5−26 悲劇のヒロインにはなれない
「ヴぅ……どうして、私がこんな目に遭わないといけないのかしら……!」
グランティアズ城で食事を食べ損ね、ディアメロからも冷たくあしらわれ。仕方なしに、サイラック邸へと逃げ帰ったステフィアだったが……屋敷に帰るなり、メイドを勝手に処理場送りにしたことを、ガラファドからこっ酷く叱責されていた。
「メイドの1人や2人……別に、どうって事ないのに。……何がそんなに、気に入らなかったのかしら?」
いつにない剣幕で怒る父親に、「別に大したことないじゃない!」と悪びれずに口答えしたのも、いけなかったらしい。それでなくとも、普段から娘には甘いガラファドである。ちょっとお叱りを受けるだけで、ステフィアはいつも通りに許されると思っていたが……予想に反して、ガラファドはステフィアを無条件で許すことはなく、あろうことか娘を地下牢へと放り込んだのだ。
「お腹が空いたわ……。第一、今日はまだ何も食べていないのよ……? お父様も酷いわ……!」
これ見よがしに悲劇のヒロインを気取っては、シクシクと泣くステフィアだったが。……誰もいない所で、いくら涙を流しても無駄である。そうして本当に誰も来ないと理解させられると、涙を引っ込めてギャーギャーと騒ぐ。どう頑張っても、彼女は悲劇のヒロインにはなれないらしい。
「ちょっと! 誰かいないの⁉︎ 私、お腹が空いているのだけどッ⁉︎」
「うるさいわね……。別に1日くらい食べなくたって、死なないわ。人間は水さえあれば、1ヶ月近くは生きられるし」
「そういう事を言っているんじゃなくて! 大体……あなた、誰よ? 見ない顔ね? 私が誰だか知っての無礼かしらッ⁉︎」
やって来たのが父親であれば、牢から出してくれないにしても……可哀想にと、食事を用意してくれたかも知れない。だが……牢越しにステフィアを見つめているのは、年端も行かない少女。そして彼女の背後から、ステフィアにとっては見慣れていつつも、見慣れたくもない執事もやってくる。
「どうです、ミーシャ。これを召使いとして、使う気はありますか?」
「……うるさいから、いらない」
「そうですか。では、使い道もないようですし……処分しましょうかね」
「はっ?」
使い道がなくて処分される……とは、自分のことを言っているのだろうか? しかも、その決定権はリキュラではなく、ミーシャと呼ばれた少女にあるようで……?
「うん、それでいいと思う。魔力も大して感じないし、頭も悪そう。食事がないだけで、騒ぐなんて……馬鹿みたい」
「仕方ないでしょう? これはステフィアという欠陥品なのですから。生まれつき特別なあなたとは、比較対象にすらならないのですよ」
「ふーん……哀れね」
言葉だけではなく、本当に憐んでいる様子でミーシャがステフィアを一瞥する。それでも、何かを思い出したらしい。憐憫の表情から一変、メープル色の瞳に好奇心を乗せると、ミーシャはステフィアにとある提案をしてくる。
「……メローとガラから、聞いたわ。あなた、助かるためだったら……何でもするんですって?」
「そんな事、言ったような、言わなかったような……」
惨めにおでこを床に擦り付けて懇願した事を、思い出したくないステフィアは曖昧な返事をするものの。彼らに「何でもするから、助けて」と確かに言っていたし、彼女自身も約束をした事までは覚えている。とは言え、彼女には口約束なぞ守る気は最初からなかったのだが。
「そ? 言ってないんなら、いいわ。あなたにできることなんて、高が知れているし。約束してないんなら、死んじゃうだけだもの」
だが、この状況では約束を認めないのは、そのまま死亡を意味するようで……さも興味なさげに呟くミーシャに命乞いをしない限り、延命は望めない様子。
「言いました! えぇ、確かに、言いましたわ! だっ、だから……」
「助けてほしい?」
乾いた口ぶりでステフィアの要望を、あっさりと言い当てて。ミーシャはどこか空虚な瞳で、ステフィアを凝視している。どこか得体の知れない彼女ではあるが、自分の命を握っているとあらば、ステフィアは媚を売るしかない。そうして涙を瞳に再召喚して、懸命に首を縦に振るが……果たして、ミーシャは小さくため息を吐くと、背後のリキュラに向き直った。
