6−54 ご都合主義の自分劇場
ここに来るのは何年振り……いや、下手をすると初めてかも知れない。目の前で黒々と聳える門を見つめては、今更やってきた緊張感もなんとかやり過ごし。ヴァルムートは勇気を出して、呼び鈴を鳴らす。
クージェ帝国はどこもかしこも、外観が統一し尽くされた住宅が続くが、それは公爵邸でも例外ではなく。規模は大きいし、門の向こう側には中庭が見えているものの……屋敷自体は黒いブロックが幾重にも積まれ、帝国城といい勝負の重厚さと閉塞感も存分に醸し出していた。この奇妙な統一感が、ヴァルムートの記憶を曖昧にさせる。ここに来るのは初めてなのか、どうかさえ……門が仰々しく開かれてからも、ヴァルムートはとうとう思い出せずにいた。
「ヴァルムート様、ようこそいらっしゃいました。さぁ、中へどうぞ」
「えっ? あ、あぁ……」
そんな公爵邸に供を連れる事もなく、単身で……しかも、事前連絡もないまま乗り込んでみたが。まるでヴァルムートの来訪を予測していたかのように、使用人が彼を迎え入れてくれるではないか。
「ヴァルムート様がお越しの際は、丁重にもてなすよう、ヴァルクス様からお伺いしておりまして。どうぞ、こちらの部屋をお使いください」
「……もしかして、伯父上は俺が来ることを知っていたのか?」
「左様ですな。あいにくと、ヴァルクス様は外出しておりますが……じきにお戻りになられます。それまで、ゆっくりとなさって下さい」
使用人の丁寧なもてなしに、安心と同時に……ムクムクと傲慢さを取り戻すヴァルムート。
そうそう、これこそが正しい使用人の態度。あの執事(キュラータの事である)は本当に、使用人の風上にも置けない奴だったと勝手に立腹しては……止せばいいのに、ヴァルムートは持ち前の横柄な態度で、公爵家の使用人にお茶と茶菓子を要求し始めた。
「フン、来る事を知っていたのに……皇子であるこの俺を待たせる気か。だったら、茶と菓子くらいサッサと寄越せ」
「無論ですとも。すぐにお持ち致します」
しかしながら、ヴァルムートの尊大さも織り込み済みとばかりに、使用人は嫌な顔1つせずにそそくさと去って行く。彼の物分かりがいい態度に、改めて自尊心が満たされるのを感じながら……ようやく、通された部屋の調度をぐるりと見渡すが。どれもこれも一級品と思しき家具を前に、趣味がいいと同時に、使い勝手も良さそうだと……ヴァルムートはまたも、上から目線の勘違いをし始めていた。
(やっぱり、俺はもてなされて然るべき存在なんだ。さっきの使用人はこの部屋を使えって言っていたし、もしかしたら、伯父上が俺のために用意していたのかも知れないな)
そうともなれば、彼が「謝罪をしたがっている」というグリフィシーの証言も現実味を帯びてくる。帝国城でたまに顔を合わせる事もあったが、とてもではないが、ヴァルクスはヴァルムートは元より、何故かヴァルヴァネッサにまで冷たい態度を貫いていた。その事は何よりも、母を悲しませていたが……彼らの仲をとり持てば、きっと褒めてもらえるに違いない。帝王を救っただけではなく、母と叔父の人間関係も修復したとなれば周囲も自分を見直し、崇めるに違いない……と、ヴァルムートは身勝手な期待を抱き始めていた。
「お待たせしました」
ヴァルムートがご都合主義の自分劇場を心の中で展開していると。静々とやってきたのは、先程の使用人とは異なる2名のメイド達。テキパキとテーブルに真っ白なクロスが敷かれ、香り高い紅茶と茶菓子を差し出されれば。さも当然とばかりに何の疑いもなく、「ご苦労」と言いつつヴァルムートは紅茶を口に含む。
「この紅茶、変わった香りだな? 随分と甘い匂いがする……」
「そちらは特製のブレンド茶でございます、ヴァルムート様。ヴァルクス様によれば、香料にオトメキンモクセイが使われているそうで……」
「オトメキンモクセイ? それって、確か……ヴっ⁉︎」
メイド達の答えが届く前に、ヴァルムートの視界がクラリとよろめく。そうして、朦朧とし始めた意識の中でオトメキンモクセイが医療用麻酔にも使われる植物であった事も思い出すものの。思い出したところで、状況を打破する事もできず……ヴァルムートの意識は、そのままプツリと途切れた。
***
トコロ変わって、ここは帝国城の貴族牢の一角。豪華ではあるが、自由のない独房ではアルネラがギリギリと歯を食いしばり、修羅の形相を作っていた。クージェ帝国の元将軍であり、ファニア家でも随一の腕前とされていた魔法剣士ではあるが……今の彼女は帝王暗殺未遂の罪に問われている、大罪人。証拠もバッチリ、動機もガッツリ。ここまでの条件が揃っていれば、投獄と断罪を免れることはできない。
(あの女……あの天使さえいなければ、こんなことにはならなかったのに……!)
