5−43 触らぬ天使に祟りなし
(ルエルさん、大丈夫かなぁ……)
天使長への想いが通じ、きちんと(冷酷ではあるが)大天使様を派遣してもらえたのは良かったし、ハーヴェンまで来てくれたのは最高の布陣でもあるだろう。だが……思っていた以上に、ルエルが重症だったことにミアレットは動揺していた。
(ヴぅ……もっと早く、天使長様にヘルプを出せば良かったかもぉ……!)
見れば見るほど、ルエルの状況は悲惨である。右腕はだらりと垂れ、砕かれた両足は原型を留めていない。4枚の翼は血で赤黒く汚れているが、うちの2枚は折れてしまっているのか……背中から取れかかっているではないか。一応は無事らしい2枚は呼吸をしているかのように、僅かに動いてはいる。だが……その鼓動もあまりに弱く、いつ止まってもおかしくない。
(どうしよう……! どうしよう! ルエルさんが死んじゃったら……!)
自分のせいだ……!
ミアレットは重すぎる自責の念に頭を抱えて、うずくまってしまう。キュラータが自身の毒に関して、「それを首に受けたら死んでしまう」と言っていたことからしても……ルエルの存命は絶望的にさえ、思える。
もし、もっと早く、ルシフェルに相談していたら。……もっと早く、応援を呼んでいたら。ルエルは助かったかもしれないと思えば、思う程……ミアレットは後悔の念に駆られては、涙をこぼしてしまうが。
「……よし、まだ脈はあるな。ルエル、もう少し耐えてくれ……!」
キュラータの腕から放り出されたルエルの元に、ルシエルが静かに降り立つと同時に、彼女の首に手を添えた。そうして、緊迫しつつも希望も見え隠れする事を呟くものだから……ミアレットはパッと顔を上げ、祈るようにルシエルを見つめてしまう。
「えっ……まだ、脈があるってことは……ルエルさん、助かるってことですか⁉︎」
「もちろん。私が来たからには、簡単に死なせはしないさ。部下の窮地を救えないようでは、大天使の名が廃る」
どうやら大天使様に二言はないようで、彼女はルエルをきっちりと救うつもりらしい。ミアレットを安心させるようにニコリと微笑んだ後……ルシエルはスゥと息を吸い、静かに、それでいて異常なスピードで呪文を唱え始めた。
「定められし運命に抗え、定められし絶命を否定せよ。深淵なる生命に再び、輝きの息吹を目覚めさせん……オーバーキャスト・リビルドライフ!」
あっと言う間に展開されたのは、4重魔法陣の回復魔法。魔法陣の純白からして、光属性の魔法なのは間違いなさそうだが。一般的に発動が難しいとされる光属性の魔法をここまで素早く……しかも、的確に発動するなんて。ミアレットには、ルシエルの魔法が一種の奇跡にさえ思える。
(す、凄い……! これが大天使様の回復魔法……!)
