5−45 空腹は大天使を凶暴にする
「こちらは終わりましたよ。ところで……ふむ?」
いよいよお仕事が完了したと、リオダ達も引き連れつつ、アケーディアもやってくるが。嬉しそうにピンク色のマフィンを頬張る大天使様の姿を認めて……妙な光景に、全員が一様に「はて」と首を傾げている。
「……ハーヴェン。これ……どういう状況ですか?」
「あっ、えっとですね……」
的確な回答を得ようと、ご本人様ではなくハーヴェンに質問を投げる副学園長様。そうされて、悪魔の姿ながらも恐縮したように……ハーヴェンが状況を説明し始める。
(……この場合は、ハーヴェン先生に聞いた方が確実よね……)
だって、大天使様はお口を動かすのに忙しいのだもの。幸せそうに目を細めているのを邪魔したらば……また暴走するかも知れない。
「まず、心配されていたルエルさんは見ての通り、無事だよ」
「そのようですね。大天使の手にかかれば、このくらいは当然でしょう」
ハーヴェンに示されて、ルエルが遠慮がちにアケーディアへ頭を下げる。そうされて、アケーディアは満足そうに頷いているが。……これは彼としても想定内なので、変な疑問も浮かばない様子。
「それで……うん、なんだ。ルシエルは魔法を使って、腹ペコなもんだから……おやつタイムに勤しんでます」
「ここまでの緊張感の抜け方は、どうかと思いますが……空腹は大天使を凶暴にしますからね。君の対応は正しいと思いますよ」
「ハハ……的確かつ、柔軟なご判断をどうも」
空腹は大天使を凶暴にする。何気なく、アケーディアはそんな事を仰るが。彼の様子からしても、ルシエルが凶暴なのは織り込み済みの模様。おやつに夢中なルシエルもそっちのけで、対話を続けている。
(……いつも思うけど。この人達って、変なところでスルースキルが高すぎるのよね……)
ミアレットにしてみれば、ツッコミどころ満載な気がするが。それさえも副学園長先生は了承済みと見えて、冷静さを崩さない。
「それでもって、ルエルさんを甚振ってくれた奴はこの通り、捕獲済みだ。魔法も無効化してあるし、一応はまだ無傷だよ」
「いつもながらに、素晴らしい手際ですね。流石は、我が学園が誇る特殊祓魔師です」
ハーヴェンの説明に、更に満足げにウンウンと頷くアケーディア。しかしながら、ミアレットは「一応はまだ無傷」というハーヴェンの言葉に、一抹の奇跡を感じずにはいられない。……アケーディアもしっかりとハーヴェンの手腕を褒めているが、これは旦那様が必死にお嫁さんを懐柔せしめた結果だ。彼がいなかったらば、キュラータは無傷では済まなかっただろう。
(副学園長先生って、こんな感じなのねー。本当にマモン先生にソックリだけど……性格は結構、違うみたい?)
マモンの兄だとは聞いていたし、教員リストにも載っている手前、ミアレットとしては魔術師帳越しでは顔見知りはあるものの。彼女が抱いた印象通り、アケーディアとマモンの性格は全くもって異なる。
副学園長先生は何はともあれ、実力至上主義者である。優れている相手はしっかりと認めるし、功績を賞賛することも惜しまないが、その一方で……劣等と判断した相手には、やや厳しい態度を取りがちなのが難点だったりする。ハーヴェンやマモンのように「とりあえずは、面倒見ておくか」なお節介さもなければ、出来の悪い生徒はバッサリと切り捨ててしまう潔さもある。
悪魔らしいと言えば、悪魔らしいのであろうが。彼は教育者というよりは、学者であるため……不出来な生徒を育てようという気概は薄く、彼らに対するドライさは天使といい勝負かも知れない。
(なんとなーく、大学教授っぽいのかも。ハーヴェン先生やマモン先生みたいに、直接面倒を見るタイプじゃなさそう?)
