6−53 肝心なところで思い通りにならない現実
朝食を済ませたディアメロ達は、用事があるとかでヴァルヴァネッサからの丁重な謝辞と見送りを受けた後、早々にローヴェルズへと帰っていった。
ハシャド王はまだ昏睡状態が続いているが、一晩で顔色は格段に良くなっており、この様子であれば目覚めも近いと、ヴァルヴァネッサは瞳に涙を溜めて喜ぶ。一方、ヴァルムートは父親の回復こそ喜ばしいと思うものの……心の中でじんわりと広がる、モヤモヤとした気分に折り合いをつけられないままだ。
「……ヴァルムートちゃん。これからは、あまり無理をしなくてもいいのよ。自分を追い込む必要もないのだから、伸び伸びと生きて頂戴ね」
「伸び伸びと……ですか?」
「えぇ、そうよ。……魔力が戻らなくても、あなたが私達の子供であることに変わりはないのだもの。……今まで、余計な心配をさせてごめんなさいね」
ディアメロ達を見送った後、母はそう優しくヴァルムートを慰めてくれたが。ヴァルムートには、ヴァルヴァネッサの励ましはどこか空虚で、的外れなものにも感じられた。
余計な心配とは……どれのことなのだろうか? 帝王の意識が戻らなかった事? それとも、帝位争いについて徹底的に不利だった事? 或いは……今まで、国内に味方らしい味方がいなかった事だろうか。
どうやら、ヴァルヴァネッサはヴァルムートがローヴェルズに協力を要請したのは、周囲に相談できる相手さえいなかったからだと思っているらしい。そして、その不遇を押し付けてしまった事に対して、罪悪感を感じてもいる様子。だが……それはあくまで、「母親としての配慮」であり、「王妃としての憂慮」ではない。
(魔力が戻らなくても……か。でも、それでは意味がないんだ……! 俺は誰よりも強く、誰よりも偉い帝王になりたい……!)
ハシャド王の復調に、フレアム一派の失墜。ここにきて、ヴァルムートに好都合な筋書きが動き出したが……魔力適性を取り戻せないままとなれば、気分が晴れるはずもなく。むしろ、キュラータに力を得る機会を邪魔されたと思い込んでは、ヴァルムートは自室に帰ってからも悶々としていた。
(俺はいなくてもいい……だって? クソッ……! 下僕如きが、生意気な……!)
結局は何も改善していない、自身の境遇。その上、例の執事はヴァルムートを恭しくどころか、終始軽々しく扱っていた。確かに、彼はローヴェルズ側の従者ではあろう。だが、皇子である以上はディアメロと同じ待遇で自分にも接するべきだとヴァルムートは思っていたし、自分の従者(グリフィシーの事である)との実力差も見せつけられたとあっては、屈辱に加えて悔しさも上乗せされている。
《私にとって、ヴァルムート公はいなくてもいい存在なのですよ》
右腕を潰された時、あの執事はハッキリとそう言った。彼にとって、ヴァルムートは敬うべき相手ではないどころか、「いなくてもいい存在」らしい。彼がヴァルムートの行手を阻んだのは、その存在を惜しんだからではなく、ただただ彼にとって「不都合だから」。ご主人様が悲しむから善処するとも言ってはいたが、そこにヴァルムートへの敬意や配慮はなさそうだ。
(クソッ! クソッ! クソッ!)
表面上は思い通りにいくと見せかけて、肝心なところで思い通りにならない現実。フレアムを出し抜けたとて、自身に実力がないともなれば、出し抜く以前の問題である。
(とにかく、魔力を取り戻さねば。このままでは、いずれにしても俺は帝王になれない……)
予告通りに治療された右腕で、取り急ぎの顛末書をつまみ上げては、目を通すものの。もはや、ヴァルムートにとってはフレアム達の処遇など、興味の範囲外へと追いやられていた。
詳細な調査(事情聴取と、場合によっては拷問)はまだだが。アルネラがルエルに用いた毒も差し押さえられ、ハシャド王にも盛られていた毒と一致した以上、少なくとも将軍様は処刑ルートまっしぐらであろう。ハシャド王が意識を取り戻したらば、状況によってはファニア家のお取り潰しも視野に入ってくる。そうともなれば、第二王妃・フィステラの立場は厳しくなるに違いない。そして……帝王の実子とは言え、フレアムも今まで通りの生活が保証されるともされるとも限らない。
「……フレアムの処遇はそこまで酷い事にならないよう、考慮しないといけないかしらね。ふふ……ヴァルムートちゃんのおかげで、改めてローヴェルズと手を取り合うことができたのですもの。……これからは、ファニア家とも仲良くできるように、考えていかなければいけないわ」
なんて、ヴァルヴァネッサは非常に温厚なことも言っていたが。当然ながら、ヴァルムートは甘い日和見主義にも、緩い平和主義にも大反対である。今まで散々苦しめられてきたのだから、トコトン落とせる所まで落としてやりたい。そして、それを達成するには……。
(やっぱり、力が必要だ。俺には……何よりも、力が必要なんだ)
魔力適性を損なった以上、魔法学園へ通うのはもう難しいだろう。いや、通う事自体はできるかも知れないが、状況と環境は最悪だ。魔法学園でもヴァルムートは横柄な態度を貫いており、色々な意味で悪目立ちしてしまっている。それが、実は魔力のない最底辺でした……なんて、事実が知れたらば。学園中の笑い者にされるに違いない。
(そう言えば……グリフィシーが言っていたな。伯父上が俺に会いたがっている……と)
グリフィシーによると、ヴァルクスはヴァルムートに会って謝罪したいと言っていたらしい。それが本当かどうかは不明ではあるが……ヴァルムートが知る限りで、ヴァルクスはグリフィシー一味に近い場所にいる人物である。そして、グリフィシーはこうも言っていたのだ。「私と一緒に来れば……もう一度、魔力を取り戻すことができますよ」……と。
(伯父上に会いにいくか……。もしかしたら、魔力を取り戻す方法を知っているかも)
それでなくとも、ヴァルムートの畜魔症を生み出したのはヴァルヴァネッサの父親……つまりは、先代のハルデオン公爵である。現公爵でもあるヴァルクスならば、先代の知識を継承している可能性もあり得る。
(よし……早速、出発するとしよう。……そう遠くないし、話をするだけならば、すぐに帰ってこれるだろう)
善は急げ。ヴァルムートは新たな希望を見出し、ようやく前を向くが。……「すぐに帰ってこれる」なんて、楽観的な目論見はすぐに打ち砕かれることとなる。それが、ヴァルムートにとって最善か最悪かはさておき……彼の選択は賢いとは言い難い。
そう……いつだって、「安易な希望的観測は、捨てた方が賢明」。甘いお誘いには大抵、罠が仕掛けられているのが貴族社会の常なのだ。




