6−56 セドリック様、召使いに降格ですぅ
哀れ、エックス君に吹き飛ばされ。セドリックは今、全身から悪臭を放つ泥人間に成り果てている。それでも、泥と一体化するのはゴメンだと、もがいていると……いつもの如く、いいタイミングで間延びした声が降ってきた。
「セドリック様は本当にダメダメですね〜」
「う、うるさいな! そもそも、お前がもっとまともな手下を寄越していたら……!」
幸か不幸か、セドリックが着水したのは、グラディウスの住人達が「肥溜め」と呼んでいる大きな沼。程よい粘り気と包容力のある汚水のおかげで、セドリックは大きな怪我もなく、死にこそしなかったものの。意識がしっかりしている分、状況は最悪だった。
この「肥溜め」と呼ばれる沼は有り体に言えば、死体処理場である。グラディウスの神が気まぐれに作り出した失敗作や、「不幸にも」死んでしまった被験者達を沈め、腐敗に伴い発生するガスや毒を瘴気障害の誘因剤生成に活用している。そんな事情なものだから……この「肥溜め」は悪臭だけではなく、猛毒も溜め込んでいるのだ。そのため「普通の人間」が落ちたらば、ひとたまりもないのだが……。
「……ここに落ちても、意識がはっきりしてるなんてぇ……。セドリック様、軽く人間を辞めてますね……」
「そんな事を言っている場合か⁉︎ とにかく、僕を助けろ!」
「はいはい。仕方ないなぁ、もぅ……」
きっと、命令で渋々探しにきたのだろう。白竜姿のバルドルがまるで汚物を摘み上げるように、セドリックを沼から引き上げるものの。放たれる臭気に呻き声を上げながら、無遠慮な感想を漏らす。
「うっわ、臭ッ⁉︎ セドリック様……名実共に、本格的な粗大ゴミになっちゃいましたね」
「誰が粗大ゴミだ⁉︎」
「うーん……やらかしたことからしても、そうなる可能性は高いんじゃないですかぁ?」
「……!」
バルドルの指摘に、スッと背筋を冷やすセドリック。
セドリックもよく知っていた事ではあるが。この箱庭で起こっていることは、グラディウスの神に筒抜けなのだ。故に……神様はとっくに知ってもいるのだろう。セドリックはメローやガラを処分できなかったばかりか、ナルシェラをまんまと逃してしまったことを。
「……」
気に入らない奴とは言え、バルドルは神様の腹心中の腹心であるのは、セドリックも認めるところだ。そして、そんな彼がセドリックを「粗大ゴミ」と称した事からしても……グラディウスの神は自分を処分する気なのかも知れないと理解させられては、次の句を継ぐこともできない。
「あっ、もしかして……ようやく、自分の置かれている状況を把握した感じです? でもぉ、大丈夫ですよ〜。ご主人様、ちゃんと挽回のチャンスをくれるって言ってましたからぁ」
「本当かッ⁉︎」
「本当ですよぉ? セドリック様、命拾いしましたね。こんなこともあろうかと、ナルシェラの代わりを見繕っておいたんですぅ。多分、そろそろ届くんじゃないかと。それで、ですね。メローとガラもいなくなっちゃいましたし、囚われの皇子様の面倒を見てほしいんです。セドリック様、召使いに降格ですぅ〜!」
「ちょ、ちょっと待て⁉︎ 僕が……召使いだって⁉︎」
死んでもゴメンだ……なんて言葉が口から突いて出そうになったのを、セドリックはグッと飲み込む。今まさに、命拾いしたばかりだろうに。折角拾った命を、みすみす捨てるバカがあるか。
「まぁ、いい。どうせ、その王子とやらも、気弱な奴なんだろ? ナルシェラみたいに」
「いいえ〜? ゴリゴリに自分勝手な奴みたいですね〜。自分は最強って信じて疑っていないタイプです。性格の悪さはセドリック様といい勝負だと思いますよ?」
「誰が、性格が悪いだって⁉︎」
ガラにも同じような事を指摘されていたが。セドリックは当然ながら、自分の性格が悪いだなんて思っていない。もちろん自覚もないため、彼の身勝手な自己愛が修正される可能性は低いだろう。
