7−37 執事はげに恐ろしい
「こいつがどうなっても良いのか!」
すぐ後ろで、坊っちゃまの声がするが……キュラータはもちろんのこと、拘束されているリリカでさえも、彼の無計画っぷりに呆れている。なぜなら……。
(えっと……。この状態で、どうなっても良いのかって言われても……。ただ、捕まえられているだけな気がする……)
そうなのだ。あいにくと坊っちゃまは剣どころか、ペーパーナイフさえも握ったことのない超温室育ち。握るナイフと言えば、バターナイフくらいのもの。自分で武器を振るう習慣なんぞないものだから、この場でも当然の如く、丸腰である。リリカの首元にナイフの一振りでも添えられていれば、脅しも成立するのだろうが。……ただ少女を盾にして立たせているだけなのだから、間抜けにも程がある。
「うぬ〜! うぅ〜‼︎」
「わっ、コラ! 暴れるなって!」
脅しの武器もないと判断するや、否や。リリカはまたも、ありったけの力で暴れる、暴れる。しかし、活きもよく暴れすぎたのがいけなかったのだろう。リリカの予想外の抵抗に、堪らず坊っちゃまが手を離してしまうと同時に、リリカの身が意図せず床へと放り出された。
「キャゥッ⁉︎」
すぐさま響くは、短い悲鳴と「ゴッ!」と床を鳴らす不穏な鈍い音。その瞬間、リリカの後頭部に焼けるような痛みが走った。
「あっ、あっ……!」
一方の坊っちゃまは、さっきまで元気すぎた少女が急に静かになったことに、自身の血の気が引いていくのを感じていた。生意気な執事を平伏させて、溜飲を下げるだけのつもりだったのに。まさか、自分の行いで少女が瀕死になるなんて、思いもしていなかったのだ。
「リリカ嬢! リリカ嬢ッ⁉︎」
ピクリとも動かない小さな体は、だらりと床の上で弛緩している。きっと、頭を強く打ってしまったのだろう。キュラータの声に僅かな反応を示すものの……リリカの視線と感覚は朦朧としつつある。
「貴様、よくも……!」
「ヒィっ! ぼっ、僕は悪くないもん! 大体、こいつが暴れたのがいけな……」
「そんな言い訳、通用するか! 大体、貴様がこのような馬鹿げた事をしなければ、良かっただけだろうが!」
ビキビキと青筋を立て、既に慇懃な言葉遣いと態度を忘れた執事はげに恐ろしい。
改めて見やれば、彼の手にはいつの間にやら、禍々しいメイスが握られている。そんなメイスで、苛立ち紛れに床をドスンとやれば。周囲を揺るがす衝撃と同時に、彼の足元に大袈裟なクレーターが出来上がっていた。
「覚悟は出来てるんだろうな、この愚か者ども……! 1人残らず地獄に送ってやるから、覚悟しろ……!」
「い、いや! 俺達はただ、坊ちゃんに雇われただけで!」
「そうそう! だから、悪いのは坊っちゃまだけだし……」
「ほぉ……? この期に及んで、まだ言い訳を垂れるとは……良い度胸だな?」
グルリと周囲に睨みを効かせたと思った矢先に、キュラータの姿がジワリジワリと変化していく。そうして、狂気の本性を顕した執事は、葵色の花を所々に咲かせた漆黒の甲冑姿の怪物へと成り代わっていた。
「全員まとめて、粉砕してくれる……! 貴様ら、地獄へ旅立つ準備はできたか……?」
そんな準備、できるはずもなかろうに。
坊っちゃま一味と暴漢達は、想定外すぎる窮地にワナワナと震えるばかり。堪らず数人が出口へと逃亡を試みたが……しかして、それを見逃す程、怪物はやっぱりお優しくもなく。重厚な見た目に反して軽やかな動きで跳躍すると、出口付近に殺到していたならず者達を一思いにまとめて薙ぎ払う。
……どうやら彼は宣言通りに、全員まとめて木っ端微塵にするつもりのご様子。大袈裟な衝撃音の後に残されたのは、粉々に粉砕された壁と、散り散りに横たわる男達の無残な姿だった。
「……このモーヴエッジに二言はない。1人残らず、駆逐して……」
「ハイハイ、キュラータ。暴れるのは、そこまでにしておきなさいな。人の子を必要以上に怖がらせるものではなくてよ?」
彼が恐ろしいメイスを振り上げたところで、上の方から涼やかな声がする。そうして、間髪入れずに高い所からシュタっと登場したのは、妙に艶めかしい姿の女である。
「まぁ、珍しい。あなたがこんなにも怒るなんて。ウフ。本当に面白いわ」
言葉と態度からするに……彼女こそが彼の主人なのだろう。女のご機嫌を損ねぬうちにと……仕方なく、メイスを素直に下ろすと同時に、元の姿に戻るキュラータ。だが、姿は沈静化しても、感情はとてもではないが鎮まることもなく。ようよう丁寧な言葉遣いは取り戻したが、語気は強く、主人を詰りにかかる。
「遅い! ルエル様、今までどこにいたのです!」
「あら、ごめん遊ばせ。これ、意外とキツくて……ちょっと、準備に手間取ってしまいましたわ」
「準備とはまさか、その衣装のことでしょうか……?」
「そう! これよ、これ! ふふ……どう、格好いいでしょ? やっぱり女スパイと言ったら、ピチピチなライダースーツよね! これ、一度やってみたかったの!」
「……」
本物のスパイは堂々と「自分はスパイです」とは言わないと思う。
登場が遅れた上に、遅刻の言い訳があまりに情けなくて。キュラータは脱力ついでに、強制的に狂気が鎮静化されていくのを感じていた。
……やはり、天使というものはズレている。憧れを原動力にするのは、大いに結構だが。大事な時にいないのは、それはそれで罪ではなかろうかと……キュラータは当然の指摘をする気力も持てないまま、渋々とルエルに追従する。いずれにしても、彼女が到着したとあらば、リリカの無事は保証されたようなもの。まずまず一安心といったところか。
(あぁ。さっきまで感情を昂らせていたのが、馬鹿馬鹿しく感じますねぇ。しかし、この間抜け加減はどうにかならないものでしょうか……)
振り上げた拳を下げるだなんて、格好悪いにも程があるけれど。坊っちゃま達に恐怖を与えられただけでも、良しとすべきだろうと、キュラータは大人な判断で仕方なしに割り切った。