それは何も、あの天使……ルエルのせいではないと、誰もが思うだろう。しかし、こちらはこちらで、自分中心の世界で生きてきた彼女の中では「そういうコト」になっている。ルエルが大人しく毒を含み、ローヴェルズが怯えて撤退していれば。こんなこと……つまりは処刑目前まで、追い込まれることもなかったのに……と。
(このままでは、殺されてしまう……!)
待てど暮らせど、釈放される可能性は非常に低い。だったらば、力尽くで脱走してやると……ご自慢の攻撃魔法を手当たり次第に、ぶつけてみても。魔法対策もバッチリ施された格子相手では、何の効果もない。武器は没収されているし、看守を籠絡しようにも、アルネラはそちら方面の手練手管には疎い。しかも、お世辞にも女性らしいとは言えず、色仕掛けをしてみたところで……ゴリラが勘違いをして発情したと、笑われるのが関の山だろう。
「クソッ!」
苛立ち紛れに壁に拳を叩き込んだところで、無駄に手の甲が痛いだけである。それでも、力を振るわずにはいられなくて……アルネラは何度も何度も、壁を殴り続けた。そうして、血塗れになった手を呆然と見つめては……乱れた髪を掻き上げる余裕もなく、とうとう燃え尽きたように涙を溢す。
「そこから、出たいか?」
いよいよ絶望に沈み始めたアルネラに声がかけられるので、視線を横にずらしてみれば。鉄格子の向こうにはいつの間にか、いかにも貴族らしい男が立っている。そして……その意外な人物を認め、今度は涙ではなく、うっすらと不気味な笑みを浮かべるアルネラ。
「……あぁ、助けに来てくれたのですね。ヴァルクス様」
「その通りだ。お前にはまだまだ、働いてもらわねばならんのでな」
アルネラに救援を申し出たのは……ヴァルクス。ファニア家とは敵対関係にあるはずの、ハルデオン公爵その人であった。
【補足】
・オトメキンモクセイ
ドラグニール原産の「霊樹の落とし子」の一種であり、ツルベラドンナの派生種。
夏の終わりから秋にかけて「青い花」を咲かせ、特有の爽やかで甘い芳香を漂わせる常緑樹。
「青い花」のオトメキンモクセイは無害であり、毒性もなく、ごくごく普通の鑑賞樹として楽しむ事ができるが、特殊な苗床(生物の肉体)で育てたオトメキンモクセイは「赤い花」を咲かせ、この「赤い花」を用いて作られた香料は医療用麻酔に活用される他、純度が高いものは麻薬として扱われる。
医療用麻酔を生成する場合は、食肉加工の際に出る家畜の臓物などを用いており、この場合はそこまで毒性の強い花を咲かせる事はないが、オトメキンモクセイは生体に植えられることで、生きた魔力を養分に純度の高い毒を作り出し、それらは麻薬・レッドシナモンとして取り引きされる。
医療用麻酔としての栽培方法が確立している事もあり、霊樹の落とし子には珍しく、人間界でも入手可能な魔法植物ではあるが、当然ながらレッドシナモンの生成・売買は全面的に禁止されている。
・ツルベラドンナ
「霊樹の落とし子」と呼ばれる、ドラグニール産の原生植物。
春先に釣鐘状の可憐な花を咲かせるが、この際に非常に強い刺激臭を放つのが特徴。
花や葉、根の至る部分に毒を溜め込む性質があり、特に花が終わった後の黒い実は桁外れの毒性を持つと言われている。
基本的には毒性が緩慢とされる原種にあって、「霊樹の落し子」内で最も毒性が強く、即効性の高い神経毒を生成する超危険植物。
特に実を煮詰めた上で、竜族の鱗によって清められた「超生成の毒」はたった1滴で竜族の上位種10頭を瞬殺するレベルとされる。
そのあまりに危険な性質から門外不出の魔法植物とされ、現存するのは霊樹・オフィーリア(ドラグニール)の根元に自生する僅かな株だけとなっている。
・レッドシナモン
霊樹の落し子・オトメキンモクセイの「赤い花」から生成される麻薬、あるいはその通称名。
純度が低いものは医療用麻酔として用いられる他、睡眠導入薬として活用されており、麻酔扱いの場合はレッドシナモンとは呼称しない。
しかし、睡眠導入薬としての吸引服用が常習化していたり、高濃度の物を摂取したりすると強い禁断症状を伴う。
非常に依存性の強い薬物であり、脳幹・脳視床下部に影響を及ぼし、腹外側視索前野の睡眠中枢を麻痺させる。
そのため、重度の「シナモン中毒者」になると昏睡状態から一変、強烈な覚醒状態へと移行し、慢性的な寝不足による幻覚・思考力の低下に加え、興奮状態と極度の倦怠感、そして無痛状態に陥っていく。
かつてのクージェ帝国では、この「無痛状態」を「訓練」に利用するため、兵士達にレッドシナモンを常用させていた歴史がある。




