7−6 アルフレッド・ロイスヤード
額に程よい冷涼を感じたかと思えば、キュラータの意識は深く深く、黒い悪夢の底へと沈んでいった。漆黒にポコポコと浮かび上がってくるのは、思い出と記憶の断片達。その中に忘れられないはずだった面影を見つけ出し、キュラータは「あぁ」と力なく息を吐く。そうだ、自分は……。
(彼女と共に、ファニア家を……リュシアン坊っちゃまを支えていくつもりだった……)
記憶の断片がキュラータに見せつけてくるのは、騎士道に厳格な当主と、彼らに忠誠を誓う父や姉の峻厳な姿。そして、純粋なまでにファニア家に忠義を誓うかつての自分だった。
(彼女……そうだ、姉上。カルロッタ・ロイスヤード……。そして、私は……)
アルフレッド・ロイスヤード。
クージェ帝国において最古の歴史を持つ、執事一家の一員。主人と決めた相手のためなら、命を擲つことも厭わない、誇り高き信念の一族……。
***
アルフレッド青年の耳に公爵夫妻と父の訃報が届いたのは、事故発生から1日経った夕刻。姉・カルロッタ14歳、弟・アルフレッドが12歳の時だった。
武功に優れるファニア家は有事があれば最初にお声がかかるのが常であり、霊樹戦役直後の混沌とした世相も相まって、帝王の勅令にもなんら疑問を持っていなかったが。どうやら……姉・カルロッタの目にはそうは映っていなかったらしい。
「父上も一緒にとご命令があった時点で、何かあると思っていましたが……まさか?」
「姉上には、何かお心当たりがあるのですか?」
「えぇ、憶測の域は出ませんが。……混乱に乗じて、害虫が乗り込んで来るかもしれません」
普通であれば、当主不在の留守を預かるのは家令の役目である。それなのに、その家令たるアルフレッド達の父親も駆り出されたのが、カルロッタは不自然だと思っていた。そして……タイミングを見計らったかのような、馬車の滑落事故である。こうなれば、事故そのものがなんらかの目的で仕組まれたと考えるのが妥当であろう。
「……アルフレッド。これから、相当に忙しくなるでしょう。ですが、我らの主人はリュシアン坊っちゃまお一人です。……そのことは絶対に忘れてはなりません」
「もちろんです、姉上。このアルフレッドも……骨の髄まで、承知しております。悲しみに暮れるリュシアン坊っちゃまをお支えすることこそ、父上への最大の手向けとなりましょう」
言葉こそ気丈だが、アルフレッドの瞳からは涙が溢れて止まらない。……しかし、それは無理もなかろうとカルロッタも自身の熱い目頭を押さえながら、長い息を吐く。
親を亡くしたのはリュシアンだけではなく、彼らロイスヤード姉弟もまた同じこと。それなのに、悲しむことも許されずに坊っちゃまを慰めろとは、酷である。
「なかなかに言うようになりましたね。我が弟ながら、頼もしい限りです。……ですが、今日限りは涙を流してもいいと思います。……ご当主様達だけではなく、父上も逝ってしまわれたのですから」
沈みゆく夕日に照らされて、わずかに雫を落とす姉の横顔は少女の幼さを残しつつも……凛として美しい。最低限の化粧に、バッサリと切られた短い黒髪。着衣は令嬢達のドレスとはかけ離れた、堅苦しい礼服。まだまだ甘えたい年頃だろうに、彼女は父の分までロイスヤード家の威信を背負おうとしていた。そして……その時のアルフレッドは、密やかに涙を流す姉以上の麗人は知らないと、本気で思っていたのだ。
***
(だが、姉上は変わってしまった。リュシアン坊っちゃまに頼られるのが心地よくて……いつしか、公爵夫人を夢見るようになっていった)
……よくある話だと、微睡の記憶の中でキュラータは皮肉めいた微笑を漏らす。
夕焼けのあの日にカルロッタが呟いた通り、先代の喪も明けないうちに、リュシアンの叔父一家が公爵家に上がり込んできてからは怒涛の日常が始まったが。それすらも今となっては茶番にしか感じないと、キュラータは眠っているはずなのに遠い目をしてしまう。
(愚かな人間というのは、何をやっても愚かです。……ですが、脇役にする分には、申し分なかったのでしょう)
リュシアンの父は優れた騎士でもあったが、弟の叔父は愚物そのものでしかなく。リュシアンの後見人だと宣ったついでに、ファニア家暫定当主なのだと名乗りを挙げたはいいものの、彼はリュシアンを蔑ろにし、騎士として仕事に精を出すわけでもなく、領主として働くわけでもなく。怠惰の限りを尽くし、公爵家の財産を一家で食い荒らし始めた。
キュラータの記憶に残っている範囲では、リュシアンの叔父夫婦は互いに「家の余り者」同士でくっついた経緯があり、ファニア家の分家という扱いで一代限りの子爵家に収まっていた。だが、その現実が彼らを焦らせもしたのだろう。それは要するに、彼らの子供達は次世代から平民になるということであり、娘達は「いい相手」を見つけない限りは自分で働くしかなくなってしまう……いや。一代と言わずとも、手に職もない叔父一家が散財しているのだから、持って数年と言ったところだった。
そんな折、タイミングよく発生した馬車の滑落事故。しかも、後で調べたことによれば……家令の随行は勅令には含まれていなかったのだから、まずまずカルロッタの憶測は正しかったと言えそうだ。だが……。
(父の同行を依頼したのは、リュシアン坊っちゃまだった……)
そう……彼は5歳児の頭脳から捻り出されたとは思えない周到な罠を、あろう事か、両親と家令とに仕掛けていた。それも全て、自分の筋書き通りに周囲の人物を動かすため。リュシアンにとって、厳格な両親と家令はファニア家の覇権を握るのに、邪魔でしかなかったのだ。
【登場人物紹介】
・カルロッタ・ロイスヤード
霊樹戦役直後の時代、ファニア公爵家に仕えていたロイスヤード家の長女で、リュシアン・ファニアの専属執事。没年22歳。
当時でも珍しい女性執事であるが、女性ならではの細やかな気遣いと、女性らしからぬ長身と体術とを持ち合わせており、リュシアンの護衛としても辣腕を振るっていた。
だが……リュシアンに頼られるあまりに、次第に恋心を抱くようになり、カルロッタを帝王への直談判へと走らせたのには忠誠心以上に、個人的な恋慕も混ざっていたものと思われる。
・アルフレッド・ロイスヤード
霊樹戦役直後の時代、ファニア公爵家に仕えていた執事一家・ロイスヤード家の長男。没年24歳。
リュシアンの叔父一家に他の使用人達が「鞍替え」していく中、リュシアンの側を離れようとせず、後世では姉と共に「執事の鑑」と称されるようになったロイスヤード家最後の執事。
表向きは病で若い命を散らしたことになっており、リュシアンも彼の死を深く悼んだと伝えられているが……事実は大きく異なるらしい。




