5−50 感情に飲まれては勝てるものも勝てない
時は少し、遡る。大凡、1時間程前……時系列としては、ルエルがキュラータと廊下で死闘を繰り広げていた頃、であろうか。
ルエルの命を受け、ラウド達とナルシェラの捜索をしていたカテドナとヒスイヒメは、他のアドラメレク達と連携をしながら、周辺の捜索を続けていたが……ナルシェラの真新しい匂いや痕跡を探し出すまでには至らなかった。だが……。
「このお屋敷から、処理場で感じたものと同じ匂いがします」
「そうですか。しかし、ここはどう見ても……」
「はい……これまた、普通のお屋敷ですよね」
見るからに、立派な豪邸ではあるものの。先程の処理場同様、普通なのは外観だけかも知れない。そうして、カテドナとヒスイヒメが訝しんでいると……彼女達の横から、ラウドが思いもよらぬ事を教えてくれる。
「ここはサイラック邸ですね」
「サイラック……あぁ、例の大臣の屋敷でしたか。なるほど。であれば……先方の一味がいても、不自然ではありませんね」
「左様ですね。……いかがしますか? カテドナ殿」
口先ではカテドナに指示を仰ぐものの、ラウドの気が急いているのは、目にも明らか。ヒスイヒメの鼻によると、この屋敷にはナルシェラがやってきた形跡はないようだが。それでも……ナルシェラ第一のラウドにしてみれば、彼の行方を辿れる情報であれば、どんなに瑣末なことでも抑えておきたいのだろう。
(暫し待て……と申しても、止まらなさそうですね、この様子だと)
カテドナはラウドの瞳に焦りと怒りとを認めては、どこかの誰かさんと同じだと、小さく息を吐く。ラウドは考えなしの単細胞ではないものの。頭に血が上りやすいのは、自身の主人であるサタンによく似ていると……カテドナはある種の諦めと、慣れとで、ラウドの要望をすんなりと飲み込んだ。
「ヒスイヒメ。申し訳ないのですけれど……」
「あっ、承知しております。私は他のメンバーに声をかけに行けば良いのですね?」
「えぇ、その通りですよ。あなたは本当に話が早くて、助かりますね。私はラウド様達と共に屋敷を検めますので、近くにいる者があれば、ここに集まるよう伝えておいて下さい」
「かしこまりました。しかし、カテドナ様。もしかして……」
「……えぇ。非常に嫌な予感がします。この屋敷……よくない者が巣食っていそうです」
いつもの冷静な面差しに、緊張感を滲ませて。ヒスイヒメが見上げたカテドナは、険しい表情で屋敷を見つめていたかと思えば……どうやら、最初から本気を出す事にした様子。メイド服はそのままに、淑女の姿を捨てて……悪魔としての本性を顕にし始めた。とは言え……。
「こちらの姿になれば、感覚は研ぎ澄まされるものの……小さくなるのは、如何ともし難いですね」
「アドラメレク様の本性は皆、小柄ですものね……」
「そうなのです。孔雀の姿では、どう頑張っても強そうには見えません。しかも、メスのアドラメレクには上尾筒はありませんから。……インパクトにも欠けるのが、なんとも悩ましい」
上尾筒とは鳥類の尾羽の中でも、最も表層にある羽根のことであるが。ご存知の通り、孔雀は派手な扇状の尾羽……つまりは、上尾筒を持つ事で知られている。だが、派手な上尾筒を持つのはオスのみであり……孔雀の姿を持つアドラメレクもまた、美しい尾羽を持つのはオスだけだったりする。
(ふぅ……力が湧いてくるのは、良いことですが。やはり、見た目の貧相さはカバーできませんね……)
故に……カテドナは能力が大幅に向上する代わりに、見た目が貧弱な本性で過ごすことをあまり良しとしていない。魔界ではこちらの姿がスタンダードではあるが、人間界では「人間に近しい姿」である方が周囲に馴染む意味でも、ナメられない意味でも……圧倒的に都合も良い。
「私にも立派な扇があれば、話は別ですけれども。まぁ、ないものは仕方ありません。尻込みするのも、このくらいにしておきましょう」
黒い孔雀姿でカテドナが諦めたように首を振りながらも、翼と化した腕を軽くはためかせれば。彼女の両手にはそれぞれ、メイス・アラマウトクラウンとアドラメレクの鉄壁が握られている。最初から武器を出しているのを見ても、カテドナの闘志も十分のようだ。
「さて……と。お待たせ致しました、ラウド様。……参りましょう。ご準備はよろしいですか?」
「無論です、カテドナ殿。是非にお力添え願います」
飛び立つヒスイヒメの背中を見送った後。カテドナの問いに対し、こちらもやる気十分とラウドが力強く頷いた。そうされて、彼の背後に控えている兵士達も緊張した面持ちで、武器を構え直す。
「……と、言いたいところですが。どうやら、先方からお見えになったようですね」
「そのようですな。しかし……ふむ。見たことがない顔です。ステフィアに妹がいたなんて、聞いたことはありませんが……」
豪邸にあつらえた様に、綺麗に手入れされた前庭に姿を現したのは、気怠げな瞳を曇らせた少女。幼い面立ちからしても、ステフィアよりは確実に年少と思われるが……。
「この感じは、まさか……! 皆さん、下がって! あれは人間が敵う相手ではありません!」
「えっ……?」
出会い頭に少女が投げてきたナイフを鉄壁の盾で防ぎ、カテドナが叫ぶものの。彼らを退避させる猶予も与えぬとばかりに、少女の体と視線はあっという間にラウド達に肉薄している。
「……あなた達、邪魔。消えて」
器用にナイフを指に挟んだままの手で、今度はどこからともなく取り出した大鎌を振るう少女。月形のそれは白銀の軌跡を空に残しながら、無慈悲な煌めきを放ち……カテドナではなく、ラウド達に襲いかかった。
「させませんッ!」
咄嗟の判断で、カテドナがラウド達の前に躍り出る。その所作は一切の無駄もなく、自慢の盾で軽やかに少女の一撃を弾くが……。
(攻撃が重い……!)