「……まぁ、いいか。リキュラは忙しいみたいだし……奴隷としてなら、これを使ってもいい」
「左様ですか。……あなたも物好きですね。まぁ、気に入らなかったらいつでも処分して構いませんから。せいぜい、好きなように躾けてやって下さい」
「なっ……」
召使い扱いも、ステフィアにしてみれば大概ではあるが。自分よりも年下と思しき小娘に、躾けられるだなんて、屈辱以外の何物でもない。しかも、扱いは奴隷と来ている。
「い、いくらなんでも……奴隷は酷いのではなくて? 私は、このサイラックの娘なのよ……?」
「だから、何?」
「えっ……」
「だから、何だと聞いているの。こんな家、潰そうと思えばいつでも潰せるの。……余計なことしかできない欠陥品のクセに、生意気な事は言わないことね」
サイラック家の威信は揺るがないものだと、信じていたのに。それが簡単に潰されるだなんて、ステフィアには信じられない。しかも、ミーシャはそのサイラックの娘を奴隷にしようだなんて、無礼千万な事を言っているではないか。
「で、でも……父上は何て⁉︎ こんなこと、父上が許すはず……」
「ありますよ?」
「えっ……?」
「あなたの度重なる身勝手な行動で、この家は根底から傾いているのです。その元凶を、見限るのは当然の道理というものでしょう」
「そ、そんな……!」
父親だけは、自分を誰よりも愛していると思っていたのに。父親だけは、どんな事があっても自分の味方だと思っていたのに。その父親が、自分を捨てた……?
「嘘……でしょう? お父様が私を捨てるなんて……」
「嘘だと思うのでしたら、直接聞いてみたらいかがですか? でしたら、ミーシャ」
「……うん、分かった。身の程を思い知らせてやるために、こいつをガラファドに会わせればいいのね?」
「えぇ、その通りです。やはり、あなたはよく分かっていますね」
「そうね。……何となく、分かっているの。どんな風に振る舞えば、死なずに済むか……昔の私は、本当によく分かってたみたい」
「……ふふ。そうですか。それはそれは……とても素敵ですよ、ミーシャ」
僅かに嫌悪感を瞳に滲ませて。ミーシャはまたも、気怠げにため息を吐く。一方で……リキュラはミーシャの「成長」を目の当たりにして、珍しく喜色を示した。
(思いの外、自我の定着が順調に進んでいるようですね……。ガラファドではありませんが、彼女であれば……もしかするかも知れません)
生まれたてのミーシャに「昔の私」があるとするならば。それは、おそらく「生みの親」の記憶に依存する本能なのだろう。そして、その本能はリキュラにとって都合がいい方向へとミーシャを導いていた。
最初はひたすらに厭世的で、凶暴なだけだったミーシャだったが。自分よりも強い相手には従順になれる賢さを、きちんと持ち合わせていたのだ。そして、彼女はリキュラは自分よりも上位の存在であり、親として認識し始める。結果……リキュラの教えをすんなりと吸収し、今では凶悪な本性をひた隠せる器用さまで習得していた。
「……とにかく、行くよ。そうね……私の事は、ご主人様って呼ぶといいわ。いい?」
「くっ……! は、はい……。ご主人様……!」
「うん、ギリギリ合格かな。……最初だから、その反抗的な態度は許してあげる」
片や、ステフィアと言ったら。ミーシャのような賢さは、なきに等しく。あるのは、傲慢な態度と、過剰な自意識だけである。
命が危ういというのに、不満を隠すことさえできない。そして、このまま変われなかったら没落は待ったなしだと……ステフィアが後悔と一緒に痛感するのは、もう少し先の事だったりする。
【登場人物紹介】
・ミーシャ(地属性/光属性)
大天使・ミシェルの怒りに呼応し、漆黒ニーズヘグを苗床として生み出された魔法生命体。
ミシェルの魔力や戦闘能力をある程度継承している他、生前の「怒りに起結する記憶」を丸ごと引き継いでいる。
また、危険察知能力に秀でており、自身に危害を及ぼす出来事や人物を本能的に避けようとする。
生まれた当初は暴れ出すと手が付けられない怪物であったが、リキュラに教育を施された事により、怒りをコントロールできるようになったらしい。