「ま、セドリック様の性格の悪さは置いておいて〜。皇子様の面倒を見て欲しいって言いましたけどぉ、実際には心を折ってほしい……が、正しいオーダーですねぇ」
「なんだって?」
性格の悪さをちょい置きされたのにも関らず、セドリックの興味はバルドルの言う「正しいオーダー」に向いていた。そんなセドリックの呆れた歪みっぷりも、声色から器用に嗅ぎ取って。これなら問題なさそうだと、バルドルは具体的なオーダーをセドリックに伝える。
「……ナルシェラが心を折らずにいられたのは、最後までピュアな王子様だったからなんですって。自分らしさを捨てさせられなかったから、生贄にし損ねたんだ……って、ご主人様、ガッカリしてたんです。なのでぇ、次の奴はちゃぁんと心を壊してやらないといけないんですぅ。イジメ抜いて、イジメ抜いて、生きる希望をペロリンと引っぺがしてくださーい」
すっトボケた口調で、残酷な事を平然と言ってのけるバルドルではあるが。それすらも「面白そうだ」と前向きになれるセドリックはやっぱり、恐ろしい程に人間離れしている。
「心を壊す……か。精神的に追い詰めてやればいいのか?」
「そういう事ですね〜。セドリック様、姑息なのは得意でしょ?」
またも炸裂する忌憚なき意見に、セドリックは泥まみれの顔を顰める。姑息な手段を得意分野だと勘違いされるのは腹立たしいと、内心で思いつつ……仕方なしに、話の続きを促す。
「まぁ、いい。で? そいつはどんな奴なんだ? 傾向くらいは教えくれるんだろうな?」
「もっちろん。えっとですね……そいつ、自分は最強って思い込んでますけど、実際には出来損ないの超落ちこぼれみたいですよ。偽物の魔力適性で威張っていただけなんで、その辺を意地悪〜く突っつけば、簡単にポキッと折れちゃうと思います〜」
人の心を折るなんて、楽しげに言っていい事ではないのだが。バルドルは元から、正常な善意を持ち合わせていないのだから、仕方がない。生まれた時から周囲を欺くように出来上がっていた彼に今更、普遍的な善意を求めるのは不毛である。
「それはそうとぉ……セドリック様はここで、全身をキレイキレイして下さい〜。そーれっ!」
「うわっ⁉︎」
そうして、無邪気でありながら無慈悲なバルドルが、セドリックを容赦なく冷たい泉へと放り投げる。セドリックが次に落とされたのは、暗黒世界では珍しい非常に清らかな泉ではあるが。
「クソッ……! どうして、この僕がこんな目に遭わないといけないんだ……!」
泉から必死の思いで這い上がるセドリックは、辛うじて泥人間を脱することはできたものの。沼から泉へとロケーションが変わっただけで、情けない濡れ鼠なのは変わらない。
「えぇ〜? 折角、秘密の泉に連れてきてあげたんですから、感謝してくれてもいいのに〜。この泉はご主人様が女神様のために作った特別な場所なんですよ? この世界でこんなに綺麗な水がある所、他にないんですから〜」
「た、確かに……ここに来て、初めて普通の泉を見た気がする……。それにしても、女神だって?」
「あっと! いっけな〜い。それ以上は内緒ですぅ。ふふ……深ぁい所まで知りたかったら、ちゃんとお仕事をこなして、セドリック様も偉くなって下さいね」
いかにも親切そうに、バスタオルと着替えを差し出すバルドル。しかし、彼の視線には明らかにセドリックを見下す輝きが宿っていて……セドリックはバルドルの思わしげな態度に、小さく舌打ちをする。
(僕は天才なんだ……! この程度で終わるような、凡夫じゃない……!)
今に見ていろ、召使いで終わってなるものか。
沸々とやる気を再燃させたまでは良かったが……着替えが使用人のそれであることにも気づいて、セドリックの不満は膨れ上がるばかり。それでも、ここで不機嫌を露わにしたら、それこそバルドルの思う壺だと思い直し……努めて平静に、セドリックは淡々と着替えを終わらせるのであった。




