7−32 凋落っぷりのお手本
「彼女達は私めの知り合いでしてね。此度は社会勉強の一環として、お連れした次第です」
上演までの待ち時間。劇場の購買エリアで絡んできたのは、見るからにお貴族様な少年。滲み出る横柄な態度に、醸し出される嫌味な空気。年頃は少女達よりも少し上……と言ったところか。しかし、彼を取り巻く空気がどうも軽薄で珍妙だと、感じ取ってしまえば。キュラータは早々に、目の前の少年貴族を内心で見下していた。
(ゲートの中にいる時点で、観劇料をきちんと支払っていることくらい、予想できるでしょうに。それなのに、突っかかってくるとは……なんと無粋なことでしょう)
可哀想に、少女達は少年貴族のちっぽけな威圧感に怯えている様子。お連れ様が萎縮しているのを察知したキュラータは、彼女達を庇うように背後に移動させると、自身は「お相手しましょう」とばかりにズズイと前に出る。
「知り合いぃ? うん? お前の方は一等、良い格好をしているな? どこの使用人だ?」
「……ふむ。坊っちゃまは、最低限のルールも理解できない程のお貴族様でいらっしゃるので? 相手に名前を尋ねる時は、自分から名乗るのが礼儀なのでは?」
「き、貴様なんぞに、名乗る名前なんぞ、ないもん! だっ、大体、こういう時は身分の低い奴から名乗るもんなんだ!」
キュラータの指摘に、お坊っちゃまが顔を真っ赤にして喚く。そもそも、自己紹介は身分が高い者からが一応の常識であったはずだが。顔を真っ赤にするついでに、赤っ恥もきちんと拵えるのだから、こちらのお坊っちゃまはなかなかに芸達者である。
「ほぉ……それはそれは。まぁ、良いでしょう。私めはキュラータと申しまして、さるやんごとなきお方の専属執事をしております。名無しの坊っちゃまに素性を明かす必要はございませんが、主人はハシャド陛下にもお目通りをいただける身分だとだけ、伝えておきましょうか」
「はぁ⁉︎ 帝王に会えるってことは……えぇと、それって、どうなるんだっけ?」
……しかも、このお坊っちゃま、あまり頭の出来もよろしくないらしい。威勢だけは立派だが、キュラータの自己紹介でどのような影響が想定されるかについて、まるで理解が追いつかない様子。すぐさま、すぐ後ろの使用人に助けを求めるが……。
「その話が本当なら、キュラータさんがお仕えしている相手は公爵になるんですかね。帝王様に呼び出し以外で会えるのは、基本的に公爵家に限られますから」
「公爵⁉︎ いや、でも……こいつが嘘を言っているかもしれないだろ⁉︎」
「そうですね。公爵家に平民の知り合いがいるだなんて、見えすいた嘘をつくなんて。多分、見栄を張っているだけでしょう」
まぁ、なんという事でしょう⁉︎ こちらのご一行は坊っちゃまだけではなく、使用人まで残念仕様のご様子。坊っちゃまとお揃いの卑下たお顔をしては、フフンと呑気に胸を張っているではありませんか!
(ここまでくると、本当にどうしようもないですねぇ……。貴族だからと言って、無条件で偉いわけではないでしょうに……)
そんな事を否応なしに痛感させられて、キュラータはやり切れない気分にさせられる。街に出た時から、クージェの品格に翳りが見えると思ってはいたが。まるで念を押すように、お貴族様が凋落っぷりのお手本を示してくれなくてもいいだろうに。
(着衣だけは上質ですが、態度がなっていませんね、態度が。それで……ふむ。こちらのご一行はマーコニー男爵家の者達ですか)
坊っちゃまのループタイに、見知った男爵家の家紋をあしらったトップが付いているのも確認し。キュラータはあまりの落ちぶれ加減に、やれやれと首を振る。
マーコニー男爵家は商人から成り上がった貴族ではあるが、霊樹戦役直後に優れた薬品を良心的な価格で提供し、復興に大きく貢献した功績が認められ、男爵へと叙爵されている。由緒や魔力適性はないが、非常に品行方正な清い貴族であり……キュラータが思い出せる限りでも、初代当主は相当な人格者であったはず。それなのに……。
(この調子では、マモン様のルルシアナ商会がクージェに乗り込んでくるのも、時間の問題でしょうかねぇ)
ルルシアナ製薬がクージェの市場に今ひとつ食い込めなかったのは、偏にマーコニー家がクージェの薬品市場をほぼ独占していたからであったが。そのマーコニー家が市場を掌握できたのには、ノブレス・オブリージュを地で行く初代当主の良好な人柄と、平民達も難なく手に取れる手頃さによるものが大きい。
だが、キュラータの目の前で踏ん反り返っているご一行様は、それはそれは大層立派なお召し物を着ており、醸し出される空気には清らかさは微塵もなく。漂ってくるのは言葉が通じない代わりに、キャンキャンと吠える小物臭のみである。
(どうやら、現在のマーコニー男爵は欲望に忠実なお方の様ですね。ご子息にもここまでの散財を許すとなると……相当に儲けていると見える)
マーコニー家が唯一の売りだった「手頃さ」を捨てていた場合、品質と値段の両方を兼ね備えたルルシアナ製薬に取って代わられるのは目に見えている。それでなくとも、平民達の味方でもあったはずの製薬会社の坊っちゃまがこの体たらくでは……初代当主の理念はとうに捨てられてしまっているとするべきか。
(やはり、クージェは品格と誇りを忘れつつあるのかも知れません……。非常に残念ですが、これも時代の流れでしょうか)
いずれにしても、彼ら相手に言葉を尽くしても無駄だろう。キュラータはわざとらしくため息を吐きながら、もういいやと説得さえも諦める。それでなくとも、そろそろミュージカル開演のお時間だ。言葉が通じない珍獣の相手はさっさと切り上げ、お嬢様方のご案内を優先した方が気分もいい。
「はぁぁぁ……本当に話になりませんねぇ。兎に角、これ以上は構わないでいただけますか? こちらはきちんと観劇料も支払っておりますし、あなた様方に文句を言われる筋合いもありませんよ」
「なっ……!」
そう言い捨て、クルリと背を向けると、心配そうな顔をしているお嬢様方を劇場へとエスコートするキュラータ。背後で珍獣達が飽きもせず吠えているのが聞こえてきて、あまりの罵詈雑言に、流石のキュラータも思わず眉を顰めてしまうが。すぐさま涼しい気取り屋の表情を取り戻すと、ここは1つ、男爵家の小物達へ躾もしてやろうかとこっそり画策するのだった。




