5−34 怒らせてはいけない相手
(誰かを犠牲にすれば、魔力を得る事はできるのか……。だけど、そこまでする程の価値が、魔法にあるのだろうか?)
自分の中で目覚めようとしている特別な力は、誰かから奪ったものだった。それに……メローの説明からしても、ナルシェラに施された「実験」による変化は、不可逆的なものであることは明白だ。
……1人が魔力を得るには、他の10人から魔力適性を取り上げなければならない。そして、その10人が再び魔力を取り戻すには、別の100人分の魔力適性が必要になる。ナルシェラが「魔力なんていらないから、戻してやってくれ」と懇願したところで……ナルシェラの礎となった10人へ、元通りの魔力適性を返してやる事はできない。
「……怒っていいんすよ、王子様。どうして、こんなにも勝手な事をしたんだ……って」
自分だって、被害者のはずなのに。ナルシェラはまるで自分のせいだと言わんばかりに、苦悩の表情を浮かべている。そんな彼に、静かに語りかけるメローだったが。……すぐさま、不穏な気配に気づくとそっと耳打ちする。
(王子様。お喋りはここまでみたいっす。……さっきまでの話は、内緒にしてください)
後悔に苛まれる時間もなければ、突然の打ち止めに反応する余裕もない。しかしながら……緊張した面持ちで背筋を正し始めたメローに、遠慮がちなナルシェラが更なる説明を強要できるはずもなく。ナルシェラから一歩下がって離れると同時に、メローが深々と礼をするので……そちらを見やれば。そこにはピシリと背筋を正し、鋭利な空気を纏った細面の男が立っていた。
「……ふむ。顔色も悪くなさそうですね。ご気分はいかがですか? 王子」
「メロー君のお茶のおかげで、少しは良くなった。しかし、あなたは……?」
「あぁ、申し遅れました。私はリキュラと申しまして。……こちらの世界では、参謀として神の手助けをしておりますよ」
メローが心なしか、ビクビクと怯えているのにも気づいて……ナルシェラはメローの手際を褒めては、さりげなく彼を庇うことに決める。
先程までの話が明らかに「内緒話」だった事を考えても、メローはリキュラの指示に反して内情を語ってくれたのだろう。そして、メローがそこまでのサービスをしてくれたのには……きっと、ナルシェラを巻き込んでしまった事に罪悪感を抱いているからだと、踏んでいた。
(メロー君は悪くない……。彼がお仕置きされないように、慎重に話をしなければ)
グランティアズ城の中庭で「あなたを連れて行けなければ、どんなお仕置きをされることか……!」と、メローは言っていたが。ナルシェラはてっきり、メローに制裁を加えるのはステフィアだと思っていた。しかし、本当は……このリキュラにお仕置きされるのが怖くて、彼はナルシェラを攫ったのだという事も、どことなく伝わるというもので。
父王・ハザールの威厳とはかけ離れているし、大臣・ガラファドの威圧感とも違う。リキュラが纏う空気は周囲を否応なしに竦ませる、得体の知れない恐怖に満ちている。間違いなく……彼は怒らせてはいけない相手だろう。
「こちらの世界とは? ここは僕が住んでいたグランティアズとは、空気も異なるようだが……」
ナルシェラは文字通り、肌で感じる違和感について、慎重にリキュラに問う。
置かれている世界が異質なら、住人達も異質。第一、花畑の中心にベッドが置かれている時点で、ここが屋外なのか、屋内なのかさえ、見分けがつかない。太陽もなければ、青空もない。どこまでも真っ黒な世界が、いわゆる「異世界」である事だけは、分かるものの。いくら聞き分けのいいナルシェラとて……異世界での過ごし方までは、肌で理解する事はできない。
「ここはグラディウスの庭ですよ、王子」
「グラディウスの庭……か。では、この世界は君達の神様がいる場所……という事かな?」
「えぇ、その通りですよ。どうやら、そこまでの説明はメローからもあったようですね」
「うん、まぁ。……本当に簡潔的に、だけれど。僕は君達の神様に選ばれたから、連れてこられた……という事までは、聞いている。しかし、具体的に僕がどうすればいいのかまでは聞かされていなくてね。……差し支えなければ、君達の目的を聞いても?」
メローからは最低限の説明しか、されていない。当然、踏み込んだ話なんてなかった。
……あたかも、何も知らないとばかりに首を傾げて。ナルシェラはメローの口が固い事を強調する。そうして、リキュラから説明してほしいと、頼んでみれば。リキュラはまずまず満足そうに頷くと同時に、ナルシェラに手を差し出した。どうやら……付いて来いと言いたいらしい。
「それでしたらば、お手を拝借。……説明は移動しがてら、致しましょう。我らの神が、あなた様を呼んでおいでです」
リキュラさえもが丁寧に身をかがめ、丁重な態度を崩さないとなれば。彼らにとって、ナルシェラはそれなりに「重要な相手」であるのだろう。メローがナルシェラは「神の形代」として選ばれたと、言ってもいたが……自身の身がどうなるかを確かめるには、彼について行くしかなさそうだ。
「……承知した。では、案内を頼む」
ここで拒絶したところで、進展は望めないだろう。ナルシェラは覚悟を決めると、素直にリキュラの白手袋の手を掴み、ベッドから立ち上がる。視界の端でメローが不安そうな顔をしているが……余計な口出しはできない以上、彼はただ沈黙を貫いていた。
「えぇ、もちろんです、王子。では……ご面倒様ですが、ご足労願います」
ナルシェラに抵抗する意思はないと、判断したのか……或いは、行き場所がないと理解したと取ったのか。スクと立ち上がったナルシェラを認めると、リキュラはそのままクルリと背を向けて歩き出す。無理矢理手を引いて連れ出そうとしないのを見ても、大人しくしていれば問題なさそうか。
「あぁ、そうだ。……メロー君」
「は、はいっ!」
「君のお茶、とても美味しかったよ。……また、機会があれば淹れて欲しいな」
「……えぇ、是非」
去り際の言葉に、メローは何とも言えない悲しい気分にさせられる。結局、「神様の形代」がどんな存在なのか説明はできなかったが……もし、ナルシェラがグラディウスの神に気に入られてしまったのなら。……きっと、「今のナルシェラ」はいなくなってしまう。
(……これで、いい……。これで、いいんだよな……)
リキュラに連れられて、黒い空間へと消えていくナルシェラの背を見送って。ポツンと花畑に取り残されたメローは、助かったと胸を撫で下ろす……なんて事ができるはずもなく。無意識に自分の身以上に、ナルシェラの身を案じていた。
メローも神様がナルシェラを「どんな風に使うのか」は知らされていない。しかしながら、必要なのはナルシェラ個人ではなく、ナルシェラの血統……延いては肉体だということだけは、薄々と理解していて。このままでは、ナルシェラがいなくなってしまうと考えては……またお茶を振る舞うにはどうすればいいのか、悩み始めていた。