7−49 出来損ないのアドラメレク
「異議あり!」
ババーン! ……なんて在り来たりな効果音は、この場を飾るには陳腐過ぎるだろうか。
勢いよくドアを叩きつけ、無遠慮に入ってきたのは噂の執事その人。男装の麗人と持て囃されるに相応しく、整った身なりは上質そのもの。だが……乱入の手段はやや品位に欠け、マナー違反も甚だしい。
「うーん……何となーく、ドアに変なのがくっついていると思ってましたけどぉ。まさか、あっちの執事さんだなんて、思いもしませんでした」
「変なの……? 私は不審者ではありません!」
「えぇ? 普通に不審者でしょ。女の子の部屋に、ノックもせずに入ってくるなんて。格好は執事ですけど、中身はポンコツっぽいなぁ……」
正直なところ、白蛇……バルドルの指摘は、至極当然の内容である。今のロッタは無断でドアを破った不審者でしかない。だが、そこは憤怒の悪魔・アドラメレクというもので。プライドが高いのもそうだが、新米悪魔である彼女はまだまだ、アンガーコントロールも覚束ない。当然の指摘をされただけで、怒りを露わにするのだから……訓練不足は否めないだろう。
「それにしても、困ったなぁ。こんな時間に訪ねてくる、非常識人がいるなんて……。あっ、もしかして……おねーさん、帰る場所がなかったりします? ご主人様に捨てられちゃったから、正式にモリリン様の所にやって来たんです⁇」
「何がどうなって、そうなるのですか⁉︎」
「えぇ? そのままの意味じゃないですか。こんな所で彷徨っているなんて、札なしの野良孔雀だと思うのが、自然でしょ? おねーさん……きっと、孔雀の群れから弾き出されちゃったんですよね? あまりにお仕事ができなさ過ぎて……」
それとも、ちゃんと刷り込みがうまくできなかったから、迷子になっちゃったんですかねぇ?
意外と口が回る上にお喋りな白蛇が、憐憫混じりの口調と視線とで、ロッタの神経をご丁寧に逆撫でしてくれる。しかし、白蛇はロッタをただ小馬鹿にしたいわけではないらしい。器用に小首を傾げつつ、意外なことを言い始めた。
「それにしても、出来損ないのアドラメレクって、本当にいたんだ〜。流石にご主人様の勘違いだと思ってたんですけどぉ……。うーん、魔界に間違えて流れちゃうなんて、本格的に迷子だったんですねぇ」
「魔界に間違えて流れた? それは、一体……」
「あっ、そうか。悪魔って生前の記憶、ないんでしたっけ? だったら、いい事を教えてあげますぅ! バルちゃん達のご主人様は、優秀な使用人をたーくさん集めているんですよ。女神様が目覚めた時、不自由しないためにね。それで、確か……霊樹戦役直後かな? 凄腕の執事姉弟がいるとかって、プリカントさんが言うもんですから〜。両方ともお誘いすることにしたんですぅ!」
ロッタにはバルドルが言わんとしている事は、まだまだ理解できないが……。話の筋からするに、どうやら生前のロッタは「ご主人様」に目を付けられていた執事の1人であったらしい。
「おねーさんも、対象だったんですよ? でも……魔界に魂が流れちゃったって、ご主人様、悔しそうにしてました〜。きっと、グラディウスに誘われる前に悪魔の条件を満たしちゃったんですね。まぁ、本命の弟はきちんと取り込めたから、問題ないとも言ってましたけどぉ。でも、弟の方もバルちゃん達を裏切ったんですよねぇ。せーっかく、プリカントさんが色々と細工してたのに……」
「あ、あなた……何を言ってるの? もしかして、私には……弟がいたってこと? しかも、その弟が裏切り者……?」
「あれ? おねーさん、気づいてなかったんです? って、あぁ! そうですよね〜。キュラータ様は名前も見た目も変わってますもん。記憶喪失のおねーさんが気付けないのは、当たり前かぁ」
「……⁉︎」
不意打ちで明かされたのは、ロッタにとって衝撃的な内容ではあったが。キュラータの言動にそれらしい雰囲気があったことも、思い出し……ロッタは腑に落ちる妙な感覚と一緒に、続けて襲いくる強烈な頭痛に身悶えしていた。
《あなたはどこまで思い出している悪魔なのですか? その特定の相手以外を見下す癖は、生前からのものと感じられるのですが。あなたは何を、どこまで知っていて……》
(あれは……ただの戯言ではなかったということ……? 彼は私を姉だと、気づいていた……)
ガンガンと容赦なく脳を軋ませる、記憶の渦。ロッタはそのあまりに乱暴な奔流に、頭中を掻きむしられる衝動に堪えきれず……クラリと身を揺らして、とうとう膝を突く。
「あららら……本当に悪魔って、記憶絡みになると弱っちぃんですねぇ。思い出に負けちゃいましたか……」
「そうなの?」
「そうみたいですよ? まぁ、アドラメレクになっている時点で、それなりの実力はあるんでしょうけどぉ……あっ、そうだ! だったらば、モリリン様! この際だから、このおねーさんを本格的にマイ執事さんにしたらどうです?」
