5−44 天使と悪魔が囁いて
のほほんと「おやつ問題」で頭を悩ませている、悪魔の背後から廊下の情景を窺えば。そこには、どっしりと目が据わった神界の眷属らしからぬ形相の大天使が立っている。
(……本当におやつをあげるだけで、治まるのかなぁ……あれは)
まるでピリピリと空気そのものが痺れるような、逼迫感。大天使のプレッシャーで、緊迫している状況にも関わらず、声を上げたのは……断罪待ったナシな身の、キュラータその人だった。
自分の立場も把握しているのだろうが、やはり粛清は免れたいのだろう。彼は恐れ知らずもいいところで、飄々とした口調でルシエルに嘆願を述べ始める。
「スクラップに粉微塵……。いずれも、大して変わらないではないですか。できれば、どちらもご遠慮したいのですが?」
「ほぅ。この状況で、まだ減らず口を叩く余裕があるか。だったらば、二度と口が利けぬよう、まずは舌を引っこ抜いて……」
「待て待て待て! ルシエル、まずは尋問が先だ! 何のために無傷で捕獲したと思ってるんだよ!」
落ち着き払った様子が気に食わなかったのだろう、更に残酷なことを言い出すルシエル。そんな凶暴なお嫁さんに、さっきまでは呑気に構えていた旦那様も、流石に待ったをかける。
「……別にちょっとくらい、痛めつけてもいいだろう? 絶命さえさせなければ、回復もできるんだし」
先程の回復魔法の手腕があれば、確かにキュラータの回復も可能だろう。だが、回復できるからと言って、暴力を振るっていい訳ではない。
「いやいやいや、そういう問題じゃないでしょう! わざわざ、相手を苦しめる必要はありません! それに……子供の前で残酷な事をするのは、大人としてもダメダメです!」
「でも……腕1本くらいは、いいんじゃないか? 折るだけだぞ?」
「いけませんッ!」
腕を組みつつ、無邪気に首を傾げているが。口先ではとんでもないことを言い出す大天使様に、大物悪魔が堪らず絶叫混じりで、ツッコミを入れている。そんな彼らを前にして……ミアレットはついつい、「アハハ」と乾いた笑いを漏らすついでに、そろりと目を逸らしてしまう。
(……ルシエル様とハーヴェン先生って、いつもこの調子なんだよなぁ……。これじゃ、どっちが天使か分からなくなるわぁ)
天使と悪魔が囁いて……なんて、比喩があるけれど。「いいじゃない」側が天使で、「いけません」側が悪魔な情景に、ミアレットの頭は混乱を来しつつあった。……普通は逆だろうに。少なくともルシエルとハーヴェンの関係性では、これが通常運転だったりするから、恐ろしい。
(って、あれ? ディアメロ様、待っていられなかったんです……?)
ハーヴェンの悲痛な叫びに引き寄せられたのか……あるいは、単純に心配してくれたのか。ミアレットが逸らした視線の先では、廊下の角から王子様が顔を覗かせているのが目に入る。
「……こっちは順調だぞ、ミアレット」
「あっ、お待たせしちゃって、すみません……。もしかして、呼びに来てくれたんです?」
「いや、そういう訳でもないんだが……。ちょっと、手持ち無沙汰でな。ミアレットがいないと、どうも落ち着かないというか……」
どうやら、ディアメロは律儀に報告に来たと見せかけて……ミアレットとお喋りがしたい様子。キュラータが動けない状況であると把握するや否や、少しだけホッとした表情を見せると、そのままタタタッと足取りも軽やかにミアレットに駆け寄ってくる。
「わわっ……ディアメロ様、どうしたんです⁉︎」
「ミアレット……僕は役立たずなんだ……。誰1人、助けてやれない……」
「はい?」
しかし、状況は安心できても、自分の立場は安心できない。駆け寄ってきて、ちょっとくっつくまでは良かったが。ディアメロはミアレットに甘えるように、肩を寄せては……慰めて欲しいようで。
(ちょ、ちょっと! ディアメロ様、こんな所でショボーンしないで⁉︎)
