2−14 期待という名の重荷
「行っちゃった……」
嵐のようにやってきて、嵐のように去っていたヒューレック伯爵令嬢と、その召使い。そんな彼らがいなくなった庭で、エルシャがちょっぴり不服そうに頬を膨らませている。どうやら……彼女はアンジェレットは気に食わないが、ランドルは気に入ったらしい。
「ところで、先生? さっきから、2人揃って静かですけど……また、何か企んでます?」
「おぉう……人聞きが悪い事を言わないでくれよ、ミアちゃん。これでも、ちゃんとお仕事をしてたんだぞ? な、マモン?」
エルシャがアンジェレット相手に健闘していた影で、妙に大人しくなった先生方に訝しげな視線を送れば。ミアレットの疑念を晴らそうと、熱心に魔術師帳を見つめていたマモンが口を開く。
「うん、今のところ……問題なさそうかな? ただ……なーんか、イヤ〜な感じかもなぁ」
「えっ、何がですか?」
「……アンジェレットさんの様子、ちょいと観察させてもらってたんだ。そんでもって、こいつで深魔指数をチェックしてたんだけど」
先日の視察や調査の結果……深魔に堕とされたターゲットには、とある共通点があることが判明したので、アンジェレットの「数値」にも「その傾向」がありそうだから警戒していた、という事らしい。
対象者が深魔になる前には「深魔指数」が上昇するが、自前で堕ちるまでの数値にならないところで留まれば「大事」には至らないし、悪意を伴う興奮状態が静まれば、自然と深魔指数も減少していくのが通常の反応である。しかし、「おかしな動き」で深魔になった対象者は軒並み、深魔指数が減少傾向にあったのにも関わらず……急激に深魔指数を激増させ、目立った予兆もないままで深魔になっていたのだと言う。
「あの程度の癇癪でいちいち深魔になられていたら、世界はとっくに滅んでいるだろうさ。だけど、実際には四六時中悪意まみれの人間はそうそういないもんで。……ずっと怒っていたり、恨んでいるままなのは、疲れるだろ? よっぽど振り切れない限り、深魔に堕ちるなんてことは、まずまずないんだよ」
ケロリとそんな事を言いつつ、尚も魔術師帳と睨めっこを続けているマモン。それでも、「部外者」が退場したのをこれ幸いと、魔法の授業に絡めつつ……作戦会議もしようというのだから、なかなかに抜け目もない。
「さて……と。アンジェレットさんに関しては、しばらく注視しておくとして。ここらで魔法のお勉強と一緒に……ちょいと先日の深魔鎮静化について、おまけの説明をしようかな」
「あっ、そうそう! 私も心迷宮の効果について、聞きたいことがあったんです!」
忘れてられていなくて、よかった……ミアレットはそんな事を思いつつも、兼ねてから気になっていた「心迷宮の波及効果」について質問を投げてみる。先日のセバスチャンの時といい、さっきのハーヴェンの時といい。ミアレットは心迷宮から帰還した後から、魔法の錬成度が何となく分かるようになっていた。水属性の魔法に関しては、自分では絶対に鍛錬すらできないのに……だ。
「やっぱ、気づいてたか。心迷宮での体験は、現実で体験するそれよりも、より深くダイレクトに残る……ってのは、説明した通りだが。ミアちゃん流に言う”経験値”は、頭脳的な知識として蓄積するというより、肉体的な直感として定着するんだ。……魔法は魔力の流れや質を見極められれば、見極められる程、より上手に扱えるようになるもんで。その上で、イメージによる経験はみんなの血に眠る、魔力の器に直接作用するみたいでな。帰還者は魔力の疎通や確保がやり易くなる傾向がある」
やや難しい話になったが。ミアレットが直感的にアクアバインドの「硬さ」や「性質」をぼんやりと理解できたのには、魔力を感じ取るセンスが心迷宮で鍛えられたから、という事になるらしい。そして、魔法を使うのには知識も大切だが……何よりも直感や想像力が大切なのだと、マモンは続ける。
