1−18 物騒な事はご遠慮願いたい
「……空気が変わったな」
扉の先に広がるのは、石造りの回廊……だけであれば、良かったのだが。見た目は硬そうな岩石の塊のはずのそれは、捻れて、曲がって、あり得ない柔軟性で蛇行している。その様子に……マモンの眉間にギュッと皺が寄った。
「まさか、ここにきて……法則変化を挟んできたか?」
「法則変化?」
「あぁ。最初に、特殊任務実績記録を確認してもらったろ? あの中に、“迷宮性質”って項目があったの、覚えてる?」
「……そんな項目、あったような、なかったような……」
自分が魔術師扱いされていたインパクトが大きすぎて、ミアレットは知れっと見落としていた……いや。正しくは、嫌な予感がしまくっていて、本能的に深入りしなかっただけである。
「ほれ、ここ見てみ? ……レジスト項目が“水属性”から、“全魔法”に切り替わっていやがる。こうなると……魔法での攻撃は効果なし判定になるんだ」
「えっ⁉︎ となると……やっぱり、魔術師って武器も使えないとダメってことですよね……?」
「うんうん。理解が早くて、先生助かっちゃうな〜。つまりは、そう言うこったな。ま、安心しろって。ここでいきなり、剣を振るえなんて言わないから。それは後々で構わないぞ〜」
「いや、後々も何も……」
武器なんて持たされたら、ますます危ない目に遭う確率が上がるではないか。それでなくとも、ミアレットのキャパシティは魔法だけで既に精一杯である。……この上で武器の扱い方まで乗せられたら、いよいよついていけない自信がある。
「因みに。魔法の習得数だけじゃなくて、得意武器の修練度が上がると、上位クラスに昇格できるからな。そこも頑張ってくれよ」
スチャっと、いかにも爽やかな様子で「ヨロシク!」と手を挙げるマモンだが。
(いやぁぁぁぁ⁉︎ そんな事まで頑張りたくないんですけどぉぉぉ⁉︎)
……やはり、ミアレットは心の中で絶叫せざるを得ない。
「と、それはさておき。今のうちに、ここの項目についてもザクっと説明しておくか。心迷宮は現実世界とは異なる法則で縛られている事が、よくある。んで、大抵は対象者の属性に対してレジスト……つまり、耐性があることが殆どなんだが、稀に物理攻撃シャットアウトやら、魔法攻撃全無効とか……迷宮の深度が高くなると、制限も多くなる傾向があるぞ。だから……うん。深度もちゃっかり上がっているな」
そう言って、マモンが自分の精霊帳を示すが……そこには確かに、「よろしくない方向」で更新された内容が踊っていた。
***
迷宮性質:魔法攻撃遮断
深度:★★★★
***
「……すみません、深度はさりげなく倍になってますよね……? それってつまり、難易度が上がったって事でいいです?」
「だなぁ。なーに、そんなに心配すんなって。深度は最大で10まであるんだぞ? レベル4で魔法が使えない程度、障害のうちに入らねーよ」
「そうなんすか……?」
確かに今までの戦いっぷりからしても、マモンはまだまだ余裕だろう。だが、ミアレットは心迷宮に潜入するのも初めてなら、そもそも実戦自体も初めてである。いくら百戦錬磨のガイドがついているとは言え……色々と物騒な事はご遠慮願いたい、がミアレットの本音だったりする。
「……しかし、あまりいい傾向じゃないのは事実だな。さっきまでの綺麗な空間から、こうも異質な空間に繋がったとなると……この先は、エルシャちゃんの感情だけで作り出された迷宮じゃなさそうか?」
「それって、どういう事ですか?」
「さっき、何らかの方法で無理やり深魔にさせられたかも……って、言ったろ? 多分だが、この先はエルシャちゃんを深魔に堕とした元凶が作り出したエリアだと考えた方がいい」
となると、ミアレットが「隠し扉」を見つけたのは、失策だったと言う事だろうか? 示された情報からしても、回廊の不安定な様子からしても。……明らかに危険度が上がっていることだけは、ミアレットにも理解できると言うもの。
