2−15 あの日にあったこと
「それはさておき。……ミアちゃんとエルシャちゃんには、別枠で伝えないといけない事があってな」
「まだ、何かあるんですか……?」
魔法の補講ついでに追加された、重荷に眩暈を催しながら。ミアレットはまだ何かを隠しているらしい、先生達の話に耳を傾ける。しかしながら、彼らが語ろうとしている事は別方向で「かなり真面目な話」である様子。先程までの戯けた調子ではなく、真剣な面持ちをしながら……マモンがハーヴェンに目配せし、ハーヴェンの方も了承を示すように重々しく頷いた。
「変に隠してても、仕方ないよな。実は……セドリックが失踪したんだ」
「えっ? それって、つまり……」
「お兄様がいなくなった、という事ですか……?」
想定外の告白に、ミアレットとエルシャが驚くのも当然だろう。セドリックが収容されたのは、魔法学園本校の特殊な部屋……監視房だったはず。ミアレット達には、監視房がどんな場所から知らされていないものの。……少なくとも、脱走が困難な場所であることくらいは、易々と想像できる。
「正直なところ、セドリックがどうやって脱獄したのかは不明だが……ただ、内部からは絶対に逃げられない場所だったもんでな。……おそらく、外部からセドリックの脱走を助けた奴がいるんじゃないか、って俺達は睨んでいる」
マモンの話からするに……やはり、セドリックはそれなりの難所から脱出せしめたらしい。だが、誰が一体……何のために、セドリックを助け出したと言うのだろう?
「突然、こんな話をしてゴメンな。そりゃ、驚くのも無理はないよな。だけど……セドリック君を探すためにも、特にエルシャちゃんには聞きたいことがあってさ。だから……辛いとは思うんだが、深魔になった時にセドリック君におかしな様子がなかったか、覚えている事があれば教えてくれないかな?」
ミアレットがあれこれと考えていると、優しい声色でハーヴェンがエルシャに「セドリックの様子」について尋ねている。いくら相手が「憧れのハーヴェン先生」だとしても、エルシャは困惑した表情を晴らすこともできないようだが……それでも、何かを思い出した様子。意外としっかりした口調で、「あの日にあったこと」を証言し始めた。
「そう言えば……お兄様が、珍しく私にお土産を持って来てくれたんです……」
「お土産?」
「うん……とっても、珍しいものなんだ、って……真っ黒なリンゴをもらいました……」
エルシャの証言に、顔を見合わせるハーヴェンとマモン。しかしながら、エルシャにはセドリックからリンゴを貰った後の記憶は残っていないらしい。エルシャが次に覚えているのは、セドリックが連れていかれる場面……つまり、エルシャが深魔から元の姿に戻った時だった。
「あっ、でも……なんとなく、リンゴの味は覚えています。とってもいい匂いで、今までのどんなフルーツよりも、甘くて美味しくて。私、夢中で食べていた気がします……」
困惑顔から、一転。「黒いリンゴ」はエルシャの記憶に、最上の美味として残っているらしい。忽ち、エルシャがウットリとした表情になる。だが、「黒いリンゴ」に引っ張られる形で何かを思い出したようで……彼女曰く、セドリックはリンゴを持ち帰る少し前から、様子がおかしかったらしい。
「お兄様、何だか焦っていた気がするわ……。リンゴをくれる前の日は、慌てて本校の寄宿舎に戻って行ったの。確か……このままじゃ、ミアレットに追い抜かれちゃう、って言っていたわ」
「へっ? 私……?」
「うん。お兄様、ミアレットに嫌われたのがショックだったみたい。それと、ミアレットを見くびっていたかも知れないって、とってもソワソワしてた。もしかしたら……お兄様はミアレットのこと、好きになったのかも知れない……」
「ちょっと待ってよ、エルシャ。どう考えても、その可能性はないんじゃない……?」
確かにセドリックからは「君には興味が湧いた」とか、「学友として付き合ってくれ」みたいな事は言われていた気がするが。それらは明らかに「愛の告白」の類ではないだろう。……多分。
「おーおー、ミアちゃんもなかなかに悪女だねぇ。セドリックの気持ちに気づかずに、フっちまったかぁ」
「えぇッ⁉︎ そんなワケ、ないじゃないですか!」
振るも何も、告白された覚えがない。それなのに、マモンは面白そうにカラカラと笑っては、ミアレットを悪女扱いしてくるのだから……こちらもなかなかに意地が悪い。
