5−33 放っておけない相手
「……話してくれてありがとう、メロー君。でも、君がそんなに傷ついた顔をする必要はないんだよ」
メローがわざと戯けて、無理をして笑っていることくらい、ナルシェラはすぐに気づく。何せ、今まで同じようにちょっぴり卑屈で、傷つき易い弟がそばにいたのだから。彼の擦れた態度がどことなく、弟のそれに近いと感じては……ナルシェラは自然な笑顔を見せた。
「王子様ってのは、本当にどこまでも間抜けなんすね。俺に騙されてるって、思わないんすか?」
「間抜けか……ハハ、よく言われる。僕は特に、世間知らずで無能の役立たずだからね」
「……それこそ、王子様がそんな事を言う必要はないんすよ。だって、本当は王子様は無能じゃなかったんだから」
サラリと自虐を返してきたナルシェラに、こいつはどうしようもないお人好しなのだと、メローは呆れて物も言えないが。それでも、確かに慰められたのも感じては、フフっと皮肉めいた笑いを溢す。
「この感じだと……もうちょい、お喋りできそうっすかね。でも……この先の話は、ちょっとハードと言うか。……知らない方がいいかも知れない」
「この先の話……あぁ。僕が女神様の色を取り戻したと、言っていた部分かな?」
「そっすね」
どうします? 話、聞きたいですか? もしかしたら、後悔するかも知れませんよ……。
矢継ぎ早に、ナルシェラを思い留まらせるような事を口走りつつ。メローが困った表情で、首を傾げているが。ナルシェラは彼の表情を入念に伺うと……コクリと頷く。
きっと、彼の言葉に嘘はないのだろう。そして、「知らない方がいい」というのも、責任逃れの方便でもなさそうだ。そもそも話したくないのなら、話を振らなければいいだけのこと。それなのに……メローは律儀にナルシェラの置かれている状況を説明し、話の取っ掛かりを作っている。この事からしても……彼が語ろうとしているのは、ナルシェラは「知らない方がいい事」であると同時に、メローからすれば「話しておけば気が楽な事」でもあるのだろう。
「……なるほど。お話の続きは、聞く側の覚悟次第だと言いたいんだね。……僕に知る覚悟があるかどうか、君は問うているのかな」
しかし、敢えて「話せば気が楽になるのだろう?」と指摘はせず。ナルシェラはあくまで自分側の問題なのだと、置き換えて返事をする。
ナルシェラは周囲の顔色を伺うばかりと見せかけて……相手をいかに傷つけずに済むかを、常に考えているのだ。それを優しさと取るか、間抜けと取るかは「受け手次第」であろうが。王子という立場からか、自分の返答次第で苦しむかも知れない相手がいる事まで思い至ることができ、それに伴う我慢や覚悟もすんなりできてしまう強さはある。
「ふーん……王子様は空気もしっかり読めるんだ。いちいち言わなくても、ちゃんと話が通じるんすねー」
「どうだろうな? まぁ、周囲の顔色を伺うのは得意だと思うよ」
それを空気を読むって言うんだよ……なんて、言葉は飲み込んで。メローは王子様に憎まれ口ではなく、話の続きを観念したように吐き出す。素直である以上に、謙虚な王子様を前にしたら……やっぱり調子が狂うと、頭を掻きながら。
「……ナルシェラ様、自分でも気づいていませんでした? 自分だけ、目が青いって」
「言われれば、確かに……。父上も弟も、瞳はペリドット色だったかな。母上の瞳はブラウンだったし……」
「それっすよ、それ。……まぁ、人間にとっちゃ、目が青いのは珍しくないんでしょうけど。でも、ね。女神様の血筋の中で、青い瞳は特別なんすよ」
「そうなのかい?」
人間界の女神・シルヴィアは金髪碧眼である。蜂蜜を溶かしたような深い黄金の髪に、澄んだ湖の底を思わせる瞳……と、非常に分かりやすい高貴な色を持っているが。メローが指摘する通り、金髪碧眼はそこまで珍しくはない。しかしながら、グランティアズ王族が「青い瞳」を取り戻したとなれば、話は変わってくる。
