7−41 ちゃんと働いてくるから、捨てないで
「何てことをしてくれたんだ、ルルド!」
「ヒィッ! パッ、パパ……ごめんなさいぃぃぃ〜!」
夜の帷も降りた、真っ暗闇。結局、生意気な執事を叩きのめすどころか、返り討ちにされてスゴスゴと帰ったルルド坊っちゃまであったが。何かの取引をしてきたらしいマーコニー男爵(つまりは、坊っちゃまのお父様)が帰宅するや否や、頬を張られ、激しい怒号を浴びせられていた。
「お前のせいで、取引が全て停止した! この責任、どう取るんだ……?」
「どう取るって、言われても……僕は、ただ、ちょっと生意気な平民に分からせようとしただけで……」
ルルドは感情が赴くまま、軽い気持ちで仕返しをしようとしただけだったが。そもそも、コトの発端はルルドが勝手に絡んだだけで、ただの逆恨みである。しかも、一方的に吹っかけた喧嘩をアッサリと返り討ちにされたと言うのだから……情けないにも程がある。
「お前達もお前達だ! ルルドの頭が足りないのは、よく知っていただろうに! どうして、止めなかった⁉︎」
「も、申し訳ございません、旦那様!」
「だけど、坊っちゃまのご命令に、俺達が逆らえるはずもないでしょうに!」
しかも、使用人もこの体たらくである。様子からするにルルドを止めるどころか、一緒に楽しんできたのだろうと踏んでは、マーコニー男爵は「お気に入りのステッキ」で使用人達に殴りかかる。もう、何もかもが憎たらしい。マーコニー男爵の心は憎悪と憤懣とで、ギッチギチに張り裂けそうになっていた。
「お、お許しください、旦那様ッ!」
「うるさい! お前達が止めていれば……あんな奴らを雇っていなければ!」
「そんな、理不尽なッ⁉︎」
彼のステッキは純金製のグリップに魔術師っぽい意匠をふんだんに散りばめ、ゴージャスかつマジカルな印象を与える素敵な逸品。しかし……魔力適性を持たないマーコニー男爵に握らせたらば、ただの鈍器である。素敵なステッキは魔法道具でもないため、物理的な殴打だけで済んだのは、せめてもの救いか。
「うっ……」
しかしながら、魔法を使えないのは使用人達とて同じこと。攫った少女と同じように、魔法で回復してもらえるはずもなし。哀れ、使用人達はマーコニー男爵に散々打ち据えられ、手酷い打撲による痛みで床をのたうち回っている。
「お前達が雇ったゴロツキ共が、あらぬ噂を広めてくれたようでな……! 事実無根だと訴えたが、薬種商人にとって暴力沙汰の風評被害は致命的だ。しかも、選りに選って、取引先の奴らもルルシアナに乗り換えるとほざきおってからに……!」
噂はあらぬものでもないし、事実無根ではなく事実有根なのだが。続くマーコニー男爵の話によれば、あっと言う間に広がった噂は、マーコニー家の販路を確実に狭め、取引先から強気な値下げ交渉を吹っ掛けられるに至ったらしい。だが、マーコニー男爵には秘薬……延いては魔力適性を得るという野望がある。一服でさえも、白銀貨1枚で取引される「ヴァルヴェラの微笑」を手に入れるには、値下げ交渉に応じるわけにはいかなかった。
「とにかく、ルルド! 貴様は勘当だ! 今すぐ、屋敷から出ていけ!」
「そんな⁉︎ 家もグルメもないんじゃ、死んじゃうよ!」
「知らん! 第一、お前はいつもいつも、余計な散財をしおってからに! お前のような穀潰しはいらん!」
「ヒィッ⁉︎ パパ、僕を捨てないで! 僕、死にたくないッ!」
あまりに情けないルルドの様子に、流石のマーコニー男爵も素敵なステッキを振り上げる気力さえ持てない。足元で涙と鼻水で顔を醜く汚しているルルドの姿には、気が滅入るものがあるし……何より、これが自分の息子だと思えば思う程、忌々しすぎて吐き気がする。短絡的で、非常に怠惰。こんな事ならば……長男・エリシオを手元に残しておけばよかったと、マーコニー男爵は遅過ぎる後悔のため息をついていた。
(あれが出て行ってから、1年か……。手紙の1つも寄越さないし、今頃、どうしているのかさえ分からんが……。あれは堅物だった分、商売には向いていたのかも知れん)
ルルドはマーコニー家次男である。しかし、兄に当たるエリシオは父であるマーコニー男爵と折り合いが悪く、成人と同時に家督を捨て、平民として働く道を選んだ。……どうやら、エリシオは父親の強行路線が気に入らなかったようで。クージェの薬品市場をほぼ独占しているのをいいことに、マーコニー商会が強硬な値上げに踏み切ったのが我慢ならなかったらしい。
いずれにしても、いなくなってしまったものは仕方がない。今すべきことは、新しい取引先と販路の確保である。そして、悪い噂で持ちきりなマーコニー商会を相手にしてくれそうな人物ともなれば……。
「……ならば、ルルド。お前に最後のチャンスをやろう」
「えっ?」
「とある相手にご奉仕し、契約をもぎ取ってこい。それができたらば、一応は家に置いてやる」
「ほ、本当、パパ⁉︎ そ、それで、僕は……」
誰と交渉してくればいいの?
自力で生きていく気概なんぞ、さらさら持ち合わせていないルルド坊っちゃまは顔を上げ、期待いっぱいで父親を見つめるが。マーコニー男爵が口にした「交渉相手」は、ルルドが知らない相手であり……それでいて、実の所は非常に危険な人物だった。
「ヴァルヴェラの微笑を取り扱っている、プリカント様の元で働いてこい。小間使いを探しているとおっしゃっていたし……お前は少し、働くことも覚えた方がいい」
「えぇ……僕、働かないといけないの……?」
「この期に及んで、まだそんな事を……! それが嫌ならば、即刻出ていけ!」
「あっ、分かった! 分かったよ! 僕、ちゃんと働いてくるから、捨てないで……!」
プリカントなる相手がどんな人物なのかは、知らないが。働かなければ、明日はないともなれば……ルルドは従わざるを得ない。そうして、とりあえずは一安心と、意気揚々と自室へ帰っていくルルドであったが。……マーコニー男爵が既に自分を切り捨て、兄を手元に戻すことに決めているなんて、夢にも思わない。
【登場人物紹介】
・エリシオ・マーコニー
霊樹戦役後に叙爵された、新興貴族の一家・マーコニー男爵家の長男。現在19歳。
父親よりも祖父(マーコニー商会創始者)の元で商人としての心得を学んだせいか、野心家で強欲な父親とは異なり、非常に勤勉で真面目な性格。
それが故か、祖父・実母が立て続けに亡くなった後に、横暴なマーケティングに走った父親と、その結果に得た暴利で贅沢三昧に耽る弟に辟易し、成人と同時にマーコニー家とは縁を切っていた。
現在はルクレス地方の大都市・カーヴェラのルルシアナ商会・マーケティング部門で働いている。




