7−8 私もまだまだのようです
リュシアンの中身は別人だった可能性がある。そして、彼はその秘密を隠していたように思える。だが、肝心の中身が誰なのかについては……結局、分からず終い。
残念なことに、キュラータの夢はそこで途切れてしまったため、これ以上の追憶は難しそうだ。それでも……ようよう目覚めて身を起こせば、頭痛は幾分か緩和しており、気分もいい。
(しかし……はて。ここはどこでしょうか?)
確か、「休むといい」と言われて勧められたのは、ソファの上だった気がするが。起き上がったはずみで氷嚢が落ちた先はソファの下ではなく、ベッドの下。明らかに自分が置かれているロケーションが変わっているものだから、キュラータは冷静に周囲を見渡し、まずは状況を把握しようと努める。
(ここはどうやら、ゲストルームのようですが……ご丁寧に、ベッドまで運んでくださったのですね。だとすると、私を運んでくれたのはハーヴェン様ですか)
まずまず、順当な推測である。彼を運んだのがルエルだったこと以外は、概ね合っているが……彼を運んだのが誰だったかは、この際、関係のない事柄だろう。強いて誤差を挙げるとすれば、キュラータがルエルの気遣いをほんの少し、見誤っていることくらいか。
(……状況を整理しましょうか)
自由時間もこれ幸いと、キュラータは夢の中で見つめてきた記憶を丁寧に辿る。
生前の自分はおよそ100年前にクージェで生きていたこと。執事の名門・ロイスヤード家の跡取りであったこと。執事の先輩としても尊敬してやまない、姉がいたこと。だが、その姉はリュシアンに恋心を募らせるあまり、帝王への直訴を成功させ……命と引き換えに、リュシアンの復権を叶えたことになっている。だが、そもそも……その前提がおかしいのではないか。
(なぜなら、姉上も知っていたはずなのです。……リュシアン坊っちゃまが上級魔法を使いこなし、叔父一家を駆逐することなぞ、容易かったことを)
それなのに、リュシアンはか弱いふりをしてカルロッタの恋心を煽り、帝国城へと走らせ……カルロッタをも犠牲にして、ファニア家の実権を握るに至っている。もし仮に、これら全てがリュシアンの計画通りであるならば。……彼はどうして、ここまで「面倒な手順」を踏んだのだろう。
正直なところ、正当な後継者であるリュシアンを差し置いて公爵家の財産に手を付けるのは、完璧に反則である。いくら叔父が後見人を名乗ったところで、継承権がリュシアンにある以上、彼らはどこまでも代理人であり、全権はリュシアンにあるのだ。しかも、アルフレッドが知る限りでは、叔父は分家に追い出されたと同時にファニア家の貴族籍を抜かれており、リュシアンが亡くなったとしても彼が公爵家を継ぐことはできない。一代限りの子爵家という扱いには、彼にはどうしても家督を継がせたくないという、先代の強い意思をまざまざと感じるものであった。
(万が一にでもあの愚物が公爵家を継いだら、数年経たずとも、潰しそうですしね。……先代の判断は正しかったと思います)
とりあえず、叔父一家の扱いはどうでも良いとして。キュラータが思い出せる範囲でも、そのような条件があったのだし……リュシアン自身が知らぬはずもないだろう。ますます、リュシアンが叔父一家に手を下さない理由が見つからない。
リュシアンは当時5歳であろうとも、先代もしっかり認めた正当後継者。リュシアンが死亡した時点で、ファニア家はその場で断絶となり、叔父一家には銅貨1枚も残らない。おそらく、彼らもそれを熟知していたからこそ、リュシアンを殺さずに屋根裏部屋へ追いやったのだろうが……その手口はあまりに稚拙で卑屈である。
(なるほど。今代のファニア姉妹を見て私が思い出しかけたのは……彼らの方だったのですね)
フィステラ・ファニアとアルネラ・ファニアがいる時点で、リュシアンはしっかりと後継を残していたようだが。かの姉妹の気質は、どうも叔父一家寄りにも思えて……キュラータは寂しげに肩を落とす。結局、リュシアンが残したのは自身の騎士道ではなく、叔父一家の卑劣さだったようで。この情けない現実には、カルロッタも浮かばれないに違いない。
(まぁ、こればかりは仕方ありませんか。私が無念を覚えたとて、過去は変えられません。それはそうと、リュシアン坊っちゃまの真実を辿るには、決定的な記憶が足りない……。あぁ、そうだ。その後、私がどうなったのかも含めて、もう少し調べてみましょうか)
アルフレッド・ロイスヤードの記録は残っていないかも知れないが、リュシアンの記録は残っているに違いない。そう、イグノ少年も言っていたではないか。「花騎士シリーズってのは、イケメン騎士特集の付録」なのだと。それはつまり……本体の雑誌側はリュシアンの特集を組んでいたのだろうし、『月刊・騎士道』なんて書名からしても、彼の生き様に触れているに違いない。雑誌の「おまけフィギュア」がある時点で、フィステラの部屋には『月刊・騎士道』が残っている可能性もありそうだ。
(おや……?)
