2−6 貴族としての心象
「ここがミアレットの孤児院……」
「お嬢様、やっぱ、やめておいた方が……」
ルシー・オーファニッジの立派な門を、コソコソと物陰から見つめているのは……アンジェレットとヒューレック家の召使い・ランドル。初等部の中庭でこっぴどく袖にされた悔しさもなんのそのと、アンジェレットは昨日の今日でミアレット宅(孤児院だが)へ突撃訪問をしようとしていた。
「大丈夫よ。伝統あるヒューレック家からのお茶のお誘いとなれば、平民は飛び上がって喜ぶに違いないわ。なにせ、ヒューレック家は誰もが縁を欲しがる大貴族ですもの!」
「……そうでしょうかねぇ。だったら、シャルレット様にもとっくに婚約者が見つかっていると思うんですけど……」
「うっ、うるさいわね!」
しかして……ランドルの指摘は非常に失礼ながらも、どこまでも正しい。今や落ち目のヒューレック家と縁組をするくらいなら、他を探した方が遥かに建設的だろう。しかも、アンジェレットの姉・シャルレットは魔力適性を持たない「不適格者」。彼女も、一応は伯爵令嬢で通ってはいるものの。内外的にも、貴族としての心象はあまりよくない。
(私はお姉様とは違うわ……! 今に見てらっしゃい)
カーヴェラは確かに大都市であり、根付いてきた貴族達の数も多い。しかしながら、それぞれが再出発を余儀なくされてもいるため、地位も、規模も、拮抗しているのが現状だ。爵位の名称こそ、健在ではあるが。……霊樹・ユグドラシルの焼失と一時的な魔法の消失を機に、爵位の順位はとうに形骸化している。
「とにかく、行くわよ……って? あれ?」
「……出かけるみたいっすね」
アンジェレットがいよいよ、孤児院の方へ向かおうとすると……丁度、その門からミアレットが出てくる。見るからに、急いでいる風でもあるし……どうやら、彼女には約束があるようだ。
「ちょ、ちょっと! 今日は私が折角、誘ってあげようと思って……」
「いや、お約束もない時点でご迷惑でしょ、それ。お嬢様は相変わらず、無謀なんだから……」
「ゔっ……」
ズケズケとアンジェレットの不手際を指摘しては、やれやれと首を振るランドル。しかし、召使いに当然のことを指摘された程度では、アンジェレットの自尊心はへこたれないのだった。
「先約があったって、関係ないわ! 平民の約束なんて、守らなくてもいいじゃない。私の都合こそが優先されるべきなのよ!」
「うわぁ……その自信、どこから湧いてくるんですかね? それに、あの顔……どっかで見た気がしますけど……。本当に、邪魔して大丈夫っすか?」
「えっ? あっ、もしかして……」
見れば、ミアレットは1人ではない様子。後ろからやって来た男達と気楽な様子で話をしながら、アンジェレットには気づく事もなく、スタスタと行ってしまう。しかし、ランドルが指摘したように……ミアレットと連れ立って行った、男達は明らかに普通の相手ではなくて……。
「嘘、よね? 何で、本校の先生がこんな所にいるのよ?」
「あ〜……。なーんか、見覚えがあると思ったら。あれ、噂の特殊祓魔師ってヤツですよね?」
ランドルとしては、これ以上は流石によろしくないと考える。どうして(アンジェレットによれば)ミアレットのような「平民」にトップクラスの魔術師が2人もくっついているのかは、定かではないが。少なくとも、アンジェレットの個人的な無理を通していい相手ではないだろう。
「……追うわよ」
「へっ?」
しかし、アンジェレットは自意識過剰な上に、無鉄砲だった。何やら、あまりよろしくない事を思い付いたのか……ニヤリと口元を歪めている。
「……お嬢様? 一応、聞きますけど……もしかして、あの人達のイベントに混ざるつもりでいます?」
「当然よ! これは千載一遇のチャンスじゃない! 折角だし、私も先生達に覚えてもらわないと!」
「うわ〜……それ、完全に迷惑っすよ? やめといた方がいいですってぇ。場合によっては、退学もあり得るんじゃないすか?」
