6−55 人間としてのジ・エンド
「行くぞ。……あまり時間がない。とにかくこれを着て、付いてこい」
「……分かりました」
鉄格子に仕掛けられているセキュリティの魔法回路をアッサリと解錠し、ヴァルクスが黒いローブを放ると同時に、アルネラを急かす。そうされて、アルネラも状況を理解していると見えて……大人しく、ローブをスポリと被ると素直にヴァルクスに従うが。当然ながら、ヴァルクスはただの親切心でアルネラを助けに来たのではなかった。
(やはり、頭の出来は微妙だったようだな。ハシャドの暗殺も失敗したようだし……アルネラを表舞台から引かせるのに、いい頃合いか)
背後にどっしりとした足音を感じながら、ヴァルクスは「これまでの事」に想いを巡らせる。
正直なところ、ヴァルクスにしてみればアルネラは助ける価値もない相手である。それどころか……彼女は本来、既に死んでいるはずの存在であった。だが、たまたま……本当に、偶然が重なって判明したことではあったが。アルネラには特別な素質があり、ヴァルクスは命令で仕方なしに、観察対象としてアルネラを生かしていたに過ぎない。
(次の手を考えねばならないが……仕方ない。あまり頼りたくないが、またあいつに相談するか。ご希望通りにヴァルムートを差し出せば、文句も出まい)
ハシャド王が邪魔だと思っているのは何も、ヴァルクスだけではない。今しがた救い出してやったアルネラも、同様であった。帝位を奪われた逆恨みを抱くヴァルクスと、自身を重用しない不満を抱くアルネラ。互いに敵対する家系同士、共闘はないと思われていたが。ひょんなことから、ヴァルクスとアルネラは協力関係を結ぶ事になる。
***
それは、何気ない1つの贈り物から始まった。ヴァルクスの悪意と悩みを知り、興味本位でやってきたのは……暗黒霊樹の精霊・バルドル。彼曰く、クージェの貴族は稀に、「悪意を表面化させにくい」体質を持つ事があり、ヴァルクスはその傾向が非常に強いのだという。そして、ハシャド王を亡き者にしたいという、醜い野望を生む彼の悪意は、グラディウスにとって最良の餌となっており……バルドルはその返礼にと、「黒いリンゴ」を差し出してきたのだ。
「これを、憎たらしい相手に食べさせちゃってください。そうすれば……あっという間に深魔になって、人間としてのジ・エンドをお見舞いできますよ〜」
そうして「魔法のリンゴ」を得たヴァルクスは、早速とばかりに「珍しい果物が手に入ったので」とハシャドへと贈ったが。……あろう事か、「検閲」と称してアルネラが先にリンゴに触れてしまったのだ。黒いリンゴは素手で触ると、食欲を大いに刺激し、食べずにはいられない呪いがかかっている。そして、アルネラも例に漏れず、帝王への贈り物だったはずのリンゴを完食したが……彼女は深魔になるどころか、新たな力が湧いてくると瞳を輝かせ、ヴァルクスに「リンゴの出どころ」を聞きに来る始末。
「話が違うではないか!」
「えぇぇ〜? そうは言われましてもぉ……アレを食べても平気だなんて、将軍さんの方がおかしいんですってぇ。あっ、因みにですね! その将軍さん……もっとリンゴをあげるって言ったら、ハシャドさんを暗殺してきてくれるって、言ってましたよ」
「はっ……?」
秘薬の提供元を詰ってみれば、返ってきたのは想定外の顛末と提案だった。勝手にアルネラとの交渉を持っていたのは、腹立たしかったものの。……アルネラが帝王を殺してくれるとなったら、自分は手を汚さずに済むと、ヴァルクスはすぐさま思い直した。それに、ハシャド王を「瘴気障害」に見せかけるための毒薬も用意していると言うのだから、準備もいいことこの上ない。
(まるで、ゴリラだな……)
公爵と白蛇とが話をしている横で、モシャモシャと無我夢中で黒いリンゴに齧り付くアルネラは、既に人としての理性を捨てつつある。公爵邸の豪華なソファにどかりと座り、口から食べカスを撒き散らし、手に付いた果汁を無遠慮にソファで拭う所作は……あまりに醜い。
