7−10 餌は快楽ではなく、悪意
「そいつはまた、穏やかじゃないな……」
リュシアンは周囲の人間を犠牲にして、ファニア家の実権を握っていたかも知れない。しかし、両親を殺めたことで叔父一家の横暴を許していた部分もあるのだから、彼の薄幸は自業自得……いや、自作自演か。
「あいにくと、私はまだまだ思い出し損ねている事がありそうでして。それを確かめるためにも、もし可能ならば……例の『月刊・騎士道』を拝見したいと考えています」
「そうか。だったら、それは明日に仕切り直しとするかな。確かに、フィステラさんの部屋にはそれらしい本棚もあったから、リュシアン特集も残っているかも」
それに、イグノの口ぶりではリュシアンはクージェでもそこそこに有名な人物であるらしい。該当の雑誌がなくとも、記録が残っていそうだ。
……ちなみに、その言い出しっぺのイグノであるが。満腹と疲労に加え、難しい話が続いたせいだろう。……いつの間にか、ベッドの上に転がってはスヤスヤと寝息を立てていた。
「イグノ様は相当にお疲れのご様子ですね」
「だろうな。心迷宮の攻略に、調査にと、なんだかんだで頑張っていたからなぁ……」
「それにしても、何と穏やかな寝顔でしょうね。リュシアン坊っちゃまも、幼い頃は穏やかな寝顔を見せてくださっていましたが……変わられてから、熟睡される事がなくなりました」
「そか。だとすると、やっぱり……」
「えぇ。ターニングポイントは、リュシアン坊っちゃまが流行り病に罹った頃だと思われます」
キュラータの話では、「主に貴族が感染していた、魔力因子絡みの流行り病」だろうとの事だったが。……流行り病の正体は瘴気障害だったとするのも、外れていないかも知れない。
瘴気障害は瘴気……つまりは、穢れを孕んだ魔力によって引き起こされる不調とされており、魔力因子を持つ者の方が罹患する可能性が高くなる。「雷鳴症」のように、魔力適性の有無に関わらず元凶に触れる事で発症するものもあるが。一般的には、魔力因子の有無が発症率にも影響を及ぼす。
「その流行り病についても、調べるとして……しかし、驚いたな。キュラータさん、あのロイスヤードさんの子孫だったのか……」
「ロイスヤードさん……? はて、それはどちらのロイスヤードでございましょう?」
キュラータのフルネーム込みで、彼の身の上話を聞かされて。ハーヴェンが意外なことを呟くついでに、彼の親戚と思しき悪魔がいることを白状する。「かのロイスヤード」は憤怒の悪魔・アドラメレクの中でも、バトラー階級に属している、白孔雀の執事の事だ。
ハーヴェン自身は、ロイスヤードとはあまり関わったことはないが。アドラメレクのヤーティとはそれなりに交流があることもあり、アドラメレク達の顔ぶれはある程度、知っていたりする。
「それはそれは……ところで、ハーヴェン様はそちらのロイスヤード様のフルネームはご存知ですか?」
「いや、俺は知らないな。それどころか、本人も思い出していない可能性が高いかも……」
ハーヴェンによれば、悪魔の記憶喪失はヨルムツリーが意図的に施した封印なのだそうで。最期の記憶……つまりは自分の「死に際」を思い出すことで封印自体は解除されるが、その記憶の封印が解けた上級悪魔は「追憶の試練」を受ける権利を獲得し、そちらを達成して初めて、全ての記憶を「細部まで」取り戻すことができるのだと言う。
しかし、ハーヴェンが知る限りでは、憤怒の悪魔で「追憶の試練」達成者はヤーティただ1人。もしかしたら、多少の記憶を取り戻している者が他にもいるかも知れないが……アドラメレクは従僕魂が凝り固まったような悪魔達だ。真面目で慇懃な彼らのこと、思い出探しに現を抜かしているとも思えない。
「魔界に篭りっきりの場合、悪魔には生前を思い出すキッカケさえないことも多い。それでなくても、アドラメレクは城を綺麗に保つのにいつも大忙しだし。……サタン城は無駄に広いからなぁ……」
なお、余談ではあるが。サタン城は冗談抜きで、無駄に広い。魔界の溶岩湖に浮かぶ城の部屋数は272、階段は37箇所。規模としては、グランティアズ城の3倍程度である。そんな掃除し放題の城を美しく保つため、アドラメレク達は日夜働いているのだが……サタン城がここまで広いのには、配下の数が圧倒的に多い他に、サタンの自己顕示欲を満たすためなのだとか。
「そうですか……だとすると、かのロイスヤード様がどの世代なのかは分かりかねますね……。まぁ、今はそちらのロイスヤード様を気にしている場合ではありませんか。問題は、ハーヴェン様のお話ですと……記憶を取り戻すには、キッカケが必要ということかと」
「そうだな。現に、キュラータさんはリュシアンのキーワードで頭痛に襲われていたし、この辺りは悪魔とほぼ一緒だろうと思う」
さっきはイグノの空腹で話が途切れてしまったが。改めて、ハーヴェンは「悪魔の記憶喪失」について説明をし始める。悪魔は闇落ちと同時に記憶喪失になるが、これには魔界の霊樹・ヨルムツリーの思惑が噛んでいるそうで……有り体に言えば、ヨルムツリーのワガママが発端らしい。