それでなくても、カーヴェラ分校への入学だってギリギリだったのに……とまでは、ランドルも言わないものの。アンジェレットの入学自体がそもそも、最初から危ういものだったのだし、当然ながら先生達の覚えはめでたくもない。それなりの魔力適性アリと承認され、学ぶ機会を与えられてはいるが……肝心のアンジェレットは魔法の才能も乏しければ、頭脳の出来はごくごく普通。その上で、今ひとつ思慮深さと慎重さが足りない。
(……ま、俺にはお嬢様が落第しようが、退学になろうが、関係ないっすけど)
ランドルはヒューレック家ごと彼らの逆鱗に触れるのは不味いと思う反面、それも面白いかもと、このまま成り行きを見守る事にしていた。別にヒューレック家が没落したとて、新しいお勤め先を見つければいいだけの事。……ここでお嬢様を無理に止めずとも、この調子では、いずれ大失態をしでかすのも時間の問題だ。
彼の父・グリプトンが厳格かつ、真面目過ぎる性格だったが故に、ヒューレック家への忠誠を保っているだけではあったが……ランドル達執事一家・ベルルフィ家もまた、ヒューレック家同様に歴史がぶ厚い家系である。ご先祖様が拵えた契約によってヒューレック家に仕えているだけであって、主人の鞍替えはいつでもできるし……今のご時世では、ベルルフィ家だけで独立も可能だろう。ここでアンジェレッタがいくらヒューレックの信頼を失墜させたところで、ランドルは痛くも痒くもない。それでなくとも……。
(父上の見立てじゃ、こっちのお嬢様の方が当て馬っぽいし……)
ランドルが何かとアンジェレットにくっついて、世話を焼いているのは、純粋に彼自身も「楽しいから」ではあるが。それとは別に、グリプトンからアンジェレットの意識を姉・シャルレットから最大限に逸らしてやるよう、指示されていたからでもある。遊び相手を用意しておけば、アンジェレットのシャルレットに対する嫌がらせも減るだろうと……ランドルはワガママなお嬢様の遊び相手として、充てがわれているだけに過ぎなかった。
グリプトン曰く、シャルレットこそがヒューレック家の正当な魔力を引き継いでいる存在だとかで……彼の目には、魔力適性がない「不適格者」は全くの別物に映っているらしい。しかしながら、ランドルには父がどんな光景を見つめているのかは、知り得ないのだが。
(それでも、俺はアンジェレット様の方がいいかな。こっちのお嬢様の方が、見てて退屈しないし。……今日はどんな恥を拵えるんだろうなぁ)
今からとっても楽しみだ……と、内心では明らかに意地悪な事を考えつつも。やっぱり、それなりにフォローはしてやろうと決める、ランドル。なんだかんだで、ランドルはアンジェレットを気に入っている。あまりに「ひどい状態」になりそうであれば、それとなく助けてやるのも吝かではない。そうして、小走りになり始めたお嬢様の背中を見つめては、ランドルは今日もとことんお付き合いしましょうと……人知れず、ワクワクするのだった。
【登場人物紹介】
・シャルレット・ヒューレック
カーヴェラの貴族・ヒューレック家の長女。18歳。
貴族には「あるまじき存在」とされる、魔力適性ゼロの「不適格者」。
一応は伯爵令嬢ではあるものの、魔力適性がないと判明してからは、召使い同様のぞんざいな扱いを受けており、辛うじて魔力適性を持ち得ていた妹・アンジェレットにも馬鹿にされながら育った。
それでも彼女が家を放逐されないのは、偏に血筋の保存という名目があってのことだが……何やら、家族が知り得ない秘密がある様子。
・ランドル・ベルルフィ(水属性)
代々カーヴェラ貴族・ヒューレック家に仕えてきた執事の家系・ベルルフィ家の三男。17歳。
召使いの立場とは言え、ベルルフィ家は由緒正しい血筋でもあるため、主人・ヒューレック家よりも魔力適性が高い家系だったりする。
特に、ヒューレック家の家令でもあるランドルの父・グリプトンは相当の使い手でもあり、ヒューレック家が貴族としての面子を保てているのも、ベルルフィ家の影響力によるものが大きい。
しかしながら、ランドル本人は家同士のパワーバランスには無頓着らしく、単純に暴走しがちなアンジェレットと連んでいるのが面白いという理由で、何かと世話を焼いている。




