6−46 善人すぎて、心配な王子様
生贄になる事を拒むのは、そんなにも愚かな事だったのだろうか? 自分らしくありたいと願う事は、そんなにも悪い事だったのだろうか?
ナルシェラはただただ、連れてこられたグラディウスの箱庭で、自分を見失わなかっただけ。しかし、ナルシェラの余裕と気丈さはグラディウスの神やリキュラ、そして……セドリックにとって不愉快であると同時に、不都合でしかなかった。
(特別な存在にならなくてもいい……と、思っていたけれど。いつまでも、悩んでいる場合ではなかったのか。僕が優柔不断だったせいで、メロー君やガラ君にまで、危険な目に遭わせてしまった……)
セドリックの突然の裏切りと拒絶のショックで、ナルシェラは立ち止まることしかできない。それでも、ジリジリと魔獣達の輪が狭くなっていく状況で、ナルシェラの脳裏は徐々に冷静さを増し……いよいよ、彼に覚悟を決めさせる。このままでは自分だけではなく、きっとメローやガラも助からない。せめて、彼らだけでも助けようと思うのなら。……素直に神様のお望み通り、生贄になる事を選べばいい。
「……僕が神様の所に行けば、メロー君達は助けてもらえるんだろうか? 僕という存在が死ねば、セドリック君は満足なんだろうか?」
「なっ⁉︎ 王子様、何を言ってるんすか!」
「そうっすよ! 諦めちゃダメです! まだ……」
「いや、みんなで逃げるのは無理だ。……メロー君は随分と無理をしていたようだし」
「……」
そう、ナルシェラとて気づいていた。メローが自分のために無理をして、自分のために命を燃やしていることを。日を追うごとに顔色が悪くなっていたし、今日だって……もつれそうになる足を懸命に動かしながら、ナルシェラの手を引いてくれていたのだ。それに気づけぬ程、ナルシェラは鈍感でもなければ……薄情でもない。
「本当におめでたいですよね、王子様っていうのは。そもそも、そいつらがあなたを攫ってきたのが、発端なんですよ? それなのに、そいつらを助けようだって? ……馬鹿馬鹿しいのも、ここまでくると呆れてしまいますね」
セドリックが忌々しげに吐き捨てると同時に、更にグンと小さくなる魔獣達の輪。その様子に……セドリックには最初からナルシェラだけではなく、メローやガラを助ける気はないのだと悟る。いや、それどころか……。
「あぁ、因みに。神様からは、メローとガラは処分していいと、お許しも頂いていますよ。リンゴはリンゴらしく、齧られていればいいのです。敬愛する王子様に食べてもらえれば、本望なのではないですか?」
「やっぱり、そういう事……か。薄々、気づいていたっすけど。要するに……俺をリンゴに戻して、ナルシェラ様の魔力を補填しようって算段ですかね」
自分の香りが変わっている事くらい、とっくに理解している。そして、変調が強くなるたびにメローは自らの芳香に酔いそうになるのを、堪えてもいた。ガラに指摘される前から、それこそ、神様にナルシェラを助けて欲しいと懇願してから。グラディウスの神が自分を生贄の生贄にしようと目論んでいる事を、メローは薄々と感じてもいたのだ。だからこそ、リキュラがいない日を狙ってナルシェラを逃がそうとしたが。……どうやら、相談を持ちかける相手を間違えてしまったらしい。
(そうっすよ。所詮、俺は偽物。本来は食われるだけだったはずのリンゴが、たまたま少しだけ自由を与えられただけの……出来損ないでしかない)
分かっていた、知っていた。だけど、神様の思惑を易々と受け入れられる程までに、メローは素直でもなければ……失敗作でもない。そして、どこにも逃げる場所がないと理解させられてしまった、今。こっそり研いできた牙を剥く時と、メローは残された力を全て振り絞る。
「王子様。こんな時に、なんだけど……俺、あんたといられて、楽しかったっすよ。あり得ないくらいにお人好しで、馬鹿みたいにいい人すぎて。……心配で見ていられない程だった。でも……おかげで、退屈もしなかったかな」
だから、これからも一緒にいるために。善人すぎて、心配な王子様の未来を切り開くために。メローは最後にナルシェラにニコリと微笑むと……真っ黒な狼の本性を顕す。そして、すぐさま前足で自らの腹を貫いた。
「メロー君⁉︎」
「……だ、大丈夫……っす。俺は、グラディウスに生み出された……もんで。それなりに、丈夫なんす……よ」
丈夫も何も、明らかに瀕死ではないか。ナルシェラはたまらず、メローの元へと駆け寄るが……。
「王子様、いいから離れて! こうなりゃ……メローのやりたいようにさせてやってください!」
「ガラ君……? メロー君のやりたい事とは、一体……」
思わずメローに触れようとするナルシェラを、ガラが引き止める。ナルシェラが「なぜ?」と、ガラを振り向けば……彼もまた、メローと同じ黒い狼へと姿を変じており、獰猛な唸り声で魔獣達を牽制し始めていた。
「グルル……俺達アップルフォニーは、確かに偽物の出来損ないっすよ。でも、ね。グラディウス……延いては、鋼鉄霊樹・ローレライから生み出された事実は変わらない。それに、俺達があんたを攫った日。王子様は剣術の練習をしてましたよね?」
「……? それが、なんの関係が……?」
「多分、ですけど。……あいつはあんたの餌になることよりも、あんたの牙になる事を選んだんす。……リンゴじゃなくて、狼として死ぬことにしたんでしょ」
メローの死に際をしっかりと見守ろうと、唸り声にやるせない呟きを挟んで。ガラが苦しそうに、説明することによれば。メローはリンゴとして終わりを迎えるのではなく、魔法道具として始まりを歩むことを選んだようで……。
「……!」
朧げな世界に今にも溶け切ってしまいそうな、メローの黒い体。シュルシュルと収縮し、微かな鼓動が途切れた瞬間……ナルシェラの目の前には、一振りの魔剣が残されていた。
「メロー君なのかい……?」
明らかに無機質な魔剣だが。それでも、何かの意思を感じさせるそれは……まるでナルシェラの呼び声に応じるように、彼の手元へとすり寄っていく。そうされて、ナルシェラが自然と魔剣のグリップを握りしめれば。すんなりと彼の手に馴染んだ魔剣は、喜びを示すように漆黒の刃に黄金色の煌めきを吐き出した。