自信家だったはずのディアメロが、おっしゃる事には。ミアレットに呼ばれてやってきた「とあるお方」の指示通りに、兵士達は囚われていた人達を抱き上げ、救出作戦も難なくこなしているらしい。それはそれで、喜ばしい事だろうに……ディアメロは彼らの力強さを前にして、自分の非力さも思い知ったご様子。……彼らを抱き上げることはおろか、肩を貸すことさえも、お断りされてしまったのだと言う。
「それは普通の反応だと思いますよ……。王子様に肩を貸してもらうだなんて、恐縮するのは当たり前じゃ……」
「そうかも知れないけど! 僕も頼ってもらいたかったんだ……! それなのに、みんな、王子は見ているだけでいいのです……なんて、言うんだぞ⁉︎ しかも、兵士でもないアケーディアさんも、軽々と人を抱き上げていたし! 僕は……僕は……!」
「あぁ〜……ディアメロ様、それも仕方ないです。副学園長先生も人間じゃないんで。意外と、力持ちなんですよ」
ミアレットが相談メッセージを飛ばした際、ルシフェルはアケーディアと話し合いをしに、魔法学園に来ていたらしい。そのため、すぐ側にアケーディアもいたようで……「これは自分の得意分野ですね」と、たまたま魔法学園に戻ってきていたハーヴェンを伴って、処理場まで馳せ参じてくれたのだ。……なお、肝心の回復魔法については「ハーヴェンの嫁を頼ればいいでしょう」とアッサリと言い放ち、ハーヴェンが(苦笑いしつつ)ルシエルを呼んでくれたことで、今に至る。
「ルシエル、とにかくステイ、ステイ!」
(って……あっ。そう言えば……ルシエル様の暴走、まだ止まっていなかったっけ……)
ディアメロのご登場に、神経があらぬ方向へ飛んていったが。ハーヴェンの切実な叫びに、ミアレットはすぐさま我に帰る。慌てて声がする方を見やれば……ジリジリとキュラータににじり寄り、グイグイと彼の顎を槍の柄で小突いているルシエルの姿が目に入った。
「安心しろ、ハーヴェン。今ここで粛清するのは、ちゃんと諦めたさ。しかし……ふむ。この気取った顎は今すぐ、すり潰してやりたいな。やはり、このくらいは……」
「だから、ダメだって! もう、こうなったら……」
ちゃんと諦めていないだろ……。ミアレットは心の中でツッコミつつ、ハラハラと状況を見守るが。隣のディアメロも、呆気に取られた顔をしており……どうも、彼も悪魔の方ではなく、天使の方に怯えているらしい。小声で、「天使って、怖いんだな……」と呟いている。
「ルシエルさん! これが目に入らぬか!」
「そっ、それは! ピーちゃん印のおやつ!」
ピーちゃん印のおやつ……? 凶悪な大天使様のお口から、妙にプリティーなお言葉が飛び出したが。どうやら、ハーヴェンは本当におやつで大天使様を釣るつもりらしい。大きな手に摘んだ紙袋を、印籠よろしく見せつけている。何気なく、「ババーン!」と効果音が響いた気がするが……ミアレットとしては、気の迷いだと思いたい。
「因みに! 中身は新作のベリベリーハッピーマフィンです!」
「ベリベリーハッピー……!」
語呂からするに、おそらくベリー系のおやつなのだと思われるが。続け様に変なキーワードを大天使様に口走らせる時点で、ハーヴェンのおやつ効果の威力を思い知る、ミアレット。……一流シェフは大天使様の胃袋だけではなく、ハートもガッチリ鷲掴みにしている模様。
「これが欲しい子は、ちゃんと平和主義者になりなさい!」
「うぐっ……! しっ、仕方ないな。……それで手を打ってやる」
ツンツンした事を言いつつも、ツツツっと引き寄せられるようにやってきては、ハーヴェンにおやつを頂戴と手を出すルシエル。一方で「いい子でよろしい!」と勿体ぶる事もなく、おやつを進呈するハーヴェン。そうして、無事におやつの袋を受け取った途端に、ニパッと微笑むのだから……大天使様は余程、おやつに飢えていると見える。
(うわぁ……。本当に、おやつで鎮まったし……)
ルエルも無事であったし、おまけにキュラータも捕縛できたのだから、お仕事はひと段落であるはずなのに。変な光景を見せつけられたとあっては、やっぱり大天使様は恐ろしいと同時に、変わり者揃いなのだと……ミアレットは別の部分で頭が痛い。