7−22 痛々しいシーンが満載
あぁ。今日は人生最悪の日に違いない。
リュシアンの病気とハシャドの毒については、ヴァルクスはあまり関わっていないが。最も致命的な「黒いリンゴ」との関与を暴かれてしまった以上、もうもう言い逃れもできない。できる事と言えば、可能な限り苦痛を少なくするべく、素直に従う事くらいか。
「ハーヴェン様の見立てによると、この部屋にグラディウスのリンゴが持ち込まれていたようですね? それは誰が持ってきたものですか? リキュラですか? それとも……グリフィシーですかね?」
「その名を知ってるとなると……やはり、お前はグラディウスの手の者か⁉︎ 謀ったなッ⁉︎」
しかし、先程のしおらしい諦念は何処へやら。尋問担当の執事から聞き覚えのある名前が飛び出し、ヴァルクスは堪らず喚く。自分を疑っているだけでは飽き足らず、捨て駒にしようとしているのではないか? 彼の心の中は恐怖と猜疑心で一杯だ。
「いいえ? 謀ってなんぞ、いませんよ。私は元・グラディウスの眷属だっただけで、今は天使様の従僕でしかありません。そうですね。グラディウス側からすれば、裏切り者になるのでしょう。クク……中々に難儀な立場ではありますが、意外と楽しく過ごしておりますよ」
だが、面前の執事・キュラータはヴァルクスの非難を軽やかに否定し、嬉々として自身を裏切り者だと嘯く。黒革のグローブをわざとらしくキュッと鳴らし、長い指をポキポキと軋ませて。楽しそうに瞳を眇める彼の容貌は、まさに悪魔でしかない。
「ご存知の事を洗いざらい、吐いていただきましょうか。尚、黙秘は即刻断罪の対象となりますので、お忘れなく」
しかも、この理不尽さである。何はともあれ、断罪(要するに拷問)する気満々なのだから、彼の嗜虐性は手に負えない。
「えーと……この後の事はルエルさん達にお任せして、俺達はお暇しようか。イグノ君」
「えっ、なんで? こっからが面白いところなんじゃないの?」
「……どう見ても、そんな雰囲気じゃないだろ。とにかく、俺達は撤収! 明日も別の任務があるんだから、今日は帰るぞ」
「ちぇっ。リュシアンの事、知りたかったのにー」
空気を読んだのか、臆病風に吹かれたのか。ヴァルクスを追い込んだ張本人でもある、ハーヴェンがイグノ少年の帰りを促す。おそらく、ハーヴェンはイグノに残酷なシーンを見せたくなかったのだろう。当の少年は渋々と言った様子だが。「今夜のデザートは特製プリンだぞ〜」なんて平和な予告を与えて、しっかりと納得させているのを見るに……ハーヴェンは保護者として、標準的な感覚も持ち合わせている様子。
「さて……と。これで心置きなく、お話をお伺いできそうですね? ヴァルクス公」
ブーブーと文句を垂れ流すイグノを引き連れて、ハーヴェンが退出したのを見届けて。お子様に残酷なシーンを見せずに済んだと、キュラータが静かに切り出す。一方で、ルエルは意味ありげな微笑を浮かべながらも、余計な口を挟もうとしない。その様子に……キュラータはルエルが自分の思い出探しを優先してくれているのだろうと、理解する。
(本来、リュシアン坊っちゃまがどのように生きたかなんて、今回の事件には全く関係ありません。それに、リュシアン坊っちゃまとハシャド王の病が同一の物とは決まってもいないのです。……類似性があったとて、毒の出どころが異なる可能性も十分にあり得る)
しかしながら、折角与えられた機会である。ハーヴェンの指摘からしても、ヴァルクスがリュシアンの事について知っているのは間違いなさそうだ。ともなれば……強引に全てを吐かせるに限る。
「さ、リュシアン坊っちゃまについて、知っていることを全てお話し頂きましょうか。どんなに些細なことでも結構です。……リュシアン坊っちゃまの病気を如何にして仕立て上げ、リュシアン坊っちゃまを如何にして操ったのか。……記録も含めて、包み隠さずご提示ください」
「リュシアン……坊っちゃま? お前は一体……」
「あぁ、失礼。今のは特段お気になさらず。私はただの裏切り者。それ以上でも、それ以下でもありません」
ついうっかり、懐かしい呼び名を口にしてしまったが。未だに彼の執事であった思い出は残っているのだと、そっと思い直し。そのリュシアンの処遇次第では、自分の心持ちは大いに変わるだろうとキュラータは考える。
もし、リュシアンが病で亡くなっており、別人へと変貌していたのなら。父や姉を死に追いやった相手は、厳密にはリュシアンではなくなり……。
(ハルデオン家の手の者だったかも知れないということ……)
もちろん、現代のハルデオン家を恨んでも仕方のないことではあるが。ヴァルクスが「黒いリンゴ」に関わっている以上、責任くらいは取らせても良いのかも知れないと、キュラータはやや見当違いの八つ当たりを自覚しながらも……ジリリとヴァルクスへ詰め寄った。
***
「……ふぅ〜、危ないところだったな……」
「何が? 何が危ないんだよ、ハーヴェン。あれじゃ、いい所でお預け食った感じじゃん。据え膳食わぬは、男の恥だぞ!」
「据え膳て……それ、意味が違うからな?」
途中退出が余程に不満だったようで、公爵邸の廊下をズンズンとイグノが歩いている。そんな彼の妙な言葉選びにツッコミを入れながら、ハーヴェンが「どうして強制退出したのか」を弁明するが。
「えっ? 拷問とかしちゃう感じだったのか、あれ」
……イグノはヴァルクスが拷問にかけられるなんてことは、考えも及ばなかった様子。あの空気でここまで無邪気になれるとなれば、イグノは肝も据わっている以前に、ただただ鈍感なのかも知れない。
「いや、どう考えてもそうだろ。手荒な真似が許される時点で、痛々しいシーンが満載になると思うぞ」
「……」
いくら心迷宮でちょっとしたスプラッタシーン(なお、対象はGである)を体験したとは言え。イグノはまだまだ血生臭い現場に立ったことのない、世間知らずのお坊ちゃんである。生前にグログロなモンスターをゲーム画面越しで見た事はあれど、引きこもりだった彼には生で「痛々しいシーン」にお目にかかる機会はなかったが……。
「因みにな。……天使様がいる場合の拷問は、冗談抜きで地獄だ。怪我をしたり、死にかけたりしても、強制的に回復させられて、同じ苦痛を何度も味わわされたりするんだぞ。……天使様の拷問フルコースを食らうくらいなら、いっそ死んじまったほうがマシかもな」
「うっわ……めっちゃ、残酷じゃない? それ……」
「うん、俺もそう思うよ。手足折り放題、目玉ほじくり放題、瀕死にされまくり。何度も何度も、そんな事をされたら……気が狂っちまうだろうなぁ」
「うゲェ……!」
本格的な拷問シーンに遭遇しかかった事を理解し、ようやく戦慄し始めるイグノ。なんだかんだで臆病者な彼には、天使式拷問術はまだまだ刺激が強すぎる。どうせ味わうのなら拷問のフルコースではなく、ハーヴェンのフルコースがいいと……イグノは恐れ慄きながら、思ってしまうのだった。




