5−60 気まぐれに慈悲深い
命令通りに、「とある物」……白薔薇のバレッタを無事に回収し、きちんと届けたと言うのに。リキュラのご機嫌は非常に麗しくない。とりあえずは任務達成したのだから、怒られずに済むとガラは思っていたし、怒りの矛先はガラに向けてのものではなかったが。リキュラの険しい形相は、見るだけで身が縮むものがある。それに……。
「めっちゃ、マズいことになってるっすね、それ」
「そうなのですよ。本当に忌々しい。処理場が向こうの手に落ちただけではなく、キュラータが寝返ったようでして。アレの祝詞が書き換えられているとあって、グラディウス様が落胆されているのです」
「……」
キュラータは職員達に撤収を指示しており、責任者の職務をこなしていた様子。このことに関しては、被験者から魔力適性を奪う装置・「グラディウスの顎門」がしっかりと引き上げられ、当の職員達からも証言が出ているので、間違いなさそうだ。しかし、処理場に乗り込んできたのが相当レベルの天使だったそうで、キュラータが時間が稼ぎを買って出たものの。きっと、その天使に負けたのだろう。結果として天使に契約を強制されたのではないかと、リキュラは推測している。
「起こってしまったことは、仕方ありませんか。……とにかく、ご苦労様でした。君はしっかりと任務を全うしてきたのですから、これ以上は言う事はありません。特に、髪飾りと一緒にミーシャを引き上げてきたのは、正しい判断でしたね」
「どうもっす。それじゃ……」
「えぇ、安心なさい。君の方はリンゴに戻さずに済みそうです」
「えっ? 俺の方は……って、どういう意味っすか?」
リキュラの引っかかる物言いに、ガラは思わず疑問の声を上げるが。どうやら、リキュラにとってはそちらも「忌々しい」出来事であったらしい。少しだけ機嫌を良くしていたと言うのに、またも渋い顔に逆戻りする。
「……メローは近々、使い物にならなくなりそうです」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。メローが一体、何をやらかしたって言うんすか?」
「道理は分かりませんが、ナルシェラの処遇に思うところがあるようです。生意気にも、我らの神に意見しおってからに……!」
「メローが……グラディウス様に意見⁇」
メローが何を思ったのかは知らないが。ナルシェラにかなり肩入れしているようで、王子様を依代にするのは待ってくれないかと、グラディウスに懇願したらしい。
(アイツ、何をやってんだよ……! 王子なんか、庇う必要ないだろうに……)
ガラにとって、ナルシェラの存在はどうでもいい。ただただグラディウスに選ばれた生贄であり、命じられたから攫っただけの相手である。しかしながら、メローはどうでもいい相手では済まされない。
同じ枝に実った、弾かれリンゴ同士の境遇。同時に命を吹き込まれた兄弟であり、同じ苦しみを抱える同胞。生まれた瞬間からコンビを組んでいたせいもあり、メローへの思い入れはたっぷりとある。
「しかも、グラディウス様はメローの意見を優先されるつもりでしてね。ナルシェラの身の回りの世話は、メローに一存すると仰せでした。……グラディウス様は気まぐれに慈悲深いのだから、いけない」
「そ、そっすか……。だったら、メローもすぐに処分にはならないんすね……?」
「そうなりますね。折角です。グラディウス様の慈悲を頂いて、メローがどのように芽吹くか……高みの見物と参りましょう」
恐る恐る尋ねるガラに、顎に手をやりつつ頷くリキュラであったが。彼の嘲笑を見つめては、ガラは面倒なことになったと焦り始めていた。
(……グラディウス様の慈悲、か。それが文字通りのお情けだったら、いいんすけど……)
リキュラがナルシェラに執着し、意固地になる理由。それは偏に、彼自身の保身のためであり、承認要求を満たすためである。
リキュラは常々、グリプトン等の同格の眷属と肩肘張っては、「ナンバー2」の座を競い合っているのだ。誰が真っ先に神に相応しい「使者の器」を見つけるか。霊樹戦役終結直後に生み出されたリキュラ達にとって、それは至上命題であり、真剣勝負であり……そして、生き甲斐でもあった。
そんな中で、自分ではなく従者の意見が採用されたとなっては、非常に面白くない。格下の相手にお役目を奪われたとなれば、リキュラの不機嫌も当然と言えば、当然であろう。
(ナンバー2、ねぇ。俺にしちゃ、どうでもいい事っすけど。……狙える立場にあるんなら、必死になるのも無理はないのかなぁ)
グラディウスは依代を見つけ出した者に、「神の代行者」の立場を与えると明言していた。ナンバー2と言うと、どうしても二番手の印象が拭えないが。グラディウスが示したそれは、神に不測の事態があった際には、代役をも任せる……つまりは、神に取って代わる可能性も内包している。
もちろん、盲目的にグラディウスに心酔するリキュラには、神に成り代わろうなんて野望はないだろう。しかしながら、他の眷属もリキュラと同じ考えを持つかと言えば、そうとは限らない。特に、グリプトンのように野心的な眷属ともなれば、神に成り代わる野望を抱く可能性は十分にあるのだ。
(いずれにしても、俺にはあまり関係ないかな……)
正直なところ、ガラは眷属達の出世レースに興味はない。彼が関心を向けることと言えば、自由をいかにもぎ取るかという事と、いかに自由を楽しむかということくらい。そして……その自由を存分に謳歌するには、相棒がいなければ始まらないと、ガラはこっそりと思うのだった。
***
霊樹・グラディウスとの邂逅を経て、花畑の寝台に帰ってきたものの。暗黒霊樹がナルシェラに望んだのは、依代として完成した肉体を差し出せという、残酷なものだった。そのためには一刻も早く、魔力を取り戻せと言われもしたが……第一、ナルシェラから魔力を欲したわけではない。
(……僕はどうなってしまうんだろう。もう、元の世界には帰れないのか……?)
