5−48 執事さん、グッドラック
「……何を変な声を上げているのです、ハーヴェン」
どうやら、一通りお話が済んだらしい。アケーディアが緊張した面持ちのルエルと一緒に戻ってくる。しかしながら、ハーヴェンがお嫁さんに振り回されていたのにも、気づいていたのだろう。アケーディアはジットリとハーヴェンを見つめ、呆れた表情を隠さない。
「ハハ……まぁ、色々と。それで? そっちはどうなった?」
「とりあえず、ルエルとの全幅契約は成立しましたよ。最初から強制契約に切り替えてもいいと、僕は思ったのですけどね。そればかりは、契約主の意向を曲げる事もできませんし」
「お?」
やれやれと首を振るアケーディアを他所に、神妙な面持ちのルエルがハーヴェンに「魔封じの氷」解除を依頼してくる。どういう訳か……ルエルには、キュラータに余計な制裁を与えるつもりはないらしい。
「それはそうと、ハーヴェン様。あちらの解除をお願いできまして?」
「ほいほい、了解。……契約が済んでいるのなら、もう必要ないよな」
キュラータを雁字搦めにする程に強固な氷の檻も、作り出した本人にかかれば解除は容易いもの。ハーヴェンが僅かに呪文を唱えた後に、手を1つ打ち鳴らせば。堅牢な氷の檻が忽ちガラガラと音を立てながら、アッサリと瓦解する。
「……ようやく、自由になれましたか……。いやはや、変な方向に腕を拘束されていましたから、肩が凝ってしまったではないですか」
「減らず口を。あなた、自分の立場は分かってます?」
「もちろんですよ、アケーディア様。……まぁ、契約主が別の方だった場合は、真っ先に死を選んでいましたが」
「ほぅ?」
やれやれと肩を揉みながら、キュラータが意味ありげな事をおっしゃるが。執事さんが嘆息混じりにおっしゃる事には、彼には探し物があるらしく……こちらで生活できた方が都合がいいと、判断したそうな。
「それに、私はルエル様に興味があるのですよ。実力は劣るとは言え、その闘志は賞賛に値する」
「フン。褒めたところで、何も出ませんわよ……って、実力は劣るですって⁉︎ 失礼をお吐きになるのも、いい加減になさいよ⁉︎」
「私は事実を申したまでですよ? 特に、魔法が苦手なご様子ですから……今のままでは、逆立ちしても私には勝てますまい」
「うぐぐ……そこまで言うのでしたら、魔法の訓練にも付き合わせますわ! それで……あっという間に、追い抜いて見せましてよ!」
「承知しました。……クク、それはそれは楽しみですね」
自由になれたのが嬉しいのか、或いは、ルエルとの相性がいいのか。不自然なまでにルエルと馴染むキュラータを見つめながら、ミアレットは首を傾げてしまう。
(さっきまで、戦っていたのに……こんな短時間で、仲良くなれるものなのかしら……?)
廊下の凄惨な様子からしても、彼らが激しく争っていたのは間違いないし……何より、ルエルは瀕死だったのだ。しかし、憎まれ口を叩きこそすれ……ルエルはキュラータにしてやられた事を気にしていないばかりか、訓練に付き合わせると豪語しているではないか。
「この感じ、何だかサタンに似てるな……」
そんなミアレットの疑問を知ってか知らずか。ハーヴェンがポリポリと顎を掻きながら、ルエルの様子に既視感があると苦笑いを浮かべている。
「その悪魔さん……もしかしなくても、偉い方ですよね?」
「そうだな。サタンは憤怒の真祖でな。マモンと同じ、大悪魔の1人だ」
「あっ、やっぱり。だとすると……マモン先生みたいに、バリバリに魔法も使えたりするんです?」
「いや、あいつは魔法が苦手でな。大悪魔ではあるんだが、単細……いや。肉弾戦が得意で、拳をぶつける方が性に合っているみたいだな」
サタンと言われれば、非常に有名な悪魔であろうし……名前からしても、いかにも強そうだ。いくら悪魔学に疎いミアレットでも「サタン」と言われれば、「魔王」と読み替えられるくらいの知識はある。しかし……ハーヴェンが「単細胞」と言いかけた時点で、この世界のサタンはそこまで「魔王」という雰囲気でもないらしい。
「えぇ、僕もそう思います。この熱血しかない感じは、サタンに似てますね。だとすると、もしかして……ルエルも脳筋だったりします?」
しかも、アケーディアに至ってはこの反応である。……サタンは意外と、残念なお方なのかもしれない。
「いえ、そういう訳ではないのですが……。拳で語り合えば、相手と意気投合できてしまうタイプではありますね」
アケーディアの質問に答える形で、ルシエルはルエルが脳筋であることは否定しつつも……近いものがある事を匂わせる。
(あぁ、これはひょっとすると……「漢」と書いて「オトコ」と読む系のアレですかぁ……?)
お上品なお嬢様言葉からは想像もつかない、ルエルの実態。しかして、上司であるルシエルは彼女の性格を把握しているだけではなく、その実力の程も知っているようで……。
「実際、私もルエルの訓練に付き合いましたが……彼女であれば、機神族の装甲も破れますよ。非常に筋もいい」
「そ、そうでしたか……」
口ぶりからするに、彼女はルエルの上司であるだけではなく、師匠でもある様子。腕を組みつつ、ルシエルは満足げにウンウンと頷いているが……アケーディアは天使達の凶暴性に、明らかにドン引きしている。
「と、いう事は……ちょっと待て。ルシエル……まさか、ルエルさんに例のスクラップ技を伝授したのか⁉︎」
「もちろん。ストレートで心臓を抉る方法とか、回し蹴りで脇腹を破壊する方法とか、踵落としで頭を粉砕する方法とか……その他諸々、幅広く教えたぞ。それが何か?」
「執事さん、グッドラック……!」
小柄な天使様のお口から出たとは思えない、物騒な所業の数々。それを聞かされて……ハーヴェンは何かに向かって、祈り始めた。彼が真剣に同情しているのを見ても、キュラータの身の上はどこまでも不穏である。……ミアレットを始め、王子様や騎士団の皆様もドン引きしたのは、言うまでもない。
「えっと……それはそうと、大丈夫なんです? 執事さん、元のご主人様がいたんですよね?」
「左様ですね。あぁ、私の事はキュラータで結構ですよ、ミアレット嬢」
「あっ、それじゃ……キュラータさんは天使様と契約して、問題ないんですか? そっちのご主人様に怒られたりとか……罰を受けたりとか、ないんです?」
「その時は、その時です。所詮、神にとって私は捨て駒でしかありません。任務に失敗した時点で、遅かれ早かれ……でしょうね」
しかし、キュラータには「できれば生き延びたい」理由があるそうで……ルエルと意気投合できた今となっては、まだ諦めなくて済みそうだと、弱々しく微笑む。
「……無論、私とて我らが神を信じていますし、それは天使と契約したところで変わりません。ですが……彼が用意してくれた世界には、私の尋ね人はいませんでした」
「誰かを探しているんです……?」
「えぇ、そうですよ。何よりも大切な相手だった気がしますが……私自身もそれが誰だったのか、よく覚えていないのです。……出会えた時に、思い出せればいいのですが」
或いは……忘れたことを、忘れられればいいのですけれど。それだけは、何故か忘れられない気がするのです。
どこか他人事でありながら、吹っ切れた様子でキュラータは嘯くが。彼の葵色の瞳が寂しげに揺れたのに、ミアレットは確かに気づいていた。