「流石に神樹クラスの霊樹と言えど、魂から記憶を取り上げる事はできないみたいでな。でも、辛い記憶を残したままだと、悪魔は面白おかしく暮らせなくなっちまう。ヨルムツリーは悪魔の快楽を餌にしていたりするから、それだと都合が悪いってことで、記憶を封印してくるんだよ」
「そうだったのですね。でしたらば、私の記憶喪失はそちらのケースとは一致しないかも知れません。……グラディウスの餌は快楽ではなく、悪意ですから。やはり、前提が大幅に異なる」
「そうだな。だから、キュラータさんが記憶喪失になっているのには、グラディウスに別の思惑があるのかも」
それに、キュラータは「お茶の淹れ方」についてこうも言っていたではないか。「グラディウスの庭で覚醒してからすぐに思い出させられた」と。この事からしても、グラディウスによる眷属の記憶への介入はヨルムツリーのそれよりも高度だと言わざるを得ない。
ヨルムツリーは確かに、悪魔の記憶を封印することはできる。だが、かの霊樹は堕ちてきた魂がどんな記憶を持っているかを把握していないし、ピンポイントに都合のいい記憶だけを思い出させるなんて芸当もできない。だから、楽しいことも辛いこともひっくるめて「まとめて封印」だなんて大雑把なことをしているのだし、かの霊樹が杜撰な分、真祖の悪魔達が苦労している部分もあったりする。
「だとすると、今の私の行いはグラディウスにとって不都合だという事になりそうですね?」
「いや……こっち側にいる時点で、不都合以前の問題な気がするが」
「ふむ。それは確かに」
ハーヴェンの当然の指摘に、素直な反応を見せるキュラータ。おそらく、グラディウスの尖兵であることよりも、ルエルの従者でいることに慣れてしまったのだろうが。……そうもあっけらかんと言われると、ハーヴェンは根底からキュラータの感覚がズレているように思えてならない。
「いずれにしても、キュラータさんがアルフレッド・ロイスヤードだった事実はグラディウスにとっては、あまり重要じゃなかったのかも。どちらかと言うと、キュラータさんの経験が必要だったんじゃないか」
「あぁ、それは一理ありますね。一人前の執事を育てるのは、非常に時間も手間もかかる。グラディウスは何かに焦ってもいたようですし……使用人を揃えるのに、記憶ではなく経験を求めるのは自然かと」
彼の焦りの正体が果たして何だったのかを知る機会は、キュラータにはキッカケさえ与えられていないが。イグノの寝顔を見つめながら、リュシアンの隠し事だけではなく、グラディウスの隠し事を暴くのも面白いかも知れないと、キュラータはまたも皮肉めいた微笑を浮かべていた。
【補足】
・悪魔の記憶喪失について
魔界の主人・ヨルムツリーによって記憶を封印され、悪魔は記憶喪失になる。
一説によれば、かの霊樹が悪魔達の記憶を封印するのは、「辛い記憶を封印する事で、欲望のままに堕落させるため」とされているが、本当のトコロは悪魔達の願望に伴う達成感と高揚感……つまりは「快楽」で生長する側面を持つため、彼らが悩み苦しむのは養分確保の面で都合が悪いからである。
そのため、ヨルムツリーは思惑に反する悪魔は頭痛に襲われるようにしており、これには警告の意味が含まれる。
この警告を乗り越え、自身の「最期の時」……つまりは「死に様」を思い出すことで、悪魔の記憶喪失の封印は解かれるが、細部に至るまで記憶を完全に取り戻そうとする場合は「追憶の試練」を受ける必要がある。
・追憶の試練
悪魔が生前の出来事、特に死に際を追体験することで、精神的にも魔力的にも新しい力を手に入れるための儀式。
生前の苦痛も全て味わう事になるため、その過程で精神に異常を来たし、再起不能になるケースも見られたりと、なかなかにデンジャラスな儀式である。
この試練を達成できれば悪魔の性能は大幅に強化され、精神的な不安定さも払拭できるが……挑戦自体が避けられることも多く、「追憶越え」の出現率の低さに拍車をかけている。
試練への挑戦は記憶全てと祝詞を持ち得ている上級悪魔にのみ許され、中級悪魔以下が追憶の試練を受けることはできない。
また、儀式には追想の媒体として「記憶のカケラ」と呼ばれるキーアイテムが必要となる。
・追憶越え
追憶の試練を達成し、生前の記憶を全て取り戻した上級悪魔のこと。
試練達成後は記憶に付随する知識だけではなく、魔法能力や身体機能も拡充・向上されており、強者揃いの上級悪魔にあって別格の存在とされる。
真祖の悪魔にも匹敵する実力を有するが、追憶の試練の成功率があまりに低いこともあり、魔界史上でも7人しか出現していない。
・記憶のカケラ
闇堕ちした上級悪魔の記憶を象徴する遺留品で、「自分がかつてどんな存在だったか」を如実に顕す「思い出の品」。
しかしながら、闇堕ちと同時に記憶喪失になる上級悪魔にとって、記憶を失っている焦燥感を何よりもまざまざと見せつける「物的証拠」になり得るため、闇落ちと同時に真祖の悪魔が記憶のカケラを一旦預かり、必要に応じて本人に返還することで精神的なフォローをしていたりする。
追憶の試練に必要なキーアイテムでもあるが、形態は聖書から煙管まで、持ち主の悪魔によって様々である。




