7−36 ご主人様のご趣味とご意向
キュラータとルエルが勇んでやってきたのは、クージェ湾岸地帯に広がる「倉庫街」。その中でも、第4区画と呼ばれる一角はやや内陸側に位置しているため、見える景色に海の色はなく。ただただ地味な色のコンテナが整然と積み重ねられた、味気ない風景が連なっている。
「今時、こんな所があるのですね。もしかして、クージェは未だに海路を使っているのかしら?」
「いいえ? このコンテナ郡はかつての名残でして。今は専ら、商人達向けの貸し倉庫として有効利用されています。しかしながら、今回の主犯であるマーコニー男爵家は魔力適性を持たない一族でしたから、運送手段に空輸はあるかも知れませんねぇ」
招待状には差出人の署名はなかったのに、キュラータは犯人はマーコニー男爵家の坊っちゃまだと断定しては、フンと鼻を鳴らす。そんな従者の様子に……「本当に仕方のない子ねぇ」とルエルは呆れてしまうものの。面白い事になってきたのには変わらないと、彼女の口元は緩んだまま。……こちらはこちらで、やっぱり「仕方のない子」である。
「それで? どうされるの?」
「まずは私1人で正面突破と参りましょう。……間抜けにも、1人で来いとは明記されていませんでしたが。先方がお望みのシチュエーションは袋叩きでしょうから」
「それもそうね。でしたら、私は別口から潜入しようかしら? リリカちゃんの確保は任せなさいな」
なんだか、スパイみたいでワクワクするわ。
やっぱり別方向に興奮冷めやらぬルエルを見つめては、キュラータは「主人選び、間違えたかもなー」とぼんやりと思ってしまう。それでも、彼女の拳と闘志は本物だと思い返しては、「その通りです」と肩を竦めて。ご主人様のご趣味とご意向に従うまでだった。
***
(ヴぅ。ここ、どこ……?)
朦朧とした意識の中で、朧げに見えるのは……殺風景などこかの一室。口元には猿轡、両手には荒縄。リリカは身動きを許されない状態で、ちょっと古ぼけた柔らかなソファに転がされている。幸いにも怪我はないため、痛みは感じないが……フワフワと神経が浮いていて、危機感よりも先に、ひたすら気分が悪い。
(確か、学校に行くのに待ち合わせをしてて……)
いつも通りの朝だったはずなのに。それなのに……どうして、自分はこんな所に転がっているのだろう。
リリカには攫われる心当たりもなければ、攫われる理由もない。何せ、リリカは何の変哲もない平民なのだ。身代金目的だったとしたらば、貴族のお嬢さんを攫った方が遥かに効率が良いに違いない。
「お待たせしましたね、お坊っちゃま方。約束通り、参りましたので……リリカ嬢を解放していただけますでしょうか?」
(こ、この声……キュラさん⁉︎)
リリカがあれこれと思い悩んでいると、横向きの視線の奥には、キュラータらしき影が確かに見える。縦長で細身であるけれど……重厚な雰囲気を醸し出している、印象的な佇まい。今日は漆黒ではなく、濃紺の燕尾服を着ているが、全てにおいて隙がない雰囲気はちっとも変わらない。
「さて。どうして、こんな馬鹿げた真似をしたのですか……は聞かずもがなでしょうかね? そんなにも相手にされなかったのが、悔しかったのですか? ルルド・マーコニー坊っちゃま?」
「なっ……! お前、どうして僕の名前を知ってる……あっ、そうか! 僕は有名人だもんな! マーコニー家と言えば、クージェを支える主要貴族! 使用人如きでも当然、僕の名前を知って……」
「いいえ? 正直なところ、あなたの名前なんぞ、どうでも良かったのですけどね。……折角ですから、潰して差し上げる相手くらいは把握しておこうと思った次第です」
そこまで嘯いて、キュラータはわざとらしく慇懃に一礼する。どこまでも傲岸不遜、大胆不敵。示し合わせたように大勢のならず者達に囲まれても、涼しい表情を崩そうともしない。
「い、言っておくけど! 抵抗したら、この娘の命がどうなるか分かってるんだろうな⁉︎」
「えぇ、存じてますよ。でしたらば、お望み通りに袋叩きにすればよろしい。……クク。いっその事、この執事めを殺してみます? ……できるものなら、それでも構いませんよ?」
ちょっと待て。煽るにしても、なんて事を言い出すんだあの執事さんは。リリカはキュラータの大胆さに度肝を抜かれると同時に、「自分のせいで、キュラさんが死んじゃう!」と、ようよう戻ってきた神経をフル稼働させて、バタンバタンとソファの上で暴れるが……。
「んー! んー‼︎ んんぅ〜ッ!」
「おい、小娘! 大人しくしろ!」
「うぐっ……⁉︎」
意外と元気な少女を黙らせようと、暴漢の手が彼女の首根っこを掴み、グラグラと揺らす。そうされて、リリカの視界が横向きから縦向きに修正されるものの。勢い、彼女の目に飛び込んできたのは、男達の襲撃を受けて崩れ落ちるキュラータ……ではなく。微動だにしないまま、振り下ろされた武器を悉く弾いては、平然としている執事の姿だった。
(え……? えっ⁉︎ キュラさん……あんなに叩かれて、痛くないのかな……?)
首元へ突き立てられた剣は折れ、脳天を直撃した棍棒は歪んで。まるで、キュラータ自身が鋼鉄でできているかのように、ただ立っているだけで全ての武器を逆に破壊し尽くす。
直立不動のまま、微動だにしない姿は鉄壁。顔に張り付いた微笑は、悪魔の如し。その様子に……お坊っちゃま達は遅まきながら、悟るのだ。……こいつは人間じゃない。きっと、悪魔だろうと。
「き、貴様……もしかして、悪魔なのか……?」
「ふむ? 悪魔なのか……とは。今更ですか? その通り……ではないにしても、まぁ。人間ではないことだけは、確かでしょうかねぇ」
よく分かりましたね。偉いですよ、坊っちゃま。
さも小馬鹿にしたように、パチパチと拍手をする執事はあるが。彼をボコボコにしてスッキリするはずだったのが、傷1つ付けられないどころか、叩いている方が疲れ果てるだなんて……なんの冗談であろう? 見れば、彼を叩きのめすはずだった暴漢達は、漏れなく肩を揺らしては、息切れしているではないか。
「さて……気は済みましたか? とにかく、リリカ嬢をそのまま返してくだされば、私めの方から事を荒げるつもりはありませんよ。マーコニー家は潰させていただきますが、お命までは頂戴しません」
「なっ、なっ……!」
とんでもない相手を引き込んでしまったことに、坊っちゃま一味は生きた心地がしないと同時に……遅すぎる後悔をし始めるが。坊っちゃまは非常に残念なことに、プライドだけは有り余っている、極度の負けず嫌いでもあった。
「う、動くな! こいつがどうなっても良いのかッ⁉︎」
そうして当然のようにリリカを盾にして、ありきたりな台詞を吐くのだ。彼女を助けたければ、いう事を聞け……と。