床で美しく輝くルシエルの魔法が、みるみるうちにルエルの傷を塞いでいく。あれ程までにボロボロで、意識さえも失っていたというのに。取れかかっていた翼も元通りならば、足もしっかりと2本くっついている。そうして、息を無事に吹き返したらしい。ルエルがゆらりと起き上がった。青白かった顔色にも、ほんのり朱が差しているのを見るに……毒もきちんと抜けている様子。
「ルエル、具合はどうかな?」
「も、問題ございませんわ。しかし、私は敗北を喫し……他の人員をも危険に晒しそうに……」
だが折角、気分も体調も上向いたと言うのに……さっき取り戻したばかりの顔色を蒼白にしながら、ルエルがすぐさま恐縮し始める。……普段は乙女暴走がちで、明後日に突っ走るルエルではあったが。神界という組織の中ではルシエルが上司で、ルエルは部下である。まして、ルシエルは相当の堅物だ。……ミシェルみたいに、「やっちゃったねー、てへぺろ★」なんて流してくれる軽薄さはないだろう。いつもの乙女チックを発動していたらば、大激怒されるに違いない。
(……確か、天使様達の組織って縦社会なんだったっけ……? うーん……でも、普通の天使様達はかなりユルユルしているような……)
天使の階級は翼の数に如実に現れる。翼が多ければ多い程、偉い天使という事になるし、ルシエルのように8枚の翼を持つ大天使は3人しかいない。
しかし、天使は上位であればある程、仕事量が増える傾向があるようで……偉い天使程、仕事に忙殺されるものらしい。それが故に……下級天使達はそこまで仕事に追われることもないため、気楽ではあるものの。上司の手を煩わせない気遣いは、最低限でも忘れていなかったりする。
ルエルが息を吹き返した途端にビクビクと怯え、恐縮しだしたのは、弱さ故にルシエルの手を煩わせた自覚からであり、難敵との遭遇が想定外だったとは言え……カテドナとの別行動が、明らかに判断ミスであったからだ。そもそも、彼女と別行動を取った理由が「人の子の恋愛模様を観測するため」だなんて。……不真面目極まりない理由であったことを、ルシエルに言えるはずもない。
「詳細は後で聞く。少なくとも、アレを相手に他の負傷者を出さなかったのは、褒めこそすれ、責めるつもりはないよ。……よく頑張ったね」
「は、はいっ! ありがとうございます……!」
きっと、無事にルエルを治療できたこともあるのだろう。冷徹天使と言われている割には、ルシエルはルエルには冷酷に接するつもりはないらしい。しかし……すぐさま彼女に向けた温かい眼差しも急速冷凍させると、ルシエルは自らも「アレ」と称したキュラータを睨みつける。
「さて……と。私の部下を、ここまで痛めつけたんだ。貴様、覚悟はできているんだろうな? ……拳でスクラップにされるのと、魔法で粉微塵にされるのと、どちらがいい?」
今度は指をポキポキと鳴らし、フンスと鼻息を漏らす大天使様。眼差しは絶対零度、威圧感は超重量級。小さな体から正体不明の闘志を調達し、ルシエルがジリジリとキュラータに詰め寄る。
「ハーヴェン先生……! ルシエル様、めっちゃ怖いんですけど……!」
「うん、そうだな。俺もしっかり怖いよ。嫁さんはコンパクトボディの割に、インパクトはハンパないからなぁ。とにかく、触らぬ天使に祟りなし、だ。ミアちゃんは触らず騒がず、いい子にしていれば大丈夫だからな〜」
「と、言われましてもぉ……!」
ハーヴェンの背後にいれば、まずまずとばっちりはないだろうが。それでも、恐ろしいものは、恐ろしい。……これから、キュラータがどんな目に遭わされるのかと想像するだけで、ミアレットはプルプルと震えが止まらない。
「あっ、残酷なシーンもお見せしないし、そんなに怯えなくていいよ。おやつの進呈をすれば、ルシエルもこの場でボコるのは、思い留まってくれるだろう」
「……はい?」
しっかり怖いと言いつつも、ハーヴェンはルシエルの凄みにも慣れている様子。悪魔の姿ながら、呑気にどのおやつでご機嫌を取ろうかと、平和に首を捻っている。
(おやつでご機嫌を取るって。そんなんで、いいのぉ……?)