望みもしない犠牲が生んだ魔力なんぞいらないし、生贄にされる事を易々と受け入れられる訳でもない。グラディウスはさも当然のように、ナルシェラに自己犠牲を要求するが。人身御供を必要とする時点で、グラディウスが邪神寄りであるのは、疑うべくもない現実だろう。
「ふーん……君が例のナルシェラ王子かぁ……」
ベッドに腰掛けて、ぼんやりと漆黒の虚空を眺めるナルシェラ。どこまでも続く常闇に、気落ちしていると……その横顔に、声をかける者があるので振り向けば。紫色の花畑に佇むは、銀髪の見目麗しい青年だった。
「君は……?」
「……僕はセドリック。一応、こっちではあなたの先輩になるのかな?」
「先輩……。だとすると、そうか。……君も無理やり、ここに連れてこられたのか……」
ナルシェラはさも痛ましいと、表情を曇らせるが。対するセドリックは、ナルシェラの憂慮も馬鹿馬鹿しいと、鼻先でせせら笑う。
「違いますよ。僕は望んで、こちらに来たのです」
「自ら望んで……? それはまた、どうしてだい?」
「そんなの、決まっているでしょう? もっと高みを目指すためですよ。……僕はそれなりに魔法は使える方でしたが、人間という種族に限界を感じまして。だから、殻を破るためにこちらにやってきたのです。生贄として連れてこられたあなたと、一緒にしないで下さい」
それに……と、セドリックが呟くことには。彼にはそのままでは決して敵わない相手がおり、彼女と肩を並べ、追い越すためにも、グラディウスの精霊に昇華したいのだと言う。そして、その相手というのが……。
「そう……そうか。君も、ミアレットが気になるんだね」
「……奇遇ですね。まさか、王子様もミアレットをご存知だったとは」
「うん、よく知っている。実を言えば、彼女を婚約者に迎えようと、弟と競争していたんだ。……ふふ、そう。やはり、ミアレットは素晴らしい魔術師だったのだね」
意図せず飛び出した懐かしい名前に、ナルシェラは嬉しそうにしているが。それを聞かされて、慌てたのはセドリックである。まさか、ミアレットがグランティアズの王子にまで懸想されているだなんて、誰が想像できようか。
「言っておきますが、ミアレットの才能は僕が先に目を付けていたんです。それを婚約者、ですって? ……横取りは感心できませんね」
「おや、そうだったのかい? でも、恋には後先は関係ないさ。ミアレットを振り向かせられるよう、互いに頑張ろう」
「いや、僕はミアレットを恋愛対象にしている訳ではないのですけど……」
グラディウスの神に注目されているナルシェラを、先輩として凹ませようとやってきたのに。王子というのはとんと呑気でありながら、どんな時でも余裕を忘れない人種でもあるらしい。先程までの憂鬱は、どこへやら。ナルシェラはセドリックの牽制さえも柔らかく受け止めて、朗らかに微笑む。
「細かい事は、いいじゃないか。折角、知り合えたのだし……気が向いた時にでも、話し相手になってくれると嬉しいよ」
「……なんでしょうね。王子様って、本当に危機感がないんですね……」
凹ませるどころか、妙に好意的に受け入れられて。一緒に頑張ろうやら、話し相手になって欲しいやら、想像の斜め上の反応を示すナルシェラに呆れてしまうものの。この余裕は自分にはない要素だと気づいては、またも慌ててしまうセドリック。心に余裕を満たすため、後輩君を追い詰めようと思ったのに。これでは逆効果ではないか。




