5−15 彼に逆らうべからず
ステフィアは不機嫌だ。朝から……いや、真っ昼間から不機嫌だ。
いつもならステフィアを起しに来るメイドもいなければ、着替えの世話を焼いてくれるメイドや、髪を整えるメイドもいない。当然、朝のお茶も運ばれてこない。
ステフィアの日常は何もかもが、メイド達任せ。だから、普段であれば渋々起きているはずの時間に……ステフィアは自分で起きることができず、目覚めたのはなんと、午前11時過ぎ。……完璧に1日のスタートに出遅れている。
「ちょっと! どうして誰も起こしに来ないのよ⁉︎ 誰か、誰かいないのッ⁉︎」
グランティアズ城を自身の居城だと思い込んでいるステフィアは父・ガラファドとは異なり、サイラック邸に戻ることなく、王城の一角を占領して生活している。本当は王族と同じフロアに部屋を用意させようとしたのだが、彼らの居室が意外とこじんまり(と言っても、庶民からすれば広すぎるのだが)していたこともあり、特別に部屋を準備させたのだ。
だが……今朝ばかりはそれが仇になったらしい。彼らと同じフロアで暮らしていれば、一緒に起こされているだろうし、朝食に同席し損ねるなんて失敗もなかったに違いない。
「大体、なんでナルシェラも私を迎えに来ないわけ⁉︎ 普通は真っ先に来るべきでしょうが!」
そうして、いつも通りに責任転嫁の怒号を叫ぶものの。……ステフィアの不機嫌に応えるものもなければ、彼女の側にやって来る者もいない。荒々しくベルを鳴らしても、メイド1人やってこない。
「な、何よ……! 何がどうなっているのよ……!」
喚こうが、呼ぼうが、大声を出そうが。彼女に応えるものは、誰もいないし、彼女以外は静寂を守ったまま。まるで、全てに無視されているようである。
そうして、ステフィアは誰もやってこない違和感に怯えつつも……仕方なしに、ネグリジェ姿のままでクロゼットを開けてみるが。そこに掛かっていたのは、いつもの洒脱なツーピースやカーディガンスーツではなく、どことなく野暮ったい色味のワンピースばかり。
「こんなのを私に着ろと……? 大体、昨日まであったスーツはどこに行ったのかしら……?」
「あぁ、それなら片付けたぞ? お前には勿体ないし、似合いそうもなかったし」
「服を選ぶ前に、まずは鏡を見とけよ」
「……⁉︎」
先程まで、誰もいなかったはずの居室からステフィアを嘲るような声が聞こえてくる。そのあまりの言い草に、ステフィアは振り向くついでに、相手を睨みつけてみるものの。そこには、使用人らしき2人の青年が立っており……彼らのあまりに麗しい見目に、ステフィアは不機嫌から一変、忽ち気分を高揚させる。
「あなた達、もしかして私の新しい使用人? ふふ。でしたらば、少しは言葉遣いに気をつけるべき……ですけど、まぁ、今のは多めに見てあげるわ。それで……早速、お茶の準備をして頂戴」
眉目秀麗な使用人を侍らせられるのなら、多少の無礼は許してやってもいいか。さっきまでは、あんなにもイライラしていたと言うのに……ステフィアはコロリと態度も変えては、自分では可愛いと思っている笑顔と一緒に命令を投げてみる。しかし……。
「……何を勘違いしているのか、知らんけど。俺達はあんたの使用人じゃないし」
「何が悲しくて、こんな能無しに仕えなきゃならないんだか……。はぁ。リキュラ様も酷な事をさせるよなぁ」
「………えっ? 今……リキュラって言った? それに……能無しって、私のことですの⁉︎」
「うん、言ったな。俺達はとりま、あんたの監視をするために来ただけだ。リキュラ様の命令で仕方なーく、来てやっただけなんだよ」
「だから、これ以上問題を起こすんじゃないぞ、能無し。そんで、身の回りの世話くらいは、自分でやれ」
「なっ、なっ……⁉︎」
能無しと言われ、ステフィアはまたも怒りで大事な事を聞き漏らす……こともなく。リキュラの名前が出た時点で、自分が拙い状況に置かれていることを咄嗟に悟る。
リキュラ。それはステフィアにとって、唯一思い通りにならない、誰よりも疎ましい相手の名前である。
この国で一番偉いと思っていた父親に、遠慮なく上からの立場で接してくる名ばかりの執事。細面に鋭い眼光を乗せたかの執事は、全てにおいて完璧であると同時に……底知れない異質な存在感も、遺憾無く発揮していた。そして、その威圧感は高慢なステフィアにも「彼に逆らうべからず」の不文律を刷り込ませる程に、苛烈なものだった。
(……ま、まぁ、いいわ。身の回りの世話は、ナルシェラにやらせればいいのだし。……明日からは、向こうに住んでやってもいいかしら?)
