5−32 とある神様の思惑
鼻腔をくすぐる、爽やかな香りに惑わされ。ナルシェラの意識がふわりと浮かぶ。しかし……上がった瞼の裏側から飛び込んでくるのは、どこまでも見覚えのない世界。
(ここは……? 確か、訓練場から戻ろうとした時に……)
自分を探しているらしい使用人に、付いて行った事までは覚えている。しかし、その先の記憶が曖昧だと……気づくや、否や。純白のベッドに寝かされていたナルシェラは、慌てて身を起こす。
「どこなんだ、ここは……。グランティアズ城じゃなさそうだが……」
身を沈めていたベッドは、どうやら花畑の真ん中に設置されているらしい。わざとらしいまでに豪奢な天蓋に、支柱や寝具に至るまで。全てが非現実的な純白に覆われたベッド以外は、ひたすら花畑の紫と、あたりを包む漆黒とに支配された空間。まるで、頼りない浮舟に乗せられた気分だと……ベッドの白はヒリヒリとナルシェラの危機感を刺激する。
「……目が覚めたかい、王子様」
置かれている状況も分からないまま。戸惑うナルシェラを慰めるように、すぐ横から声が響く。さっきまで、誰もいなかったはずなのに。いつの間にか……ベッド横には、トレイに茶器を載せた男が立っているではないか。しかしながら、彼の面影に有り余る既視感を感じては……ナルシェラは困惑と同時に、なぜか安心してしまう。
「確か、君は庭で僕を探していた……」
「その様子だと、意識は問題なさそうかな。あぁ、自己紹介が先だよね。……俺のことは、メローと呼んで」
「メロー君……。そう、君は無事だったんだね。よかった」
「……はっ?」
ナルシェラの場違いかつ、お人好し過ぎる言葉に、ポットを傾けていたメローの手が止まる。この王子様は……一体、自分の何を心配していたというのだろう。
「えっと……王子様、状況分かってます? あなたは誘拐されたんすよ、誘拐! 俺の心配をしている場合じゃないでしょ!」
「まぁ、そうなのだろうね。でも……僕はこうして生きているのだし、調度を見る限り、ぞんざいに扱われた訳でもなさそうだ。それに……あの時、君が困っていたのは間違いなさそうだったし……」
「……いやいやいや。そこは真っ先に自分の心配してくださいよ……。調子が狂うなぁ、もう……」
お茶を注ぎ終えた手で、ガリガリと頭を掻きつつも。とりあえずはお茶でもどうぞと、メローはナルシェラへお茶を差し出す。そうされて……疑うこともなく、受け取ったお茶を口に含むナルシェラ。そんな王子様の様子に、彼には警戒心も猜疑心もないのだろうかと、メローはますます心配になってしまう。
「……えっと、王子様。これまた、どうして疑いもしないんですかねぇ。お茶に毒でも入ってたら、どうするんすか……」
「状況からしても、それはないだろう? 僕を殺すつもりだったら、目が覚めるのも待たないだろうし」
「いや、そうじゃないって。神経毒とか、自白剤とか……死なないタイプの毒も、色々あるでしょうに!」
「あぁ、それもそうだね。迂闊だったな」
「こんな調子で、よく生きてこれましたね……ホント」
攫った側が心配になる程の善人っぷりを発揮するナルシェラに、メローはやっぱり調子が狂うとため息をつく。それでなくとも、この王子様は最初からお人好しが過ぎる。このままテンポを掻き乱されたらば、やりづらい事、この上ない。
「それはさておき。……僕を攫った理由は聞かせてもらえるんだろうか?」
「ま、気になりますよね……それ」
「それなりにね。でも、無理にとは言わないさ。君だって、誰かの命令で僕を攫ったんだろうし」
「……」
毒が入っているかも知れないと、指摘されたのにも関わらず。お茶の香味が気に入った様子で、更にカップを傾けるナルシェラ。そうして……城のメイド達よりも、お茶を淹れるのが上手だと褒めてくるのだから、敵わない。
「……王子様は選ばれたんすよ。神様の形代に」
「神様の形代……?」
「そうっす。グランティアズの王族は、女神の血を引く一族……なのは、知ってたと思うっすけど。……ナルシェラ様は霊樹戦役以降で初めて、女神の色を取り戻した方なんですよ」
お代わり、要ります? ……なんて、少しばかりはぐらかしてみれば。素直にカップを戻してくるナルシェラに、メローは辺りを見渡した後……お茶を注ぐついでに、話の続きも吐き出す。お代わりを受け入れたとなると、王子様はこの先のお喋りもご所望なのだろう。
「……王子様達は女神が見捨てたから魔法を使えないんじゃなくて、魔力適性を奪われてたから使えないんす」
「そうだったのか?」