「それじゃぁ、そんな場所にエルシャは私を引き込んだって事ですか……?」
「うんにゃ? 別にミアちゃんを苦労させようと思って、エルシャちゃんはサインを出してきたわけじゃないと思うぞ。どちらかと言うと、しっかりと道標を出してくれたと考えるべきだろう。この空間が元凶に近い場所だと考えた時、向こうさんからすれば、できれば本丸に繋がるルートは隠しておくに越した事ないからな。……元凶さえ残せれば、対象者を完璧に乗っ取る事ができるもんで。……それを邪魔されるのは、奴らにとって何よりも都合が悪い」
そんなことを言いながら、クイと顎で前方を示すマモン。そうして、恐る恐るマモンの視線の先を窺えば。……先程の「綺麗な廊下」で出会った魔物よりも遥かに大きい、漆黒の異形がズンズンとやってくるのが見える。しかも、今度は1体や2体ではない。……見える限りでも、10体は居そうなのだが。
「……マモン先生。あれ……なんだか、とっても強そうなんですけど? それに、あんなに沢山……本当に大丈夫です?」
「ハハ、ミアちゃんは臆病さんだなぁ。もっち、大丈夫だって。ここはも1つ、まとめてやっつけちまいますかね」
(なぁに、主様にかかればあの程度、楽勝であろ。ミア嬢が怯える必要はないでおじゃるよ)
「さ、左様ですか?」
どう見ても、刀1振りでバッサリ行けそうな相手ではないんだが。マモンも風切りも、不安がっている様子は微塵もない。それどころか……。
「という事で……ミアちゃん、ちょいとごめんよ」
「はい? ……ひゃぁっ⁉︎」
どうやら、マモンはミアレットを抱えた状態で応戦するつもりらしい。左腕で軽々とミアレットを抱き上げると、バサリと翼を広げるが……。
「ちょ、ちょっと、マモン先生! えっと……!」
「しっかり捕まっていてくれよ? 首に腕を回していいからさ」
「い、いや、そうじゃなくて……」
まさか、片腕で戦う気なのか、この大悪魔様は。いくら何でも、荒唐無稽にも程があるだろうに。そもそも……この状況、本当にリッテル的には問題ないんだろうか?
「怖かったら、目を瞑ってて構わないからな。そんじゃ、風切り。いつも通り、居合のアシストを頼むぞ」
(任せておじゃれ。主様の動きに合わせれば、良いのであろ?)
「そういうこった。ではでは……張り切って、参りましょうかね!」
ミアレットの懸念事項もサラリと流し、マモンが背中の翼で一気に飛び上がる。そうして、息もぴったりとばかりに風切りの青い鞘が宙を舞い、マモンの太刀筋に合わせて納刀と抜刀とを繰り返し始めた。どうやら……風切りは本体の刀と付属の鞘とで、意識がセットになっているらしい。彼の言う「動きを合わせる」とは、鞘の位置を調整して、居合の連続斬りをサポートすることのようだ。
(ひやぁッ⁉︎ ちょ、ちょっと待って! ナニナニナニ⁉︎ なっ、何なのよ、この状況は⁉︎)
しかし……当然ながら、ミアレットには大悪魔様のやり口は、あまりに刺激的。絶叫マシンも顔負けと、激しいアップダウンに、縦横無尽に上下がひっくり返るともなれば。ミアレットはただただ、マモンにしがみついているのが精一杯だ。
(しかも……マモン先生、笑っているんですけど……?)
時折、目の前で鈍い音を響かせる風圧に怯えながら、ミアレットが見上げると……そこには牙を剥き出しにして、いかにも楽しそうなマモンの笑顔がある。その残忍な容貌に……彼はやっぱり「どこまでも悪魔」なのだと、ミアレットは諒解するが。……本当にマモンが敵じゃなくて良かったと、変な部分で安心してしまう。
なお、ミアレットが知り得ぬ事ではあるが。……マモンは生粋の戦闘狂である。常々、いかに美しく勝利を収めるかにこだわる彼にとって……深魔の心迷宮はあの手この手で大暴れできる、テーマパークに他ならないのだった。