「それ、私も考えていたの。この杖……ケーリュケイオンの実力、試させてもらうわ」
「な、何を……?」
黒光する杖を携えて、モリリンがゆらりとロッタににじり寄る。あんなにも無害で、ちっぽけな相手だとばかり思っていたのに。ロッタは絶え間なく続く頭痛の合間に、モリリンにも確実な恐怖を覚えては……ジリジリと後退りしてしまう。
「あら、逃げなくても大丈夫よ? 私があなたをしっかりと使ってあげるから」
誰がお前なんかに、お仕えするものか。
ロッタは咄嗟に抵抗の声を出そうとするが。ケーリュケイオンの赤い宝玉の煌めきに魅入られて、もうもう声も出せないことに気づく。
(こっ、声が……出ない⁉︎ あ、あぁ……力が……抜けていく……)
グニャリと歪むと同時に、沈む視線と意識。そうして、ロッタはとうとう……その場に崩れ落ちた。
「こんなものかしら? ……これ、上手く行ったのよね?」
「うーん、多分、大丈夫じゃないですか? このおねーさんが目覚める頃には、仮契約も隅々まで行き渡っていると思いますしぃ」
「そ? なら、いいわ。この調子で、どんどん私のシンパを集めて……ナルシェラ様のお心も掴んじゃうんだから!」
「はいぃ! その調子でお願いしますぅ! モリリン様なら、きっとできますよ〜」
調子良く、モリリンを煽てるバルドル。しかし、彼は敢えてケーリュケイオンの代償を彼女に説明していない。ケーリュケイオンの特殊効果……「仮契約」を強制的に施し、相手を支配下に置くには魔力ではなく、血統……つまりは魔力の器そのものを消費しなければならない。ケーリュケイオンを持っている間は、杖自身の補助効果により、魔力が強化されたように思えるが。……それが故に、代償の大きさに気づく事ができないようになっている。
(ふふ……便利な力には、代償があるんですよ。モリリン様がおバカでよかったです〜)
ケーリュケイオンの「仮契約」は、言ってしまえば、相手を意のままに操る効果である。相手が例え、天使との契約を持つ「札付き」であったとしても、元の契約を保持したまま新しい契約を書き加える事を可能とする。その「仮契約」を成立させるには、対象者の精神が弱りきっていて、強制的な介入を許してしまう程に隙だらけであることが前提となるのだが……成立さえしてしまえば、古い契約を新しい契約で刷新することになるので、主従の優先度は自ずとケーリュケイオンの持ち主に移るのだ。
(この調子で、もっともっと宝玉を赤ーく染めてくださいね、モリリン様。正直、あなたの人生になんて、興味はありません。……魔力適性をジャンジャン集める事が、本当の目的なんですから)
バルドルが無償でケーリュケイオンをモリリンに貸し出したのは、杖自体が彼の移動ポイントとして機能する他に……こっそりと魔力適性を確保する目的があったからだ。後はケーリュケイオンの宝玉が実るのを待つだけである。
「あっ、でも……ナルシェラに使うのは慎重にしてくださいね。この杖、相手が弱っていないと効果を発揮しませんし……何より、彼には色々と面倒な奴らがくっついていますから」
「……なんだか、もどかしいわね。そいつらもまとめて、私の従者にできないの?」
「いやぁ、それはいくら何でも、無理ですよ。人間ならともかく、ナルシェラの周りは手強い奴らばっかりですし」
それに……本当はナルシェラにこそ、「仮契約」の力は使わないので欲しいのが本音である。そんな事をしたら、間違いなく「周りの奴ら」が黙っていない。そうなったらば、またも計画を台無しにされるかも知れないではないか。
(とりあえず、モリリン様を試金石にしてみましたけど……うーん。おバカなだけならともかく、目立ちたがり屋なのが微妙なんですよねぇ……)
変なところで、ボロが出なければ良いんだけど。
バルドルは尚も話を弾ませているモリリンに適当に相槌を打ちながら、次なる一手を考えている。モリリンはあくまで踏み台だ。もっともっと魔力適性をかき集めて、完璧な神様の依代を作り上げるには、次のステップも進める必要がある。だとすれば……。
(次はこのおねーさんを使おうかなぁ。なんと言っても、悪魔ですからね。しっかりと手駒として、働いてもらいましょう〜)
【武具紹介】
・ケーリュケイオン(光属性/攻撃力+32、魔法攻撃力+136)
バルドルの鱗を魔力の媒介にし、グラディウスの枝を素材に作られた魔法の杖。
黒光する本体に血の色を思わせる宝玉が鎮座しており、見た目は非常に禍々しいが、白蛇・バルドルのルーツに伴い、意外にも光属性である。
高い魔力補填効果を持つ他、精神力が弱体化している相手を一定確率で支配下に置く、「仮契約」を発動することができる。
しかし、この「仮契約」を用いる度に、代償として魔力適性を奪い去る効果があり、過度な利用は非常に危険である。




