7−43 恋愛小説のネタにされそうです
起き抜けに用意されていたのは、清々しいペパーミントのブレンドティー。その鮮烈な香りにスッキリと目を覚ましたディアメロの側には、いつもながらに完璧な佇まいの執事が控えており、優雅な手つきでディアメロの手元にお茶をそっと差し出す。しかし……その執事・キュラータの表情はペパーミントの香味とは程遠く、どんよりと曇っていた。
「キュラータ、大丈夫か……?」
「あぁ、ご心配をおかけ致しまして、申し訳ございません。……表向きは大丈夫ですよ、ディアメロ様」
昨晩も遅くに帰ってきたと思ったら、激しく憔悴した様子であったので、ディアメロも心配していたのだが。キュラータが含みを加えて言うことには、調査の結果に、怪しい秘薬の流通が判明した……というのが、「表向きの悩み」のようだ。
「そうか。それで? 本当の理由は?」
「……ルエル様の暴走に巻き込まれ、恋愛小説のネタにされそうです」
だが、しかし。正直な所は「そういう事」である。キュラータは肉体的な疲労よりも、精神的な疲労が祟って、表情を曇らせていたのだった。
「あぁ……。それはまた、難儀な事だな……」
当然ながら、ディアメロには神界における恋愛小説のトレンドなんぞは、知る由もない。だが……彼もまた、ルエルの乙女暴走が非常に厄介であることを、本当によく知っているのだ。彼女とタッグを組んだナディア妃が、あらぬ方向へはっちゃけたのを間近に見ているからこそ、ディアメロはキュラータへの同情も禁じ得ない。
「……ルエル様も、普通にしている分には頼りになるんだがな。ロマンスに走りがちなのが、ちょっと頂けない」
「完全に同意です。……尚、私めはこの調子ですと、軽く犯罪者扱いされる事になるかと」
「えっ? それはまた……どうして?」
スッキリ爽やかなお茶を口に含みつつ、ディアメロが問えば。キュラータの口から溢れるのは、スッキリ爽やかには程遠い、「けしからん事案」が強制的に推進されている現実だった。しかも、その推進力はルエルプレゼンツによる誤解だというのだから、ディアメロとしても非常に居た堪れない。
「……キュラータ。辛かったら、泣いていいぞ。僕はいつだって、全面的にお前の味方だからな」
「涙こそ出ませんが……ディアメロ様の力強いお言葉とご理解には、救われた気が致します。いやはや、本当に……情けない限りでございます」
メソメソすることはなくとも、心労は嵩むもので。不憫な執事の口から漏れるのは、ただただ絶望のため息のみである。
「それはそうと、本日も調査に向かう予定ではありますが、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構わない。そちらの調査も非常に重要な事だろう」
「お心遣い、痛み入ります。ディアメロ様のご身辺はいかがでしょうか? 私めが不在の間、問題はございませんでしたか?」
それでも、キュラータはディアメロの専属執事。主人に心配をかけるなんて以ての外と、気持ちを切り替え、ディアメロに外出の許可を乞うと同時に、近況を尋ねてみるが。ディアメロから返ってきた答えは、キュラータにとっても絶妙に由々しき状況だった。
「概ね問題ない……と、言いたいところだけれど。どうも、僕とロッタ殿とでは、相性がよくないみたいでな。多分、僕がお飾りの王族なのも、彼女は知っているのだろう。……妙に軽んじられている気がする」
「左様でしたか。それは、誠に申し訳ございませんでした。代役を立てた結果に、ディアメロ様に不愉快な思いをさせてしまったようで……」
「いや、それはキュラータが悪いわけではないのだから、気にしなくていい。それに……僕の思い過ごしの可能性もあるだろうし」
ディアメロはきっと、悪様にロッタを非難するつもりもないのだろう。非常に遠慮がちに、そうおっしゃるものの。キュラータとて、それがディアメロの思い過ごしではないだろうことは、何となく予想できる。身内でもあるロッタの肩を持ってやりたいのは、山々だが。生前の姉・カルロッタの性質からしても、彼女がディアメロを軽んじるのは十分にあり得る。
(姉上はリュシアン坊っちゃま以外には冷たい傾向がありましたし、ディアメロ様の勘は正しいでしょう)
それでなくとも、ディアメロは何かにつけ鋭敏で、非常に機転が利く。同性であることが都合も良いと、お仕えするようにルエルから命を受けたが……キュラータにしてみれば、ディアメロは主人として申し分ない相手であった。ちょっぴり、ミアレット関連で空回りしていることもあるけれど。その不器用さも含めて、キュラータは微笑ましく思っていたりする。
「……でしたらば、本日はディアメロ様のお側に参りましょう」
「えっ? いや、クージェに大事な用があるのだろう? 僕のことは構わず、そちらを優先すればいい」
「もちろん、そちらも重要ではあるのですが……ディアメロ様の身辺を固めることの方が、最優先です。それに、ロッタ殿の動向も気になりますし。必要があれば、忠告をするくらいは許されるでしょう」
「僕もキュラータがいてくれるのは、心強いが……本当にいいのか?」
もちろんです。
すっかり空になったカップを恭しく受け取り、キュラータは満足気に頷くが。内心では姉の意外にして、心当たりのある振る舞いに少しばかり、ガッカリしてしていた。
彼女は確かに、アルフレッド青年の目から見ても、完璧な執事であった。しかしながら、家督を継いで、リュシアンに頼られるようになってからと言うもの……リュシアンばかりを優先し、その完璧さに綻びが出始めていたのも、薄々感じてもいたのだ。……姉は少しずつ、変わっていった。そして……少しずつ、愚かになっていった。
(どうやら、私は姉上の存在を少々美化しすぎていたようです)
ボロボロと思い出せば、思い出す程。自身の中に眠っていた記憶が、そこまで美しくない事にキュラータは気付き始めている。
思い出が丸ごと美しかったのなら、どんなにかいいだろう。だが……ディアメロから聞かされたロッタ像と、記憶に燻る違和感が妙に共鳴している気がして。今を悪魔として生きるロッタの様子を見つめることで、醜い思い出にも向き合わなければならないかと、キュラータはそっと覚悟を決めていた。