「……ガラファドの祖父さんの代になるそうっすが。サイラック家は魔力適性と一緒に、血筋の色も盗んでいたんす。なので、魔力適性を盗む方法は血に絡むものなのかも知れないけれど……ま、いずれにしても、魔力適性を奪われていたはずなのに、ナルシェラ様は青い瞳で生まれてきた。……それはつまり、自力で魔力適性を回復させつつあるってことなんです」
「僕が? 自力で……?」
信じられないと言いたげに、自分の掌を見つめるナルシェラ。しかし……掌以上に、気づいてしまったことがあったらしい。「あれ?」と小さく声を上げると、今度は袖から覗く手首を見つめ始める。
「……こんな痣、あったかな? うーん……どこかで擦りむいたのか?」
見れば、ナルシェラの手首に見慣れない蔦模様が巻き付いているではないか。しかしながら、その模様が自然にできたものだと、疑っていないようで……ナルシェラは「綺麗な模様だなぁ」なんて呑気に首を傾げている。
「もぅぅ……そんな綺麗な模様が痣な訳、ないでしょ! 折角、順を追って説明しようと思ってたのに。先に気づいちゃったんすね……」
「えっ?」
ナルシェラのあまりに天然な反応に、メローがまたもため息を溢す。本当によくもまぁ、こんな調子で生きてこられたもんだ……と、改めて呆れてしまうが。しかし一方で……彼の反応はいちいち憎からず思えるのだから、メローにとって彼は「放っておけない相手」でもあるらしい。
「その模様は処置済みの目印ですよ」
「処置済み?」
「そうっすよ。……魔力適性を注入済みって、目印っす」
メローが諦めたように、説明するところによると。ナルシェラは最初に「今いる空間」ではなく、ローヴェルズ近郊のある施設に運び込まれたそうな。そして、そのある施設……彼らが「処理場」と呼んでいる、グラディウスの実験場でナルシェラはとあるテストに適合したため、「魔力適性の元」を注入されたのだと言う。
「……魔力適性って、注入される程度で得られるものなのか……?」
「みたいっすね。とは言え、誰でもかんでも魔力をもらえる訳じゃないんすよ。魔力を授かるには、それなりの素質が必要なんす。しかも、1人分の魔力適性の元を捻出するには……10人くらい犠牲にしないといけない」
「えっ……?」
それはつまり……?
「……王子様のそれは、実験台から抽出された魔力適性を、濃縮したものなんすよ。具体的な方法はよく分からないすけど……少なくとも、王子様の魔力適性を目覚めさせるために、10人が実験台になってるって事っす」
「そ、そんな……!」
ナルシェラは息を呑むと同時に、もう一度手首を見つめる。そうして、見れば見るほど……さっきまでは漠然と綺麗だと思っていた蔦模様が、たちまち穢らわしい印に思えてくる。
「あっ、別にそいつらが死ぬ訳じゃないっすよ? そんなに絶望した顔、しないで下さい」
「……! そうか……! それじゃぁ、その人達は……無事なんだね?」
「うん、まぁ……命までは取られてないっす。ただ……魔力適性はすっからかんになるから、魔法を使えなくなりますね。人間としては無事かもしれないけど、貴族としては致命的なんじゃないすか?」
「あぁ……そうなるのか……」
安心したのも、束の間。メローの呟きに、残酷な現実をまざまざと思い知るナルシェラ。いくら、自ら望んだことではないとは言え。自分の魔力適性を開花させるために、10人の貴族から魔力適性を取り上げている……延いては、彼らの生活基盤を壊してしまったに等しい。
貴族が貴族たり得るのはもちろん、脈々と受け継いできた地盤や財力もあるだろうが。何よりも、「魔力を持つ血脈」であることが幅を利かせているのだ。そんな彼らが魔力を引き継げないとあらば……貴族としての価値は簡単に暴落してしまう。そして、その先に待っているのは惨めな没落の一途のみだ。