5−14 天使の腰巾着
「……何? ステフィアのメイドが処理場に運び込まれた、だと?」
サイラック邸の執務室にて。ガラファドは1日の終わりの締めにと、従者から報告を受けていた。しかし、彼の言によると……どうやら、王族さえもを従えていると思っていたステフィアが相当な失態をしでかしたらしい。
「……リキュラ。事と次第の説明を」
「はい。ステフィアの言い分によると、その3名は平民相手に遅れをとったため、不用品と判断したそうです」
当主相手に、娘を堂々と呼び捨てにする従者を嗜めることもなく。ガラファドは借り物の腹心であり、サイラック家の執事・リキュラが語る経緯に耳を傾ける。
「事の発端はステフィアの嫉妬のようですね。ディアメロの手配した茶会に自身のメイドを滑り込ませ、薬物混入を指示したのも、平民に対して嫉妬したが故の行動と見受けられます。そして……おそらく、メイド達が魔法で負けるなんて予想さえしていなかったのでしょう。想定通りに平民を追い出せなかったこともあり、怒りに任せて処理場送りを決断したようです」
ステフィアの癇癪は、父であるガラファドも知るところではあるが。ガラファドは自分とステフィアには、とにかく甘い。軍事費を削ってもナルシェラの公費を削らないのは、娘の自由経費にするためであるし、彼女に付けたメイド達もステフィアに迎合する都合がいい者ばかりを揃えている。だが……流石に独断での「処理場」への人員送致までは許していない。
「……ステフィアに処理場の話をしたのは、早計だったか。八つ当たりで処理場を使うなんて、思いもしなかった」
「そうですか? 私はそれも見越して横暴なステフィアにお話しされたのだとばかり、思っておりましたが」
リキュラのあまりに忌憚なき意見に……ガラファドは怒るでもなく、淡々と感情を鎮める。
ガラファドの前に控える彼は確かに、表向きはサイラック家の執事である。だが……「ご主人様」の特別な命を帯びて派遣されていることも明言されている手前、ガラファドにはリキュラを使役する権利こそあれ、服従させる権限は持たされていない。
そもそも、リキュラは人間ではない。ガラファドの祖父の代からサイラック家に忽然と姿を現したこの執事は、歳をとっている様子が一切ないのだ。そのため、リキュラの中身は悪魔か……それに準ずる魔法生命体である可能性が高い。その事からしても、少し魔法が使える程度の人間が顎で使っていい相手ではないだろう。
「ステフィアにも困ったものだ。ディアメロの方は捨ておけと、あれ程までに申してあったのに」
「そうですね。我らとしても、ディアメロはスペアです。おっしゃる通り、例の傾向をハッキリと示すナルシェラの方に注力するべきでしょう。とは言え……ディアメロの茶会の際に、ステフィアがちょっかいを出した相手が非常に悪かったようです」
「相手が悪かった、だと?」
「えぇ。その平民はミアレットと申しまして。なんでも、魔法学園の優等生らしく、しっかりと護衛が付いておりました」
内容はあくまで、「メイドが平民への嫌がらせに失敗した」だけだったが。渦中の平民・ミアレットに付随する厄介事があまりに大きい事に、ガラファドは薄い眉を釣り上げ、タダでさえ鋭い容貌をますます険しくさせていく。
「……迂闊であったな。まさか、王子共が引き入れようとしているのがミアレットだったとは。もう少し、下調べをしておくべきだったか」
「ガラファド様は、その平民をご存知なのですか?」
「あぁ、知っているとも。……“ミーシャの親”と一緒に、ミランダを鎮静化した魔術師だ」
「ミーシャの親」と言われ、リキュラの顔にも緊張が走る。
(これは……ステフィア程度では、太刀打ちできる相手ではなかったようですね……)