丁寧にボタンを緩められていたシャツの襟元を正し、燕尾服の上着を羽織ったところで……キュラータが廊下へと出てみれば。何やら、困った表情のハーヴェンとイグノがやってくるのが目に入る。どうやら、彼らは調査から一旦、撤収してきたようだが……。
「おっ? あぁ、キュラータさん、お目覚めか? 気分はどう?」
「えぇ、おかげさまで。目覚めも良く、スッキリ致しました。それにしても……私を運ぶのは、さぞ重たかった事でしょう。この度は、ご迷惑をおかけ致しまして……」
「キュラータさん、違うぞ。キュラータさんを運んだのは、ハーヴェンじゃない。……ルエルさんだ」
「……はっ?」
キュラータがハーヴェンに丁寧な謝辞を述べようとしたところで、すかさずイグノの訂正が入る。予想外の事実をぶつけられて、キュラータはしばし呆気に取られてしまうが……すぐさま、ルエルの「勇姿」を思い出し、楽しそうにクスクスと笑い始めた。
「左様でしたか。……なるほど、なるほど。ルエル様は並外れた闘志と怪力の持ち主でしたものね。……この現実を見誤るとは。私もまだまだのようです」
「いや……俺が運んだと考える方が自然だろう。ルエルさんは見た目からして、エレガントなお嬢様だし……キュラータさんを軽々と担げるだなんて、想像できる方がおかしい」
キュラータの予測は通常であれば、まずまず無難な内容である。この場合、キュラータが「まだまだ」なのではなく、純粋にルエルがおかしいだけだ。
「ところで、そのルエル様はどちらに?」
「あぁ、ここのお城の第一王妃様とお話ししているよ。多分、帝王様の容体を確認しているんだろう」
「ふむ……でしたらば、ご用命があるまでは多少は自由にしていても、問題ないでしょうか。あぁ、そうそう。……そう言えば、ハーヴェン様にお伺いしたい事がございまして」
「うん? 何かな?」
「……記憶の思い出し方について、良い方法があればご教授いただきたいのです」
キュラータの意外にして当然の質問に、ハーヴェンは「やっぱり来たか」と難しい顔をしてしまう。
キュラータは元・グラディウスの精霊とは言え、彼がかの霊樹の眷属になった経緯は精霊ではなく、上級悪魔のプロセスに近い。……悪魔は闇堕ちと同時に記憶喪失になり、階級が高くなれば高くなる程、生前の記憶が残る一方で……記憶を思い出そうとする度に、激しい頭痛に襲われる。そして、キュラータの現状はどこをどう見ても、上級悪魔のそれでしかなく。この事からしても、グラディウスの配下作りは悪魔の成り立ちに近いのかも知れないと、ハーヴェン自身も思っていることではあった。