「そうみたいっすね。んで、王子様達の魔力適性を盗んでたのは、他でもない。……サイラックの奴らっすよ」
正直なところ、メローも「どうやって魔力を盗んだのか」までは知らされていない。そして、ここまでの世間話は明らかに命令違反だ。それでも、妙に親近感が刺激されるナルシェラを放っておけなくて。気づけば、メローは知り得る事を白状していた。
「俺も全部知ってる訳じゃないすけど。本当は……霊樹戦役後に魔力を取り戻せなかったのは、サイラックの方だったみたいっすね。んでもって、自分達が魔力を持てないのは天使のせいだと……恨みを募らせていたようで」
しかし、サイラック家が魔力を取り戻せなかったのは、天使達のせいではない。そもそも、霊樹は特定の相手にだけ魔力を与えないなどと言う、器用な差別はできないのだ。その魔力を受け取れるかどうかは、その血に眠る魔力適性次第……受け手側の問題であって、供給側の問題ではない。
「まるで、僕達みたいだな……。僕達も、女神様に見捨てられたから魔力を持てないんだって、思っていたけれど」
「それも、こっち側が仕込んだ勘違いっすね。確かに、女神様はグランティアズに来ることはなかったみたいすけど。それとこれと、王子様達が魔法を使えないのは、関係ないですよ」
「そうか……」
だが、霊樹が与える相手の選り好みができないなんて事情を、当時の王族が知るはずもなく。「女神に嫌われた愚王」の構図を利用し、グランティアズの王族は「魔力を封印された一族」だと迷信を植え付けることで、サイラック家はまんまと、魔力適正の横取りを成功させるに至る。だが、そこにはとある神様の思惑が噛んでいて……。
「サイラックのドス黒い感情に目をつけたのが、俺達の神様であり……グラディウスの霊樹だったんすけど。グラディウスは、何よりも悪意が大好物な霊樹で。それでなくても、俺達の神様も天使に恨みがあるもんすから。共通の敵もいる事だし、利用し甲斐があると思ったんでしょうねぇ。グラディウスの神様は、高純度の悪意を供給してくれていたサイラック……ついでに、リンドヘイムの奴らに魔力適性を与える実験を始めたんすよ」
グラディウスの霊樹も他の霊樹と同様、特定の相手にだけ魔力を与えるなんて芸当はできない。そこで、魔界の霊樹・ヨルムツリーの真似をして、眷属を作り上げると……橋渡し役兼・お目付役として、サイラック家に差し向けたのだ。
「それが俺達の上司でもあり、王子様を攫うように命令した方なんすけど。……名前はリキュラ様って言いましてね。グラディウスが作った、自前の眷属第一号っす」
「それじゃぁ、君も……」
「……そっすね。俺はリキュラ様程、作り込まれていないすけど。……一応は、グラディウスから作られた使い魔っす。つっても、俺は間引きリンゴから作られた、出来損ないなもんで。……神様や、リキュラ様の命令に従うことしかできないんですよ」
メローは自嘲を溢すと同時に、ステフィアにはしてやらなかったお給仕も完結させて。ナルシェラから空のカップを受け取るついでに、肩を竦める。
「今の話、少しは気晴らしになりました?」
……なんて、軽々しく言って見せるものの。ナルシェラの目には、メローの方こそが何かに傷ついているようにしか見えなかった。
【登場人物紹介】
・メロー(風属性/闇属性)
摘果されたグラディウスの黒いリンゴを媒体とする、魔法生命体の1人。
魔法生命体としての正式名称はアップルフォニー、「偽物リンゴ」の意。
人間に対しては尊大である一方で、王果を成熟させるために間引かれたリンゴが大元のためか、やや卑屈な面がある。
自分に初めて善意を示したナルシェラが気になる様子。
・ガラ(炎属性/闇属性)
メローと同じく、グラディウスが生み出したアップルフォニーの1人。
同時期に摘果されたメローとコンビを組んでいるが、炎属性のせいか、メローと比較しても攻撃的な性質。
「偽物リンゴ」であることに常々屈辱を感じており、享楽的なお調子者と見せかけて、上昇志向も人一倍強い。
・リキュラ(地属性/闇属性)
霊樹・グラディウスが生み出した魔法生命体であり、魔界の大悪魔に匹敵する能力を持つ眷属。
魔法生命体としての正式名称はブラックエッジ、「黒い淵」の意。
グラディウスに突然変異で咲いた8枚の花びらを持つ花を媒体としており、髪と牙に強い毒性を備えている。
グラディウスの神の命に従い、質の良い悪意を生み出し続けていたサイラック家に上がり込んでいたが、彼らよりも更に「期待大」な存在・ミーシャを得てからは、サイラック家の住人達への興味を失いつつある。