「あぁ、因みにですけどぉ。あの将軍さん、特別な魂を持ってるみたいです〜。できれば、お引き取りさせて欲しいんですよね。もうちょっと……そうですねぇ、1ヶ月くらいでしょうか? それまでに彼女が深魔にならなかったら、超大発見なのですぅ! みんな興味津々みたいでしたし、こっちのお偉いさんを連れてきますね〜」
「い、いや……お偉いさんとやらを、連れてこられてもな……」
妙な話になったと困惑するヴァルクスを他所に、自分の事だというのに……アルネラは我関せずと、リンゴを貪り続けている。そうして、心ゆくまでリンゴを堪能し、満腹になったのだろう。満足そうに腹をさすっては、勧められもしないのにソファに横になり、無防備にいびきをかき始めた。
「……そうだな。引き取ってもらった方が、良さそうだ。ハシャドを処分させた証拠も、残すわけにもいかん」
「うふふ、そうですよね〜。こんなに勝手な人、いない方がいいですよね〜」
チロチロと舌を出しながら、バルドルが同意を示すものの。まだ話し足りないと見えて……今度はちゃっかりと、とある要求を投げてくる。
「あっ、それはそうと……ヴァルクス様ぁ。リンゴの対価に、皇子様をくれません?」
「皇子……? あぁ、フレアムか? 別に俺は構わんが……」
「いやいや、違いますよぅ。バルちゃん達が欲しいのは、そっちじゃなくて。ヴァルムート君の方ですってぇ。あの子も、深魔になりづらい傾向があるみたいなんで……できれば、向こうで試したい事があるんですよ〜」
さて、どうする。ヴァルクスにしてみれば、ヴァルムートは可愛くもなんともない甥っ子であるが。一応はフレアムの対抗馬として、残しておかなければならない。そうでなければ、何のために……と、そこまで考えて、もうヴァルムートはいなくてもいいかと思い直すヴァルクス。
(この後は俺が帝王になる予定なのだから……ヴァルムートを生かす必要はもうないか)
いや、むしろ……いない方が、都合がいいのでは? 帝王候補は少なければ少ないほど、いいに決まっている。
「好きにするがいい。どうせ、出来損ないの無能だ。生かしておいたところで、ハルデオン家の汚点でしかない」
「そうこなくっちゃ〜! それじゃ、ヴァルムート君にもお迎え、用意しておきますね〜。1ヶ月後、よろしくですぅ!」
***
「ところで、ヴァルクス様」
1ヶ月前に交わされた約束を思い出しながら、結局は計画通りにいっていないと……ヴァルクスは嘆息するが。裏庭の魔法駆動車に乗り込んだところで声をかけられ、仕方なしに気分を切り替える。現状では確かに、帝王暗殺は失敗し、皇子誘拐も防がれて……と、計画は頓挫しているものの。まだまだ挽回の機会は十分にある。
「……なんだ?」
「姉はどうなるのでしょう?」
身勝手な彼女にしては、意外な質問であったが……どうやら、自分の身を心配してのものらしい。フィステラは都合が悪い事を喋るかもしれないから処分すべきだと、アルネラは言い募る。
「心配するな。情報が漏れることがないよう、奴にはデザートを提供してきた。そろそろ、大暴れし始める頃か? アレが暴れれば……頑丈な貴族牢とて、ひとたまりもないはず。きっと、お前は破壊行動に巻き込まれ死んだ事になるだろうな」
「左様でしたか。……それを聞いて、安心致しました。しかし、デザートですか……。何と、羨ましい……」
「そっちの心配も無用だ。……ちゃんと、お前にも用意している」
ヴァルクスの朗報に大喜びし、安心要素を見出せる彼女は疑いようもなく「末期」であろうが。しかして、アルネラは特別な存在……「魔法のリンゴ」を食べても深魔になるどころか、悪意のままに自分の野望に忠実であり続けられた、脅威の申し子。ヴァルクスには今ひとつ、アルネラの重要性は理解できないが。別に理解せずともいいだろうと、これまた割り切って。魔法駆動車の魔法回路を起動させ、ハンドルを強く握りしめた。




