい!」
しかしながら、ランドルはこればかりは阻止せねばと、肩を竦めつつアンジェレットに応じる。アンジェレットの子守よりもシャルレットを守る方を優先せよとは、この家で誰よりも偉いグリプトンの厳命である。それを達成できるのなら、アンジェレットを多少軽んじても良いとまで言われている。
「お茶なら、俺が淹れますよ。どうせどんなに上手に淹れたって、シャルレット様にかけるんでしょ? ……そんな勿体ないことはさせません」
「何よ! 召使いのくせに……!」
「ふ〜ん……それじゃ、お嬢様。この家が誰のお陰で保っているか、知らないわけじゃないですよね? ……言っておきますが、お嬢様の癇癪で無駄にできるお茶はありませんから。ちゃんとお茶が飲めるだけ、有難いと思わなくちゃ。ね?」
「なっ、何よ、何よ、何よッ! あんたなんか、クビに……クビに……い、いつか、してやるんだから……」
「そう、いい子ですよ、お嬢様。……お嬢様程度じゃ俺をクビにできないこと、ご理解いただけているようで何よりっすね」
尻すぼみの言葉を吐き出しながら、悔しそうに唇を噛むアンジェレット。片や彼女の「素直な様子」に満足しては、粛々とお茶を淹れ始めるランドル。そうして、茶器を手際良く準備しながら……彼は思うのだ。
……これだから、アンジェレットのお守りはやめられない。威張り散らして、虚勢を張って……それでも、誰にも相手にされないで、軽くあしらわれて。そんな惨めでお可哀想なお嬢様には誠実で、それでいて、最高に意地悪な召使いが手を差し伸べてあげましょう。例え、誠意も忠誠もなくたって。滑稽なお嬢様の世話を焼くのは、とにかく愉快なのだから。
(ハハ……。やっぱ、俺……歪んでるかも)
だけど自分以上に歪んでいるのは、父・グリプトンだ。所詮、自分達は親子なのだと……ランドルは諦め半分、喜び半分で、お茶汲みの任務を上の空で遂行している。
(父上の見つめている世界が、俺にはちっとも見えないけれど。でも……シャルレット様絡みで何かを企んでいるのは、分かるんだよなぁ)
ランドルは恭しくティーカップを差し出しながら、ククッと喉の奥で笑う。きっと、喚き散らして喉が渇いているのだろう。憎たらしい召使いが淹れたお茶でさえも、待ち侘びたように飲み干すのだから……こっちのお嬢様は本当に本能に忠実なのだと、ランドルは尚も愉快な気分にさせられる。
(素直にしている分には、悪くないんだよなぁ。アンジェレット様も)
だが、一方で……最近の父は不穏な動きをしていると、ランドルは少しばかり警戒もしている。
どこで手に入れて来たのかは、知らないが。シャルレットに「魔力が上がる秘薬」と称して、少し前から見事に真っ黒なリンゴを食べさせている。そして……シャルレットも何の疑いもなく、見るも禍々しいリンゴをきちんと完食しては、家令に従っていた。
(なーんか、シャルレット様は昔から不気味だよな。……まるで、お人形さんみたいだし)
家族に冷遇されたせいなのかは、知らないが。ランドルには、シャルレットの感情が枯れ果てているようにさえ、思えてならない。