いくらなんでも、単純すぎやしないか? それはそれで、大丈夫なのか? 大天使。
【補足】
・オーバーキャスト(異種多段構築魔法)
複数の魔法を掛け合わせ、複数効果を同時に、かつ最大限に得ることができる魔法のこと。
魔法の構築中に概念を混ぜ合わせ、結合することで、合成魔法を作り出す技術ではあるが……構築中に概念の取り違えをしてしまうと、不発どころか、組み合わせによっては暴発をする可能性があるため、構築に必要な魔法を熟知しているのは最低限かつ、大前提。
また、魔法概念の取り違えを防ぐためには、魔法の簡略化テクニックも重要となってくる。
習得さえできれば、純粋に魔法を連続発動するよりも大幅に魔力消費量を抑えることができ、素早く発動できる。
また、複数魔法の発動回数を抑えることができるため、照準合わせも1回で済むというメリットがある。
→拡張式異種多段構築魔法
特定の魔法の組み合わせによって、効果の同時発現だけではなく、新たな効果を組み込んだ合成魔法のこと。
普通の異種多段構築魔法は魔法を同時発動することで、全ての効果が最大限に発現されるが、この拡張式異種多段構築魔法は「魔法から必要な構成概念だけを抽出し、必要な効果のみを掛け合わせる事で、追加効果を得る」ための魔法構築テクニックとされている。
魔法発動時に展開される構築概念を敢えて「歯抜け」にし、「隙間」に別の構築概念を埋め込むことで、効率的に的確な魔法効果を得ることができる。
・魔法の簡略化
魔法発動の際に、詠唱呪文から「自分にとって不要と思われる要素」を省くことで、素早く魔法を発動する技術。
全ての魔法には、魔力を集めるための「詠唱に効率がいい呪文」が示されているが、これはあくまで術者が概念を理解しやすい様に普遍化したものであり、実は丸ごと唱える必要はなかったりする。
魔法を簡略化しようとする場合は、魔法の概念をしっかり理解した上で、呪文の中から削除しても良さそうな箇所を見つけるのがポイント。
しかしながら、術者によって「不要なポイント(概念)」は変わってくるため、どうしても独学になりがちである。
また、魔法の簡略化ができるのは自身が持っているエレメントのみのため、光属性や闇属性の魔法を簡略化できるのは特定種族に限られる。
【魔法説明】
・リビルドライフ(光属性/拡張式異種多段構築魔法)
「定められし運命に抗え 定められし絶命を否定せよ 深淵なる生命に再び 輝きの息吹を目覚めさせん オーバーキャスト・リビルドライフ」
防御魔法・ディバインウォール(ダブルキャスト)をベースに、回復魔法・グランヒーリングと修復魔法・リフィルリカバーを組み合わせ、肉体の完全蘇生効果を発現させた合成魔法。
同時に3種(4式)の魔法を同時発動し、掛け合わせることで、新たな追加効果を得た拡張式異種多段構築魔法の1つ。
いかに重傷の相手だったとしても、絶命さえしていなければ、完全回復を可能にする。
また、リフィルリカバーの制限(後述)をも無視して、どんな状態の肉体でも元通りに修復させることができる。
全て一般的な光魔法で構成されているとは言え、「グランヒーリング」を含むため、基本的に発動できるのは回復魔法に長けた天使のみと認識されている。
・グランヒーリング(光属性/上級・回復魔法)
「汝の痛み 苦しみ 全てを食み開放せん 魂に再び生を宿せ グランヒーリング」
傷を癒す回復魔法にあって、最上位に位置する完全回復魔法。
3種類ある「傷を癒すための回復魔法」で最も効果が高い魔法であり、対象者の全ての傷を瞬時に回復する他、魔力による体力の補填効果も兼ね備える。
魔力消費量は多いものの、効果が単純であるためか発動難易度はそこまで高くない。
・リフィルリカバー(光属性/中級・回復魔法)
「深き命脈の滾りを呼べ 失いしものを今一度与えん リフィルリカバー」
身体の欠損を修復する、回復魔法。
修復したい部位が破壊・損失していたとしても、魔力によって肉体組織を再構築することで、再生を可能とする。
……効果だけ羅列すると、非常に使い勝手のいい魔法に思えるが、発動条件が非常に厳しいのが特徴。
リフィルリカバーの発動は術者のイメージが先行する傾向があり、術者が元の形を知っていることが前提となっている。
また、魔力による肉体蘇生・再結合にもタイムリミットがあり、失われた部分の補完は大凡24時間以内でなければ成立しない。
イメージ先行型の魔法のため発動自体は難しくないが、条件をクリアできるかどうかという、魔法構築以外の問題が常に付き纏う魔法である。