5−46 悪魔の囁きは甘い
「魔法を使うには、霊樹が吐き出す魔力が必要。それは、皆さんもご存知の通り。だけど……人間は魔力がなくても生きていけるが、天使も含む、精霊や悪魔みたいな魔法生命体は魔法を使う・使わない以前に、魔力がないと存在意義が死んでしまうんだ」
ちょっぴり情けないと言いたげに、ハーヴェンが肩を竦めて見せるものの。ミアレット達が自分の話に熱心に耳を傾けているのに、嬉しそうに微笑むと……話を続ける。
ゴラニアの世界には「霊樹をもたらした神界の眷属」としての天使と、「各霊樹に祝詞を授けられた種族」としての精霊、そして魔界の霊樹であり、冥王・「ヨルムツリーの眷属」である悪魔が存在している。悪魔の存在については、精霊と一括りにはできない部分もあるが……天使は概ね、「霊樹という魔力の根源をもたらした」という供給側のアドバンテージにより、祝詞を持つ相手と契約し、力を借りることができる。
「霊樹がないと、魔法生命体としては死んでしまう……それは、俺達が逃れられない現実でな。だからこそ、霊樹を作り出したゴラニアの女神様、延いては天使様達には、他の魔法生命体に対しての優位性が発生する」
各霊樹の存在は、精霊達の生命線。現在の霊樹達は神界の軛を離れ、独立した世界を構築しているものの。神界にルーツを持つ現実は覆らないし、神界の女神・マナの権力も揺るがない。そして、彼女の眷属でもある天使達はゴラニアにおける支配者としての地位を築いてきた。
悪魔が拠り所とする魔界の霊樹・ヨルムツリーはその限りではないが……当然ながら、魔界以外での魔力供給は他の霊樹頼りとなる。悪魔は瘴気を魔力に変換できるとは言え、全てを賄うまでには至らない。なので、結局のところ……魔界から出ようとするならば、悪魔も天使の支配下に入らざるを得ないのだ。
「あぁ、でも。今の女神様や天使様達には、そんな偉ぶった雰囲気はないから、俺達も気兼ねなく人間界でエンジョイしているよ。だから、彼女達はどちらかと言うと……支配者というよりは、観測者って言った方が正しいかな」
すっかり「ベリベリーハッピーマフィン」を平らげ、満足そうにしているお嫁さんを見やりながら、ルシエルの頭を撫でるハーヴェン。しかしながら、人前であることに気づいたのか……ルシエルが急にキリッとした表情を見せると、胸を張りつつ、慌ててウンウンと頷く。
「……ルシエル。取ってつけたように、威張ってみるのはいいけど……ほれ、食べカスが付いてるぞ」
「ヴっ……ここで指摘しなくても、いいだろう?」
「へいへい、そうだな。とりあえず、お口をキュッキュして……」
胸ポケットから取り出したハンカチで、旦那様に口元を拭われれば。たちまち恥ずかしそうにしょげる、大天使様。この様子であれば、しばらくは凶暴天使様も大人しくしてくれそうだ。
「さて。天使様達が精霊や悪魔と契約し、力を貸してもらえる理由については、何となく分かってもらえたかと思うが。天使様の契約は、大まかに3種類あってな。……互いの信頼関係や力関係で、どんな契約になるのかが変わってくる」
続けてハーヴェンはルシエルを示し、「手始めに」と自分達の「関係性」……つまりは自分が結んでいる契約について、説明し始める。
ハーヴェンがルシエルと結んでいるのは、「全幅契約」。全幅契約は精霊側からの最大限の信頼の証であると同時に、天使に全てを委ねる契約とされている。この契約をしていれば、天使は魔力的な負担を一切気にすることなく、精霊を呼び出し、力を貸してもらうことが可能だ。
「精霊を呼び出すには、天使側が魔力を支払う決まりになっていてな。普通であれば、タダで力を貸してはもらえないんだが……この全幅契約をしていた場合は、天使側の魔力負担は一切なくなるし、他の世界に出張っている間の魔力も精霊側の自己負担となる。だけど、精霊側のリスクが大きいもんだから、簡単に結べる契約でもなくて。この契約が成立するって事は、精霊側が自分の全てを預けていい程までに天使を信頼している……つまりは、その天使のためなら無茶もできる位に、惚れ込んでいる証なんだ」
サラリと惚気た事を言いつつ、ウィンクを飛ばして見せるハーヴェン。そして、そんな彼の契約主を見やれば……顔を真っ赤にしつつ、ハーヴェンの腰に抱き付いていた。彼女としては満更でもなさそうだが、ちょっと恥ずかしいらしい。
「そうか。これが愛なんだ……!」
「えっ? ディアメロ様……なんて?」
「夫婦になるには、信頼が大事なんだな。……あんな風にくっついてもらえるように、僕もミアレットとの信頼を築きたい。それで、愛を育んで……」
「あ、えっと……そっすね。夫婦の信頼関係が大事なのは、間違っていないと思いマス。ただ、愛を育むのはちょっと早い気がしますよ?」
大事なことを知ったと言わんばかりに、感動しているディアメロの横で……ミアレットはまたも、王子様が変な妄想を爆発させていると、遠い目をせざるを得ない。
「ハハ……恋をするのは、素敵な事だよな。それはさておき……全幅契約はレア度も高い契約でな。一般的な関係の場合は、対等契約からスタートが多いんだ。恋も契約も、急いでもいい事はないぞ。まずは、適度な距離感から始めようか?」
「は、はい! 肝に銘じます!」
ミアレットが居た堪れない顔をしているのにも、気づいたらしい。ハーヴェンがやんわりと王子様の妄想を止めてくださるが。細かい気遣いもできるのが、悪魔男子のニクいところである。
「対等契約は全幅契約と違って、精霊名……要するに、種族名のやり取りだけで契約が成立する。個体名を伏せた状態の契約だから、天使が助力をお願いした時に、力を貸してくれるのが決まった相手ではなくなる」
その上で対等契約はその名の通り、天使と精霊とが対等な立場で結ぶ契約であり、天使が対象の精霊に力を借りたい時は「出張費」として、魔力を支払う必要がある。そして、彼らのホームグラウンドから出ている間に消費される魔力は、天使側が負担しなければならない。
「因みに、対等契約は精霊側のプライバシーも保護されてな。全幅契約を結んでいると、使える魔法の種類に始まり、どこにいるかも常に天使側に筒抜けになる。逆に精霊側からヘルプを出せる利点もあるが……天使様方にストーカー気質がある事を考えると、初っ端からの全幅契約はオススメできないな」
あっ、それはよく分かる気がする。ミシェルのセドリックへの迫り方を考えれば、まずまず事実に即した判断基準だろうと、ミアレットも納得してしまう。……魔力の観測データの存在もあり、目を付けられたらば、最後。天使達の魔の手から逃れるのは、ほぼ不可能であろう。
「……私はストーカーなんて、しないぞ」
「そうだな。でも……俺はルシエルにだったらストーカーされても、構わないぞ」
旦那様のお言葉にますます顔を真っ赤にすると、今度は背後に隠れる格好で、彼の上着に頭を突っ込む大天使様。何かにつけ、悪魔の囁きは甘い。凶暴大天使でさえも、恥ずかしがり屋に転身させるのだから……悪魔はやっぱり、ロマンティックも心得ている生き物である。