だが、リキュラが怖いと言えど、ステフィアの自己中心的な勘違いが改善するはずもなく。勝手に移住を決め込んでは、出かける準備を始める。そうして仕方なしに……クローゼットに収まっていた、地味な色味のワンピースに着替えて居室に出れば。そこでは使用人……ではなく、監視員2名が優雅にお茶を嗜んでいた。
「そのお茶、私にも下さる?」
先程よりは控えめに……だけど、当然のようにステフィアはお茶を要求するが。彼らはステフィアをさも面倒くさそうに一瞥すると、これまた辛辣な反応を返してくる。
「は? 何を言っているんだ、お前。さっき、言われた事を忘れたのか?」
「身の回りは自分でしろって、言ったよな? お茶も自分で淹れとけよ」
「……くっ……!」
そうは言われても、ステフィアは自分でお茶を淹れたこともない。だが、彼らがリキュラの手の内の者である以上は、無駄に逆らうのは賢明ではない。
リキュラがそうであるように、彼らもまた……人間とは異なる、高位の魔法生命体である可能性が高い。ステフィアが癇癪を起こしたとて、素直に従うような弱者ではないだろう。
「もう、いいですわ! 私はナルシェラの所に出かけて参りますので、ここで大人しくしていて頂戴」
「誰が出かけていいって、言ったよ?」
「えっ……?」
「お前は監視対象なんだよ。ここで大人しくしてなきゃいけないのは、そっちだっつーの」
「でも、私はナルシェラの婚約者でしてよ! ランチをご一緒してやるのが、当然ですわ!」
正直に申せば、ステフィアは腹が空いているだけである。それでもって、この2名相手では優越感を補充できないし、お茶が出てくる様子もない。であれば、近くにいれば食事にもありつける上に、言いなりの王子に擦り寄るのがステフィアとしては当然の選択肢であったが。
「あー……要するに、腹が減ってるのか……」
「ヴっ……そ、そうですわ。だ、だって、誰も起こしに来なかったし、おかげで朝食も食べられなかったし……」
殊の外、素直にステフィアが空腹を訴えれば。流石に、放置はできないと思ったのだろう。向かって右手に座っている、赤髪の青年がお向かいの金髪の青年に話しかける。
「どうするよ、メロー。俺……こいつの食事、用意してやりたくないんだけど」
「俺も完全に同意。食事を用意するなんて、マジで面倒クセー……。ま、とりあえずランチには一緒に行ってやるか。出かけるぞ、ガラ」
「あいよ」
彼らのやり取りからするに、赤髪の方がガラ、金髪の方がメローと言うらしい。名乗りもしないため、ただリキュラが派遣してきた監視員だという事しか、分からなかったが。一応、それなりに彼らにも名前はあった模様。
「一応、外では俺達の名前を呼ぶことは許してやるよ。んで、俺はメロー」
「そんで、俺はガラ。言っておくけど、俺達をアゴで使おうなんて、思うなよな。俺達を呼ぶのは、最低限にしておけ」
「わ、分かったわよ……」
これまた、横柄な言い分である。だが、彼らにも「外」ではそれなりに振る舞う気概はあると見えて、廊下に出た瞬間、使用人然とステフィアの背後に控える。そんな彼らの変わり身の早さに……やはり、彼らも人ではなさそうだと、ステフィアは不満と一緒に不安も抱え始めていた。