「さてさて。ここからは、魔法の基礎知識も絡めて説明するから、エルシャちゃんも聞いてくれな?」
「はい! もちろん、聞かせていただきます!」
「ウンウン、素直で結構。魔法を使うには、構築に必要な知識を習得する……のは、当然として。その先に、魔法を使ったら“実際にどうなるか”を考えるのが重要なのと同時に、魔法を使って“どんな事をしたいか”をしっかりと把握する必要がある。なーんて、言ったところで、ピンとこないよな。だから、ここからはちょっとした実演をしながら、話をするぞー」
魔法にはあらかじめ設定されている「おおよその効果」の他に、魔法の特性によっては「付随効果」や「追加効果」が存在する。そんな事を軽めの口調で言いながらも、マモンがミアレットも見慣れた「ウィンドチェイン」を発動するが……。
「ほい、まずは1本目。舞い遊ぶ風よ、乱れ吹く嵐よ……鎖となりて、我が手に集え。したたかに紡げ、ウィンドチェイン……っと。んで、もういっちょ。舞い遊ぶ風よ! 乱れ吹く嵐よ……鎖となりて、我が手に集え! したたかに紡げ……ウィンドチェイン!」
立て続けに2本のウィンドチェインを発動すると、コテンと首を傾げて、ミアレットとエルシャの様子を窺うマモン。そうして、2人の眼差しに真剣な輝きを見つけ出すと……嬉しそうに頷きながら、展開された2本の鎖について、解説を加え始める。
「その様子だと、2本の違いは感じてくれたかな?」
「はい、何となく……。2本目の方が硬めの構築なんじゃないかと……。多分、誰かを捕まえるための魔法ですよね?」
「私もそう思う。1本目は細いけど、2本目の方は何だかガッチリしているし……」
「よっし、それだけ分かれば十分だ。んじゃ、この2つの魔法の違い……つまり、目的の違いについて説明するな? まず1本目のウィンドチェインはごくごく普通の錬成で、手早く発動したものだ。拘束力を捨てた、発動スピード重視。咄嗟のトラップとしての使い方を念頭に置いているぞ。それで、2本目はミアちゃんも気づいてくれた通り……相手をしっかりと捕まえるために構築したものでな。錬成度を高めたのもそうだが、地属性の魔法でおいそれと解除されないように、風の流れを極力抑え、圧縮する構築を加えてある。もちろん、2本目の方が発動難易度も圧倒的に高いぞ」
その割には、2本目もアッサリと展開していた気がするのだが。まぁ、今はその程度のことは気にするべき事ではないかと、ミアレットはまたも強引に割り切った。悪魔男子達が放つ超常現象の数々は、軽く受け流しでもしなければ、ドツボにハマるのも分かり切っているので……最近は敢えて、考え込まないようにしている。
「んで、ミアちゃんの方は1本目と2本目の錬成度の違いも、頭よりも肌で感じるものがあったんじゃないかな?」
「はい……心迷宮から帰ってきてからは、他の人が発動した魔法でもどんな構築なのか、分かるようになりました……」
ミアレットの内なる順応には、感づくこともなく。マモンはミアレットが直感でウィンドチェインの「硬さ」を見分けた事に満足した様子で、意地悪く笑う。
「ククク……これでこそ、経験値を山分けにした意味もあったってもんだ。ミアちゃんは特殊祓魔師として、鍛え甲斐がありそうだなー。超有望株が教え子とくれば、俺も腕が鳴るぜ〜」
「えっ……?」
いつになく、悪魔らしい笑いを漏らしつつ。マモンが期待という名の重荷をガッツリと乗せてくる。そして……。
(いっ、いやぁぁぁぁ⁉︎ 私、特殊祓魔師なんかになりたくないんですけどッ⁉︎)
いつものように、内心でサイレント絶叫をするミアレット。
ミアレットの将来までもを、ガッチリと捕まえるつもりらしい大悪魔様の笑顔に……ミアレットは彼の計算高さも、ようよう悟る。中身は大人とて……アンジェレットの魂胆は見抜けても、マモンの魂胆までは、流石のミアレットも見通せていなかった。




