7−35 いっそのこと、全力で推させなさいッ!
(そう言えば、キュラさんにどうやったら執事さんになれるのか、聞けなかった……)
あくる日の朝。楽しいミュージカルの余韻を残した、登校時間。リリカは買ってもらったパンフレットを胸に抱き締めながら、キュラータに聞きそびれたことを思い出していた。
ミュージカルの観劇料に、パンフレットやお菓子。いずれもリリカがもらっている普段のお小遣いでは、気軽に買えないものばかり。それをポンポンと自分の分だけではなく、少女達の分まで顔色1つ変えずに支払えるのだから、キュラータの給金は相当にいいのだろうと、リリカはぼんやりと考える。
(でも、お給料のことだけじゃなくて……執事さんになって、キュラさんと一緒に働いてみたいなぁ……)
ミュージカルで女性執事の存在を知ったこともあり、リリカの興味はリュシアンの生い立ちよりも、「どうやったら執事になれるか」に傾き始めている。それでなくとも、キュラータは(ちょっと顔は怖いけれど)所作がどこもかしこも洗練されていて。リリカにとって、彼は「格好いい大人」としてインプットされていた。
「……ちょっと早く着いちゃった」
昨日の素敵な出来事について、友達とたくさんおしゃべりしたい。そんな逸る気持ちを抑えることができず、リリカはミリエとメアリアとの待ち合わせ場所に一足先に着いてしまったが、今の彼女に退屈なんてものはなく。きっと、彼女達も同じ気持ちだろうとリリカは一人でクスクスと笑いながら、楽しい出来事で胸を膨らませている。しかし……。
「むぐッ⁉︎」
突如、背後から口元を何かの布で覆われるリリカ。僅かな抵抗を許されることもなく……意識はすぐさま暗闇の中へと囚われていくと同時に、彼女の身は乱雑に担ぎ上げられていた。そんな意識を失ったリリカの手元からは思い出のパンフレットが名残惜しそうに、ハラリと落ちる。一方で、そのパンフレットを意味ありげな嘲笑まじりで「誘拐犯」の1人が拾い上げると、とある相手に向けてのメッセージを貼り付け……彼らは首尾も上々と裏道の雑踏へと走り去っていった。
***
(ルエル様にご納得いただけたのは、ありがたいのですが。どうして、こんな事になったのでしょう……?)
自由行動を許してもらう代わりに、キュラータがルエルから課せられた「お約束」はたった1つ。「その日の出来事を嘘偽りなく、きちんと報告すること」……のみである。しかしながら、昨日の報告書が非常に刺激的だったのだろう。「素敵なミュージカルがある」と知るや否や、ルエルは観劇に勤しむことにしたらしい。キュラータの目前では、ルエルがキャッキャとはしゃぎながら歩いていた。
(本当に、天使様というのはミーハーなのですねぇ……。まさか、リュシアン坊っちゃまが神界でフィーバーするとは、夢にも思いませんでした)
そうして否応なしに、キュラータは「ミュージカルを観に行くわ!」と息巻いている彼女のお側仕えとして、従っている次第。もちろん、素晴らしいミュージカルは何度観たっていいものだ。観劇に関して、文句はないものの……そこに付随し始めた誤解が非常に悩ましく、キュラータは新たに浮上した問題に頭を抱えている。
「ウフ……キュラータも隅に置けないのですから。そんなに可愛らしかったの? そのお嬢様達は」
「えぇ、まぁ。確かに可愛げはありましたし、子供ならではの素朴で素直な感性は、非常に新鮮でもありました……って、いやいや。私めには彼女達への恋慕は一切ございませんよ? 第一、外観の年齢差を考えたらば、明らかに事案でしょうに」
そう、確実によろしくない方面の事案である。
片や、外観は30代と思しき、長身の強面執事。片や、まだまだあどけなさを残す、純真無垢な少女達。幸いと、キュラータの佇まいは不審者扱いされない程度には、上質ではあるものの。……字面だけ見れば、背徳的なのは否めない。
「そんな事はありません! 純愛の力は、歳の差相手でも無敵ですわ!」
「……この場合はかなりの部分で、無力だと思いますよ。精霊と人の子では、歳の差以前の問題が山ほどありますし」
「まぁ、何を弱気なことをおっしゃってるの⁉︎ 鋼鉄の執事と無垢な少女の組み合わせなんて、素敵じゃありませんこと? 萌えますわッ! 映えますわッ! いっそのこと、全力で推させなさいッ!」
ダメだ、こりゃ。
キュラータは事ある毎に発揮される天使様のハイテンションに、もうもう付いて行けませんと、額に手をやり天を仰ぐ。しかして、その天の先にいるのが彼女をミーハーに育て上げた女神様である事にも、すぐさま気づいて。キュラータは祈る先は魔界(悪魔)の方がいいのだろうかと、思わず馬鹿な事を考えてしまっては、ますますゲンナリしていた。
