7−40 全ての思い出が美しいとは、限りません
そろそろ、ソワレも終わる時間だろうか。辺りはすっかり暗くなり、遠くの夜空には星がいくつも瞬いている。そんな少しばかり明るい闇夜に紛れ……オフィーリア魔法学園本校・学生寮の屋根に、アドラメレク・ロッタが音もなく舞い降りる。
(モリリンの部屋は322号室……。それにしても、魔法学園というのは、学生寮の規模も大きいのですね。果たして、何人の生徒が親元を離れて生活しているのやら)
ロッタが呆れるくらいに広大な敷地を誇る魔法学園は、各種設備が広々としているだけではなく、学生寮もかなりの規模だ。しかも、学生寮の利用は基本的に無料だというのだから……魔術師の卵というのは相当に貴重な人材であるのだと、ロッタは生徒達に対する厚遇っぷりをまざまざと理解していた。
(魔法を使えるだけでいいのなら、悪魔を頼ればいいだけのこと。ここまで人間を遇する必要はない気がしますが……しかし、人間界のことは人間に委ねようということなのでしょう。これに関しては、私が口を挟む必要もありませんね)
ロッタはまだまだ人情味を残していると見せかけて、本能的に人間が嫌いだったりする。記憶がないため、なぜ嫌いなのかは分からないまま。少なくとも、アドラメレクが「主人に裏切られて発生する悪魔」であるとされている以上、燻る記憶がそうさせるのだと、ロッタ自身は考えていた。
そんな彼女がディアメロの側仕えに任命されたのには、サタン城の家令・ヤーティの采配によるものではあるが。ロッタ自身が人間界に出る事を望んだためと、毛色が違うロッタに興味津々なアドラメレク・メイド達の浮かれ具合を憂慮してのことである。
「闇堕ちした時代が近いので、人間界に出たらば、記憶が呼び起こされる可能性は大いにあります。それを望むというのならば、止めはしませんが……しかし、全ての思い出が美しいとは、限りません。……少しでも違和感や不調を感じたらば、すぐに魔界に戻ってきなさい。いいですね?」
ロッタが人間界へと、出ていく間際。主人たるサタン……ではなく、ヤーティから口酸っぱくそんな事を言われはしたが。未だに不調らしい不調もないため、ロッタはあまり実感を持てないでいる。少なくとも、ヤーティのお言葉は有難いに違いないが、やや過剰な空気感もあり……ロッタは少しばかり、窮屈に感じてもいた。
(ヤーティ様は何かにつけ、心配性なのですから。今のところ、ディアメロの相手は苦ではありませんが……凡庸な相手なので、つまらないですね)
仮初の主人として紹介された王子・ディアメロは、ロッタにとっては物足りない相手であった。ただただ煌びやかなだけの、人間の王子。表向きは主人と仮定して、従ってやってもいいが……忠義を尽くすほどの相手ではないと、ロッタは内心でディアメロを見下している。
(それよりも、私はミアレットが気になります。カテドナ様をして、あそこまで言わせるとなると、相当に優秀な人材に違いありません)
実を言えば、カテドナはアドラメレク・メイドの中でも相当な実力者である。追憶越えはしていないそうだが、生前の記憶はほぼ取り戻しているらしく、人間界にも素早く順応できるだろうと踏んでの抜擢だったとも聞いている。そのため、ロッタはカテドナ程の悪魔が甲斐甲斐しく傅く相手が気になって仕方がない。
(いずれにしても、ミアレットに恩を売るのは無駄ではないでしょう。……女神の愛し子の覚えは、めでたい方がよろしい)
意外や、意外。元来の性分なのか、悪魔としての性分なのかは、定かではないが。ロッタは非常に打算的であり、計算高いのだ。彼女がミアレット達に助力を申し出たのには、純粋な親切心以上に、カテドナが心酔する相手ともよしなに付き合っておこうと損得勘定が働いた結果に過ぎない。
そんなミアレット達が午後の授業を受けている間は自由時間であるのをいいことに、ロッタはお嬢様達の望みを叶えるべく、情報収集に勤しんでいた。その結果、モリリンは女子寮の3階にある一室であることを突き止めたまでは、よかったが。キュラータの不在を埋める名目もあり、一旦はディアメロと一緒にグランティアズ城へ帰らざるを得ず……こうして、単身、調査のために魔法学園へ舞い戻ってきた次第である。
(この時刻でしたらば、王子はとうにお休みでしょうか。それなのに……モリリン嬢のお部屋はまだ、灯りが点いているようですね。お勉強しているのであれば、非常に感心ですが……)
