1−34 ただ、それだけなのに
(どこで間違えたんだ……? どうして、僕がこんな所に閉じ込められないといけないんだ……?)
弱々しい月明かりに照らされながら。セドリックはエンドサークルの中ではなく、オフィーリア魔法学園・本校の一角……監視房と呼ばれる、独房の中で膝を抱えていた。夜も更けているため、本格的な聴取は明日から……と、一通りの食事と休息とを与えられたが。当然ながら、今の彼には心を休める余裕はない。
(僕は何も間違っていない……。僕はただ、悪魔になりたくて……)
邪魔な妹を使おうとしただけ。ただ、それだけなのに。
もちろん、普遍的な道徳心と感性とを持ち合わせている者なら、セドリックの思惑は危険思想だと判じるに違いない。欲望を満たすために、他者を犠牲にしていいなんて思想はどんな世界であろうとも、あってはならない感覚だろう。だが、セドリックは自身が天才だと悟るのが早すぎたが故に……幼少の頃から、自分は特別なのだと思い込んできた。
家の中では、父親よりも強い発言権を持っていて。魔法学園では最年少特殊祓魔師の誕生も近いと、期待され。セドリックは当然のように、自分は周囲の人間の誰よりも優れていると錯覚していた。たった16年の歩みの中で、セドリックは才能にしても、家柄にしても……恵まれた境遇を持ちすぎていたのだ。だが、そんな彼でさえ、どうしても超えられない壁もあまりに多い。そして、その現実を否応なしにセドリックに理解させたのが……強敵と模擬戦を行える、魔法学園自慢の仮想空間システムだった。
本校登学当初はセドリックもすぐさま、この仮想空間の虜になった。攻撃魔法を思い切り使える環境がなかったセドリックにとって、登録データのある魔物達との疑似戦は、色々な意味で刺激的でもあったが……セドリックが勝利を収められたのは、低級レベルとされる魔物の一部のみ。中級以上の相手には歯が立たないどころか、一矢報いることさえできずに、完敗することもあった。そんな現実に……セドリックは人間であることにますます絶望していく。
惨敗が続く状況に、自暴自棄になりながらも……思い切って同じ水属性でもある「プライマシーエクソシスト」こと、特殊祓魔師・ハーヴェンにも挑んでみたが。魔法の詠唱を許される間もなく、一方的に氷漬けにされて呆気なく敗北。純粋な実力の差以上に、種族としての差をセドリックにまざまざと見せつける結果となった。
(結局……僕は未だに、ウィザードのまま……。中級クラスにさえ、昇進できない……。悪魔にさえなれれば、もっともっと上に昇れると言うのに……!)
そこまで考えて、堪えきれずにガツンと壁に拳を打ちつける。だが……ただただ痛いだけで、虚しいだけである。誰も慰めてくれない……はず、だった。
「もぅ〜……セドリック様ぁ、八つ当たりはよくないですよ〜?」
「……えっ?」
部屋の中をキョロキョロと見渡しても、影も形もない声の主。だが……この独特な間延びしたイントネーションは、セドリックにはあまりに聞き覚えしかなく。そうして、顔を横に捻れば……そこには、嬉しそうにチロチロと舌を出しながら、首を傾げる白蛇の姿があった。
「お前……! どうして、ここに……」
「そりゃぁ、もちろん、一緒に逃げるためですよぉ。ご主人様がお迎えに行って来いって、言うもんだから……セドリック様を助けに来ました〜」
「僕を……助けに来た、だって……?」
意外な救援に、セドリックの頬が緩んだのも……束の間。こんなちっぽけな蛇1匹に、セドリックを逃す手段もなさそうに思えて、途端に落胆してしまう。彼だけなら、出入りはできるのかもしれないが。高い所にある小さな窓では……セドリックの体はとてもではないが、通らない。それに、この部屋は魔術師を反省させる目的で作られていることもあり、魔法は全て封じられている。白蛇が転移魔法を使えたとて、脱出は叶わない。
「……どうやって、逃げるって言うんだ? この部屋は魔法も遮断されている空間なんだぞ? どう考えても……」
「もぅ〜……最後まで、人の話は聞くもんですよ? 僕ちゃんはこれで……今は魔法道具扱いでして。あらかじめ転移先が記録されていますから、魔法が使えなくても、チョチョイのチョイで移動できるんです!」
「なんだって? お前が魔法道具……?」
「う〜ん……まぁ、元は機神族っていう、ちゃんとした精霊だったんですけどぉ。大元の霊樹がなくなっちゃって、グラディウスに拾ってもらったんですよねぇ。んで、今はそのグラディウスのご主人様にお仕えしている、って訳なんです〜」
「それじゃぁ、僕を迎えに行けって言ったのは……」
「はいぃ〜! グラディウスの神様ですよ! おめでとうございます、セドリック様ぁ。あなたは、僕ちゃんの神様に見込みアリって認められたんですぅ!」
彼の言う神様がどのような見込みをもって、セドリックを助けよと命じたのかは、定かではないが。ミアレットに魔力量が負けていると、自尊心もポキリと折られたセドリックにとって……白蛇の言葉は、何とも心地いい。そして……普通であれば、断るべきであろう提案にも、アッサリと乗ってしまう。
「セドリック様、どうします? 僕ちゃんと一緒に来るつもり、ありますか?」
「もちろんだ! どうせ、このままここにいても……僕は理想を叶えることはできない。だったらば、僕の価値をきちんと認めてくれる所へ行った方がいいに決まってる!」
「うふふ〜! それじゃ、決まりですね! ではでは、早速……行っちゃいましょう!」
「えっ……うわっ⁉︎」
肩にちょこんと乗っていた白蛇の胴体が、グルリとセドリックの首に巻きつくと同時に、そのまま白蛇が自身に刻まれていた転移回路を起動させたらしい。そうして、セドリックは短く驚いた声を残したきり……魔法学園の監視房から、忽然と姿を消した。