かの「血塗れミーシャ」なる少女は、深魔が吸い上げた怒りの感情を元に出現した、生まれながらに呪われた忌み子である。しかし、ガラファドは彼女こそを「復権の新星」と位置付けており、サイラック邸で手厚く面倒を見ているのだ。そして、現段階で主に彼女の世話をしているのはリキュラであるが。接したのが数日であっても、明らかなる化け物であるとリキュラに理解させる程に、ミーシャは異常な子供だった。そして、その親……つまりは、彼女の出どころともなれば。どんなに危険な相手であるかは、想像に容易い。
「なんと……。それでは優等生どころではなく、一端の魔術師ということでしょうか?」
だが、論ずべきはミーシャのディテールではなく、天使の腰巾着への対応についてである。一瞬思い出したミーシャについては、それ以上の言及はせず……リキュラは冷静に話を戻す。
「だろうな。ミアレットは稀代の特殊祓魔師候補として、魔法学園が最大限に注目している相手であるらしい。魔力を持つべきではない平民というだけでも、忌々しい上に……天使共の息がかかっている魔法学園の優等生だと? そんなのにサイラックが遅れをとったとあらば、これ以上の屈辱はあり得ん……!」
机に拳を下ろしながら、ガラファドがギリリと歯を鳴らす。そんな主人を前に、リキュラはこちらはこちらで面倒な事になったと、内心でため息をついていた。
(ステフィアの失態はどうでもいいとして。天使を敵に回したのは、非常に面倒です。さて、どうしましょうか……)
ガラファドが天使を敵視しているのと同様に、リキュラもまた、天使を危険視している。天使は総じて厄介な相手であり、可能な限り接触自体を避けた方がいい。だが……ステフィアがミアレット、延いてはそれらしき相手に喧嘩を吹っかけてしまったとあらば、そうも言っていられない。
「……こうなれば、仕方ありません。向こうに相当の手札がある以上、こちらもそれ相応の手札を用意する必要がありそうです。癇癪を起こす度に、粗悪な不用品を押し付けられても困りますし……ステフィアにはこちらにて監視を用意します」
「なっ? リキュラ、それは本気か?」
「えぇ、本気ですよ。……お忘れですか? あなた様の地位や権力は、我らの主人からの借り物なのですよ? ……あなたに都合がいいように、王族達の魔力をコントロールできているのは、誰のお陰だとお思いですか?」
「そ、それは……」
リキュラに言い負かされ、ガラファドはまたも奥歯を食いしばる。しかして、目の前の従者は言葉でも、魔法でも……ガラファドが到底敵うべく相手ではないので、仕方なしに押し黙ることしかできない。
「……あなたが天使を嫌いなのは存じていますし、私にとっても非常に憎らしい相手ですが。しかし、考えなしに歯向かっていい相手ではないのです。まだ世界が奴らの手中にある限り、彼女達の怒りを買うことだけは避けなければいけません。……それこそ、平民よろしく魔力を奪われてもいいのですか?」
「それは、困るな……」
「でしょう? いつか彼女達からこの世界を奪い返すまでは……大人しくしておいた方がいいかと。ステフィアの監視はその意味もあるのですよ。……アレは魔力適性はともかく、非常に頭の出来が悪い。勝手な事をされて、尻尾を掴まれるのは面白くありません」
ハッキリと娘の頭の出来が悪いと言われようとも。リキュラの言い分が尤もであるため、ガラファドは反論もせずに目を閉じる。
リキュラの言う通り……霊樹を始め、ゴラニアの全ては天使達の監視下にあるのだ。リンドヘイム再興の悲願を達成するためにも。そして、新しいリンドヘイムの神を降臨させるためにも。まだまだ準備も時間も足りないし、彼女達に反旗を翻したとて……息をする間もなく潰されるのは、火を見るよりも明らか。それこそ、大天使・ルシエルによってアーチェッタが崩された時のように。彼女達にかかればリンドヘイムを壊滅させることなぞ、本当に一瞬の出来事であろう。