本校登学ともなれば、アケーディアも関わりを持つであろう相手であるし、覚えはめでたいに越したこともないが。そのためには、まずは粗相しないに限ると、ミアレットは大人しくハーヴェンとアケーディアの対話に耳を傾ける。少なくとも、今は自己紹介をする場面ではなさそうだ。
「しかし、どうする? この執事さん、どうやらちょっと特殊な相手のようだが」
「でしたらば、そちらも僕の方で引き取りましょう。なるほど、なるほど。この魔力からするに……なかなかに、興味深い存在のようですね。彼を詳しく調べれば、僕の研究も捗りそうです」
ハーヴェンの問いかけに、アケーディアが黒い笑みを浮かべている。マモンと瓜二つな彼ではあるが。戦闘狂なあちらの真祖様とは別方向で恐ろしいデビルスマイルに……顔はソックリでも笑い方は違うんだなぁと、ミアレットは妙なところに納得していた。
「えっと……奴の処遇はお任せするが……。そうなると、天使様サイドの拷問はナシになりそうかな?」
「どうしましょうかね。そこは学園長と相談になりそうですが……まぁ、折角です。新種の精霊を飼い慣らすのも、一興かと」
「うん?」
精霊を飼い慣らす? アケーディアがまたも、妙に不穏な事を言い出したが。ハーヴェンも彼の意図が見えないと見せかけて……すぐさま、何かに思い至った様子。「あぁ」と小さく嘆息すると、手をポンと打つ。
「もしかして、天使様達の強制契約を使うつもりか?」
「君も天使としっかり契約を結んでいるだけはありますね。その通りですよ」
「でも……あの契約は、あまり乱用していいものじゃないと思うが……」
「君が彼の処遇を気にする必要はありませんよ。どうせ、大元はローレライベースの精霊なのでしょうし、彼女達の支配下に置くことも可能かと。絶命か服従か。いずれかを選ばせればいいだけのことです」
「確かに、そうかも知れないけど……うーん。……俺個人としては、あまり推奨したくないんだよなぁ……」
アケーディアの目論見には気づいたものの、ハーヴェンが渋るのを見るに、彼らの話題に登った「強制契約」はあまりいい手法ではない様子。字面的にも穏やかではない雰囲気ではあるが、そもそも、ミアレットは「契約」が何なのかが分からない。なので……。
「……ハーヴェン先生。あの……」
「お? どうした、ミアちゃん……って、あぁ。もしかして、強制契約が何なのか、気になるのかな?」
「はい、その通りです……。えっと、多分、私達にはあまり関係のない事な気はするんですけどぉ……」
「ハハ、気になるものは、気になるよな。いいよ、折角だし……ここらで、俺達の関係を理解してもらう意味でも、説明しておこうかな」
話の腰を折られたのにも気分を害する事なく、ハーヴェンが応じるが。きっと……他のメンバーが「蚊帳の外」な状況に退屈し始めているのにも、しっかりと気づいたのだろう。大きな悪魔の姿を、ようよう普段の姿に戻すと……アケーディアに目配せをしつつ、ミアレット達に向き直る。
「向こうのお話は、副学園長先生とルエルさんにお任せするとして。皆さんには、ト・ク・ベ・ツ・に! 天使と精霊や悪魔の関係性を明らかにしちゃうぞー」
「おぉ〜!」
「特別に」の部分を強調し、朗らかに微笑むハーヴェンに、彼の気遣いにちょっぴり興奮気味に沸く王子様や兵士さん達。一方で……。
(……ルシエル様がハーヴェン先生にくっついてる……)
当の契約主であらせれる大天使様はモグモグタイムを続行しつつも、旦那様の上着の裾を握りしめている。……ハーヴェンが普段の姿の時は、彼女の定位置が肩から隣に移動するようだ。いずれにしても、天使のお嫁さんは悪魔の旦那様にくっつくのが好きなんだなぁ……と、ミアレットは遠い眼差しの向こうに、旦那様を散々に振り回すリッテルの姿も思い起こしていた。