「ほれほれ、マモン。今はミアちゃんの悪女加減を気にしている場合じゃなくて。エルシャちゃんの話を聞く方が先だから」
「あっ、悪い、悪い。それもそうだよな。ミアちゃんの悪女レベルはこの際、忘れるとして……」
「私、今ので悪女認定された感じです……?」
ハーヴェンもマモンも、本気でそう思っているわけではなさそうだが。ミアレットにしてみれば、不名誉な誤解である。
「それはそうと、貴重な話をありがとうな。……エルシャちゃんの話からするに、セドリック君が持ってきた黒いリンゴがトリガーだったことは、何となく分かったが……」
「問題はそれをどこで仕入れてきたか、だろうな。セドリックが本校に戻ったってトコからするに、種も仕掛けも本校にありそうだが。……竜神様の庭でよくもまぁ、そんなモンを調達できたもんだ。いや、違うか。……聖域だからこそ、気づかなかったのか……?」
オフィーリア魔法学園は聖域・竜王都に本拠地を構えている。そんな聖域に不浄の異物が持ち込まれるだなんて、誰も予想だにしなかった。だが……。
「……なぁ、ハーヴェン。もしかして……もしかするか? これは」
「うん、今……俺も同じ事を考えてた。あの場所なら……そんなリンゴを持ち込まれても、気付かれないかもな……」
「そうだな。それだったら、あり得るかもしれんか。しっかし、だとすると……こいつはしてやられたなぁ」
ハーヴェンとマモンは同時に、何かに気づいた様子。2人揃って、悔しそうに眉を顰めている。
「えっと……先生、何がでしょうか……?」
「あぁ、ゴメンな。実は……魔法学園の本校には、わざと瘴気を清めないままで保っている場所があってさ。食べたら深魔になっちまうような、危なっかしいモノを持ち込めるとなると……セドリック君がリンゴを調達したのはそこだろうな、って思って」
「本校には、魔術師用の訓練場があってな。主に魔法の試し撃ちとか、戦闘訓練に使われる場所なんだけど……訓練場エリアは魔物相手の訓練も想定して、瘴気濃度が少しだけ濃いめに設定されているんだよ」
訓練場エリアは模擬戦もできる場所であるため、魔法道具の持ち込みはもちろん、使用も制限されていない。実際の訓練場への侵入は危険を伴う事もあり、教師の引率が必要ではあるが……訓練場準備棟などの施設や、仮想空間システムがある実習室までであれば、生徒だけでも入場は可能だ。
「訓練場エリアの利用時間は夕刻まで、って決まっているんだけど。……前座までは時間に関係なく、入れちゃうんだよな」
「そうなんですね……」
「とにかく、エルシャちゃんの話のおかげで、訓練場エリアを調べた方がいい事が分かったよ。……セドリック君の入場履歴がないか、確認した方が良さそうだ」
そこまで話し合って、2人で頷き合うハーヴェンとマモン。
「これだけ分かりゃ、後はセドリックの足跡を探すだけだ。ここから先は、学園側の仕事だな。セドリックを逃しちまったのは、どう考えてもこっちのミスだし」
「そうだな。それはそうと……今日はお邪魔した上に驚かせちまって、ゴメンな。セドリック君の事は心配だろうが……エルシャちゃんも試験パスに向けて、頑張ってくれよな」
「はい……! えっと、その……」
「うん?」
「今日は来てくれて、ありがとうございます。それと……お兄様の事、よろしくお願いします……」
苦手なはずの兄のために、先生達にしおらしく頭を下げるエルシャ。そんな彼女の様子に……ミアレットは驚くと同時に、なんだかやり切れない気分にさせられる。
(深魔にされて、恨んでいてもいいはずなのに……エルシャはやっぱり、セドリックを助けたいのね……)
どんなに嫌われていようとも、どんなに蔑まれていようとも。エルシャにとって、セドリックが唯一の兄である事に変わりはない。
「エルシャ。セドリックを探すためにも……絶対に、一緒に本校へ行こうね」
「えぇ、そうよね。私、頑張る。よろしくね、ミアレット」
「うん、よろしく。こうなったら、何がなんでもセドリックを探し出して、文句を言ってやらなきゃね!」
そんな事を言いながら……どちらからともなく笑い合い、しっかりと目標を見定めるミアレットとエルシャ。セドリックの行方は、確かに気になるが。彼を探すにしても、手段や実力を身に付けるのも必要な事だろう。であれば……それらを全て叶える、本校へ登学しない事には始まらない。




