6−44 愚かな抵抗
「キュピッ! キュピピ!」
鳥籠の底から、いざ出動し。微かでありながらも、確かなナルシェラの「声」がどこかから聞こえた気がして。エックス君は飛び出した先の夜空を、懸命に羽ばたいていた。……しかしながら、普通の小鳥型にデザインされているエックス君の飛行速度は本来、あまり高くない。そもそも、元々は手紙を運ぶだけの存在でしかなかったのだ。当初のお役目では飛行速度はそこまで必要なかったので、エックス君の羽ばたきはサンセットスパロウ程度。お世辞にも、早いとは言えない。
「……キュピ!」
しかし、今のエックス君は改良版。マモンは確かにエックス君を手術したり、解体したりこそ、しなかったものの。ある程度の戦闘を見越して、エックス君自体の性能を底上げする改良も加えていた。そして、その改良の1つが……いわゆる、加速機能である。
「キュワッ‼︎」
目標、補足したなり。
エックス君は僅かに発生している異空間の残滓を感じ取ると、鋭い声と同時に、器用に片足を上げてゴーグルを装着する。そうして今度はその足を腹部に格納し、丸みを帯びたフォルムをスマートに尖らせると……迅速果断。懐かしいご主人様の声を頼りに、夜空の真っ只中へと一直線に飛び込んでいった。
***
(どうして、抵抗する? どうして、高みを目指さぬのだ? 我が一部として、神になれること程、至高はなかろうに)
暗黒霊樹・グラディウスの膝に抱かれて。玉座に身を預けるグラディウスの神は、今まさに敢行されている「愚かな抵抗」の一部始終を見つめていた。
元の世界へ、帰りたい。ナルシェラの切実な願いを、グラディウスはどうしても覆すことはできなかった。しかも、そんな彼に絆されたのか……或いは、バグが起きたのか。ナルシェラに肩入れする配下まで現れる始末。
(愚かな……実に、愚かな。しかし……それでいて、非常に興味深い)
実のところ、メローの計画はグラディウスの神に筒抜けである。この異空間は、グラディウスの箱庭。暗黒霊樹が隅々にまで根を下ろしているこの世界で、かの神が知り得ぬことなど、ほとんどない。もし、あるとすれば……それはおそらく、心の内にのみ漂う秘事くらいのものだろう。
「王子様。もうすぐ、待ち合わせ場所っすから。……そこまで行ければ、帰れますよ」
「あ、あぁ……。しかし、メロー君。……こんな事をして、君は大丈夫なのか?」
「……俺は大丈夫っすよ。今はとにかく、信じて」
神の悪趣味な思惑に、微かでも触れる機会さえもなく。ナルシェラの手を引き、先を急いでいるのはメロー。生贄になることを拒んだ王子に肩入れした挙句、彼を逃がそうとしている愚か者である。
(ふむ……やはり、興味深いな。あれをそうさせるのは……王子の人柄か? 或いは、魂の記憶か?)
暗黒霊樹の玉座で瞼を閉じるグラディウスの神には、もつれそうな足を懸命に動かし、メローが命を燃やしながらナルシェラを誘導している姿がハッキリと見えていた。そして……メローの魂の出どころに想いを馳せては、「あぁ」とため息を吐く。
いくら神を名乗れど、魂を作ることはできない。それはグラディウスの神だけではなく、最古の女神・マナとて同じ事。魂は言うなれば、長い長い進化と営みとの中で生み出された、本能と生命の累積物。形こそ持たないが、確かに何かが生きていたという証を凝縮し、生命の意志と欲望とを形作るものである。
稀に、記憶を引き継ぐ程に強烈な輝きを維持したままの魂も存在するが……大抵は、次の生命を形作る原動力として宿ってからは、新たな生命限りの記憶を謳歌していく。そして、死して天に召される時……生き抜いた輝きを、次世代に引き継ぐのだ。
そして、メローの魂の出どころは……取るに足らない、傭兵という人種だったかと思う。それなりの人生を全うし、それなりの愛と憎しみを抱えて死んだ、ありふれた人間。グラディウスの神にとって、メローの生前は無味乾燥なものでしかないが……最後の最後に、親友に裏切られて死んだのではなかったかと、薄らと記憶している。
(こうもすんなりと絆され、誰かを信じるから、裏切られるのだろうに。まぁ、いい。だからこそ、あれにナルシェラを任せたのだ。……その手はさぞ、手放し難かろう)
愚行への餞に、この世界にいる間の安寧は確保してやるか。グラディウスの神は気まぐれの温情を示そうと、目を閉じたままでスッと手を伸ばし、彼らの足元にミルナエトロラベンダーの絨毯を侍らせる。瘴気が満ちたグラディウスの異空間を走るのは、まだまだ人間臭いナルシェラには辛いであろう。だからこそ、きちんと最終目標手前までは手助けしてやろうと、聖なる花の息吹を彼らの足元に添えてやるが。
「……」
「どうしたんだい? メロー君」
「いえ、何でもないっす。とにかく、先を急ぎますよ」
きっと、足元の違和感に気付いたのだろう。神様の瞼の裏では、メローが戸惑いがちに足を止める光景が浮かんでいる。それでも、後戻りはできないと理解していると見えて、気丈に振る舞っては……彼は尚も、王子様の手を離そうとしない。
(いいぞ、それでいい。お前が本当の絶望を知る時こそ……完成の時だ)
グラディウスがメローの「懇願」を受け入れたのは、当然ながら……彼の願いを聞き届けるためではない。彼の直向きさを利用して、ナルシェラに最高の餌を用意させるためだ。だが、おそらくメローも簡単に願いを叶えてもらえるなんて、ハナから期待していないだろう。
何かと鋭く、愚かながらも賢いメローのこと。自分の寿命が絞られている事には気付いていたようだし、それが故に時間がないと焦りも見せていた。そして、リキュラが不在の日を狙う周到さと計画性も持ち合わせている。だが……それすらも最上のスパイスになるだろうと、グラディウスの神は満足げに口元を緩めた。
「おや? あれはもしかして……セドリック君かな?」
「そうっすよ。あいつが、人間界への案内をしてくれます。あいつもなんだかんだで、苦労しているみたいっすから」
瞼の裏の場面は、目的地の手前まで進んでいた。
メローの言う待ち合わせ場所にはセドリックと、メローの相方が立っている。どうやら、メローの相方……ガラがセドリックと話をつけていたらしい。不安で押しつぶされそうになっていたナルシェラにとって、見慣れた顔が揃うのは何よりも心強く思えた。
ひっそりと神に見つめられている事を、微塵も感じることもなく。ナルシェラはセドリックとの再会を、素直に喜ぶ。それが最悪の選択になるだなんて……知り得ぬまま。
【補足】
・サンセットスパロウ
ゴラニア大陸全域に生息する、日本のスズメに類似した小鳥。
全体的に茶褐色の羽毛に覆われているが、サンセットの名が示すように、胸元は鮮やかなオレンジ色である。
非常に警戒心と縄張り意識が強く、小柄な割には気性が荒い。
20〜30羽で群を作るが、同じ群れの個体同士では協力的に繁殖・子育てをする反面、違う群れに属する個体には異常なまでに攻撃的になる。
稀に群同士の抗争を繰り広げることもあり、朝の囀りの代名詞が一変、繁殖期は近所迷惑の代表格となる。
そのためか……ミアレットはこっそり「ヤンキーバード」と呼んでいたりする。




