5−30 しっかりとデキる子
庭も静かなら、中も静か。流石に立派なドアには施錠がされていたが、魔法道具の前では錠前は役目を放棄せざるを得ない。
先程から大活躍のヒスイヒメが愛用している魔法道具・ウコバクの油匙の効果により、ミアレット達は呆気ないまでに処理場内部へと潜入せしめていた。なんでも……ウコバクの油匙には、「油を必要とする物体」を一時的に従える効果があるのだという。
(これってつまり……扉は開け放題ってことよね……?)
彼女の鮮やかな手際からするに、錠前破りは初めてでもなさそうであるし……ウコバクの油匙を使えば、どんな扉も開けられるということのようだ。それはそれで、大問題な気がするものの。持ち主のウコバクに悪知恵はないのか、泥棒に使おうなんて魂胆はない様子。そんな小悪魔のあまりに無害な存在感に、ミアレットは恐怖する以上に脱力してしまう。
「ヒスイヒメちゃんって、可愛いだけじゃないんですね」
「うふふ……それほどでもありませんわ。ウコバクであれば、この程度はできて当然です」
謙虚なことを言いつつも……これまた褒められて、嬉しそうにピコピコと尻尾を振るヒスイヒメ。手元の油匙を愛おしげに撫でているのを見るに、彼女にとって油匙は大切な魔法道具であると同時に、自慢の逸品でもあるのだろう。
「この油匙は、ベルゼブブ様がウコバク1人1人に合わせて作ってくださった、特注品なのです。私達ウコバクはこの油匙を後生大事に、肌身離さず持っているのですよ」
「わぁぁ……素敵ですね、そういうの……! 何と言うか……愛を感じますね、愛を」
ミアレットが素直な感想を漏らせば、ヒスイヒメも素直に嬉しそうな顔をしている。そして、そんなやり取りを間近で見つめていたディアメロには、何か思うところがあるらしい。あまり気が抜けない状況だと言うのに、おかしな事を言い出した。
「……ミアレットは特注品に愛を感じるのか?」
「はい?」
「特別な品物を用意すれば、愛が伝わるのか?」
「……いや、そういう意味じゃないですって、今のは。ヒスイヒメちゃんと大悪魔さんの関係からしても、家族愛に近いと思いますし……」
「まぁ、いい。……兄上を見つけたら、2人で贈り物を競うのも一考だ。どっちのセンスがミアレットに合うか、徹底的に勝負してやる」
「えぇぇ……?」
一方的にそんなことを言いつつ、王子様は贈り物にまつわる妄想が捗るご様子。「ミアレットと家族になるのは僕だ」等と、「家族愛」に引っ張られたと思われる発言も飛び出し、いよいよ混迷を極めている。尚、彼がブツブツと呟く「家族計画」によれば、ご子息とご息女は2人ずつ欲しいそうな。
「……ミアレット様。これ、大丈夫ですか?」
「ウゥン、大丈夫じゃないと思うわ、ヒスイヒメちゃん。完璧に妄想の彼方へトリップしてるわね」
それでも、ナルシェラを出し抜こうとせずに「贈り物で勝負」を考えている時点で、ディアメロは卑怯な人間ではない様子。そんな彼に「仕方のない人なのだから」と憎からず思うと、ミアレットは妄想ついでに迷子になりそうになっているディアメロの手を取る。
「ほらほら、ディアメロ様、行きますよ。今は贈り物よりも、ナルシェラ様を探す方が先ですって」
「あっ……そ、それもそうだな」
普段は自分から強引に手を引いてくるクセに。ミアレットから手を取られるのは、慣れていないのか……今度は恥ずかしそうにモジモジし出すディアメロ。そして……。
「ふふふふふ……」
「ワォ……! 進展アリですわね……!」
お姉様方も楽しそうで、何よりである。
「……しかし、やっぱり妙ですわ……」
「えと、何がですか? ヒスイヒメちゃん」
「……中に入った途端、ナルシェラ様の匂いが薄くなりました。おそらくですが、屋敷内にナルシェラ様はいないと思います。この感じは、移動された後かと……」
「えっ?」
ヒスイヒメの推測によると、庭の方がナルシェラの匂いが若干強かったのは、屋敷内から外に出された可能性が高いからであり、匂いが薄い分、屋敷内にナルシェラがいた時間の方が「先」だろうと言うことだった。
「……うーん、そうですね。お出になられてから、1時間は経過していると思います」
「そうでしたか。1時間ともなると……相当距離を移動していると見て、間違いなさそうですね」
「はい。それに……もう2つ、気になる事があります」
「あら、2つもあるんですの? 聞かせてくれるかしら」
ルエルやカテドナは驚きもせずに、さも当然とヒスイヒメの報告に耳を傾けているが。ミアレットにしてみれば、彼女の計測結果は驚きの連続である。それはディアメロや、騎士団の皆様も同じと見えて……小悪魔相手に、驚愕の表情を浮かべている。
「ナルシェラ様のお側に、2つほど気になる匂いがまとわり付いています。そうですね……リンゴのような、爽やかで甘酸っぱい匂いです。その匂いは、先程の庭でも感じられましたが……屋敷内に入ってから、片方の匂いだけは強くなりました」
「それはつまり……」
「はい。2つの匂いがナルシェラ様を屋敷から連れ出した後、片方はこの屋敷に戻ってきていると思われます」
しかし、その1人も既に屋敷にはいないでしょう……と、ヒスイヒメは首を傾げつつ、呟くものの。精密な報告を前に、「ウコバクの鼻に狂いはありません」とカテドナが堂々と言い切っていたのも、ミアレットは分かる気がしていた。
(うぁ、本当にすごいわぁ……。これ、既に犬の鼻とは別次元な気がするけど……)
鼻の持ち主が喋れる分、観測結果もしっかり伝わるのは最大の利点であるが。何より、ここまでの観測結果をきちんと嗅ぎ分け、理路整然と報告できる知性があるのは驚異的だ。実を言えば……可愛い見た目に反して、ヒスイヒメは相当の切れ者である。悪知恵はないにしても、知恵は働くしっかりとデキる子なのだ。
【道具紹介】
・ウコバクの油匙
油を必要としている道具や物に油を差してやることで、一時的に言うことを聞かせることができる魔法道具。
ドアノブからブリキのおもちゃ、果ては機神族まで。金属でできている相手であれば、大抵は効果を発揮する恐ろしい道具である。
常に油が適量湧いてくるよう構築されており、油を差すだけではなく、篝火代わりに使うことも。
暴食の悪魔・ウコバクが標準的に与えられる道具であり、暴食の真祖・ベルゼブブが子分に合わせてデザインしているため、外観に統一感はなく、それぞれに個性的な形状をしている。
ウコバク達はそんな親玉メイドの特注品を大切にしており、手入れも欠かさずに行っているらしい。