そうではないだろうなと、ロッタは煌々と光を漏らす窓を睨みながら、情報収集の結果を思い出す。
モリリンは確かに、優秀な魔術師ではあるらしい。ミアレット達からすれば上級生でもあるため、より魔法に長けているのは、当然と言えば、当然であるが。しかして、モリリンが勉強熱心かと言われれば……やや異なる評判が聞こえてきたものだから、少なくとも、彼女は遅くまで勉強するほどに真面目な生徒ではなかろうと、ロッタは結論づける。
モリリンは炎属性の魔術師だ。そして、彼女の魔法技術を支えているのは、勉強で培った知識ではなく、実技で培った直感であるらしい。やや直情的な彼女の気質と、炎属性の特性とがうまく噛み合ったため、モリリンは魔法実技の成績は高スコアを叩き出しているようだが……座学の成績はお世辞にも、よろしいとは言えない水準であった。
「全く、夜更けに抜け出して……。ロッタ、帰りますよ」
屋根の上で「はて、奇怪な」と首を傾げるロッタの背に、涼やかな声がかけられる。あまりに聞き覚えのある声に慌ててロッタが振り向けば……そこには、いつも通りに澄ました表情のカテドナが立っていた。
「カテドナ様……」
「ディアメロ様が心配していましたよ。……モリリンの監視は主人を心配させてまで、する事ですか?」
「も、申し訳ございません。まさか、ディアメロ様に気づかれているとは、思わず……」
とっくに休んでいると思っていた王子は、ロッタが出かけていたことに気づいていたらしい。相手は普通の人間だと思っていた手前、王子に気づかれるだなんて不覚にも程があると、ロッタは悔しそうに唇を噛む。
「ディアメロ様にお仕えするのが、不服なようですね?」
「い、いえ、そのような事は……」
「でしたらば、その程度の不服は隠し通しなさい。あなたの所作には、所々に人間達を小馬鹿にしている様子が滲み出ています。ミアレット様相手には、きちんと立ち回っていたようですが……ディアメロ様は最初から気づいておいででしたよ。あなたの不服を見透かし、ミアレット付けにした方が良いのではないかとお気遣いまでなさる始末」
「なっ……⁉︎」
思わず、ちょっぴり反抗的な声を出してしまい、またも慌てて「申し訳ございません」と頭を下げるロッタであったが。使用人として大先輩のカテドナが、この程度で追及の手を緩める事はなく。失望の気色を含んだ深いため息と一緒に、ロッタに追い討ちをかける。
「使用人はチヤホヤされる存在ではありません。あくまで、主役は忠誠を誓うべき主人でなければならないのです。どうも、あなたは色々と勘違いしているようですね。指定のメイド服ではなく、燕尾服にこだわるのは、目立ちたいからでしょう? 違いますか」
「違います。慣れているし、動きやすいからです……」
「……左様ですか。でしたらば、あなたの勘違いは悪魔になる前からということになりそうですね。無論、女性執事がいけないと申すつもりはありませんが、本日の振る舞いには及第点すら差し上げられません」
そうして、カテドナが「及第点」の基準を事細かく並べるが、どれもこれもロッタには耳が痛い内容ばかり。
まず、ロッタは昼食の際にお茶のサーブを一切していない。言われてみればその通りで、カテドナはミアレットやアケーディアだけではなく、ディアメロ達にまで完璧なタイミングと温度で紅茶のお代わりを注いでいたが、その一方……ロッタがしていたことと言えば、ミアレット達と内緒話をすることくらい。しかも、その内容もカテドナに筒抜けである時点で、間抜け過ぎる。
「その上、午後はご令嬢方から噂話を集めていただけでしたね。ディアメロ様には授業はないのですから、主人たる彼の側にいなければならないでしょうに。……男装の麗人と持て囃されるのが、そんなにも楽しかったのですか?」
「いいえ、そうではなく! この衣装の方が、スムーズに話を集められるかと……」
「……もう結構です、ロッタ。ミアレット様にご協力くださるのは感謝しますが、業務の優先順位くらいは見誤らないようになさい。明日からはきちんと、ディアメロ様のお側仕えを優先すること。いいですね?」
「承知、しました……」
カテドナの指摘は正しいと理解できる一方で、どうして自分がここまで怒られなければならないのかと、ロッタは心の隅で不貞腐れていた。それに……周囲に「格好いい執事」だと誉めそやされる事は、甘美であると同時に、どことなく懐かしくて。彼女には周囲の注目と耳目を集める事は、やめられそうにない。