(まぁ、いいでしょう。調査の口実を稼げたと思えば、多少の勘違いくらいは許容しませんと)
ミュージカルの内容は創作を大いに含むため、史実を探る場合は参考程度にもならないが。民間でリュシアンがどのような捉え方をされているかを知るには、十分だ。そして、昨日のミュージカルを観る限り……リュシアンやヴァルヴェラ、そして、カルロッタに対するクージェ民の視線は非常に好意的であると言えるだろう。
(ファニア家とハルデオン家の結びつきは、それこそ純愛で片付けられていました。後ろ暗い事情については、しっかりと箝口令が敷かれていたと考えるべきですか)
そして、その箝口令を敷いたのは……言わずもがな。当時のハルデオン家当主であったことは、疑いようもない。もしかしたら、例の症状が「流行り病」とされていたことから察するに、疑われることさえなかったのかも知れないが。
(やはり、ハルデオン家を徹底的に洗う必要がありそうですね。……姉上が帝王様に直訴するに至った理由も含めて、鍵を握っていそうです)
トキメキが止まらない様子のルエルを尻目に、尚も「何故、カルロッタが死ななければならなかったのか」に固執するキュラータ。しかし、そんなキュラータの耳に聞き覚えのある声で、悲痛な訴えが響いてくるではないか。驚いて、声のする方を見やれば……そこには、ミリエとメアリアが肩で息をしては、ゼェゼェと呼吸を弾ませていた。
「ミリエ嬢に、メアリア嬢ではありませんか。どうされました?」
「キュ、キュラさん……!」
「よかった、見つかって……!」
彼女達の言葉からするに、余程に一生懸命キュラータを探していたのだろう。しかし、あんなにも仲が良かったはずの3人組が2人に減っていることに……キュラータはじっとりと嫌な予感を募らせる。
「そのご様子ですと……リリカ嬢に何かあったのですね?」
そして、当然の予測を呟けば。少女達は瞳に涙をいっぱいに浮かべて、懸命にコクコクと頷く。
「リリカ、いつもの場所にいなくて……」
「それで、それで……! 多分、攫われちゃったみたいなの……!」
「左様でしたか。……でしたらば、すぐにお迎えに上がらなければ。お嬢様方、彼女の行方にお心当たりはございませんか?」
「ま、待ち合わせ場所に、これが……」
メアリアが震える手で差し出したのは、思い出のパンフレット。しかし、華々しく印刷されたリュシアン役の青年の顔を隠すかのように……乱雑なメモが貼り付けられているのに、キュラータはたちまち残念な気分にさせられる。
“キュラータとやら
娘を助けたくば、倉庫街第4区画に来い”
「……なんともまぁ、ストレートで捻りのないお誘い文でしょうか……。いずれにしても、承知しました。……リリカ嬢を助けに行かねばなりませんね」
「キュラさん、大丈夫? 警護隊に相談した方が……」
「あぁ、いえ。大丈夫ですよ。むしろ、そのような方達がいたらば、足手纏いになります」
「そ、そうなの……?」
その自信、どこから来るのだろう? 少女達はいかにも頼もしいキュラータの様子に、涙目のまま首を傾げてしまうが。しかし、キュラータには別の懸念があるようで……すぐさま、こちらの様子をニコニコと窺っていたルエルに話を向ける。
「ルエル様。誠に申し訳ございませんが、ミュージカルの観劇は延期となりそうです」
「えぇ、もちろんよろしくてよ? お話の向きからするに……私もご一緒した方が良さそうね?」
「その通りです。……リリカ嬢の身に、万が一があった場合も想定せねばなりません」
「……!」
キュラータの当然の予想に、みるみるうちに顔を青ざめさせるミリエとメアリア。そうして、またも瞳一杯に涙を溜め始めるが……。
「ウフ……大丈夫よ、お嬢さん達。私がいれば、大抵の大怪我はなかった事にできますわ」
「えっ……?」
「リリカ、無事に帰って来れるの?」
「もちろん。ですから、ここは私とキュラータに任せて、お嬢さん達は安心してお帰りなさいな。悪人をバッチリ懲らしめて、お友達をシッカリ助けて参りますわ!」
不安を拭えない少女達の頭を優しく撫でて、得意げにウィンクをするルエル。そうされて、少女達は涙を拭って「お願いします」と律儀に頭を下げる。
「まぁまぁ、本当に可愛いお嬢さん達だこと。この素直さには、流石の鋼鉄も柔らかくなるのですね。ウフフ……これはやっぱり、事案を進めるに限りますわ」
「……」
少女達の可憐さと健気さが伝わったのは、何よりだが。ルエルがまたも、妙な方向に勘違いしているのにも気づいて……キュラータは誘拐犯への怒り以上に、天使様達の習性にやるせなさを感じてしまうのだった。