カテドナは少女の攻撃を防ぐついでに体勢を立て直し、腹の底から息を吐いた。小柄な割には彼女の攻撃が異常に鋭く、威力がある事も感じては、努めて冷静であろうと神経を落ち着かせる。……感情に飲まれては勝てるものも勝てないと、憤怒の悪魔である彼女はよく心得ている。……何せ、怒りん坊な主人が怒りに任せて、下らない失敗を繰り返してきたことを、見つめ続けてきたのだ。
なお、余談だが。アドラメレク達にとって、サタンは主人である以上に、憤怒の悪魔としての反面教師として認識されていたりする。彼のようになるまいと……アドラメレク達は怒りに飲まれそうな時には、情けない主人の姿を思い出して、自らを律するそうな。
「……チッ。どうして、悪魔が人間を庇うのよ。弱い奴なんか、放っておけばいいのに」
「そういう訳には参りません。……彼らは護衛対象ですので」
「ふ〜ん。……つまらない理由ね」
いかにも気怠げに、いかにも退屈げに。落ち着き払ったカテドナを前にして、少女はメープル色の瞳を翳らせると……8枚の翼を広げる。その純白の輝きは、確かに天使のそれではあったが……。
「……翼の魔力に濁りが見えますね。あなた、純粋な天使でもなさそうでしょうか?」
「へぇ〜……悪魔って、そんな事も分かるの? でも……何を言われようとも、ちゃんと天使なのよ、私も。……きちんと、生みの親と同じ力を持ってる」
「……」
八翼は大天使の証。そんなこと、カテドナとてよく知っているし……単体で敵う相手ではないかも知れないと、緊張を新たに滲ませる。
エレメントの優劣関係もあり、悪魔は基本的には天使に対して不利である。上級悪魔ともなれば、多少は互角に渡り合えるだろうが……相手が大天使ともなれば、話は別だ。大天使は天使達の中でも傑出した魔法能力を持ち、マナの女神から神具と呼ばれる特殊な魔法武器を授けられた、神界のエリート。彼女達と対等以上に渡り合えるのは、それこそ真祖の悪魔くらいのものだろう。
(不穏な者がいると、思ってはいましたが……。まさか、ここまでとは。……ここは他の者が来るまで、持ち堪えるのが得策でしょうか)
天使らしからぬ禍々しい空気を感じては、尻込みしそうになるのを堪えて。カテドナは弱気になり切る前に……自身を鼓舞するように、メイスを握る手に力を込める。単騎でどこまでできるかは、定かではないが。誇り高きアドラメレクに敵前逃亡はあり得ないと……カテドナは尚も、天使らしき少女を睨みつけていた。
【武具紹介】
・アラマウトクラウン(地属性/攻撃力+127、魔法防御力+80)
カテドナが所持する魔法武器。グリップに魔界原産のバブマラカイトを使った、美しいメイス。
洋梨型のメイスで、扇状に広がったフランジには孔雀の羽根の目を模した彫刻が施されている。
孔雀を連想させる色彩や意匠も相まって、華やかで優雅な外観を持つ反面、この武器による打撃は非常に強烈。
重厚な頭部による殴打は軽い1振りであろうとも、機神族の装甲さえも易々と粉砕する。
【補足】
・バブマラカイト
マモンの領地・強欲の所轄地内から採掘される、魔法鉱石。
漆黒竹の根元にて生成される鉱物のため、別名・竹孔雀とも呼ばれる。
マラカイトは銅の二次鉱物であり、非常に脆い石であるが、このバブマラカイトは漆黒竹が生長の際に溜め込んだ魔力・瘴気が結晶化したものであるため、一般的なマラカイトとは別物。
非常に硬い鉱物であるが、しっかりと磨き上げれば幻想的な光沢と碧色を示すため、武具の素材としてだけではなく、宝飾品としての需要も高い。




