5−13 逃げ帰れる場所
カクカクしかじか、コレコレうまうま……と、ファヴィリオ邸に帰るなり、エルシャ達に状況を説明するミアレット。王都旅行がなぜか引っ越しになってしまったこと、諸事情により明日から城で暮らすことになったこと……等を、順を追って説明してみる。
因みに、ルエルはグランティアズ城に残留し、カテドナも「明日、改めてお迎えに上がります」とミアレットをファヴィリオ邸に送り届けた後に、グランティアズに逆戻りしている。……彼女達の方が新天地での生活に乗り気のようで、乗り遅れているのはミアレットだけだったりする。
「すごいじゃない、ミアレット! お城暮らしなんて、素敵ね!」
「えぇ……そうかなぁ? なんだか、大臣が意地悪っぽいし……不安しかないんだけどぉ……」
まるで自分のことのように喜んでくれるエルシャを他所に、マーゴットは大臣について思うところがある様子。優雅にお茶で口を湿らせながら、ちょっとした噂を教えてくれる。
「確かに……サイラック大臣に関しては、いい話は聞きませんね」
「そうなんですか?」
「えぇ。サイラック家は王家公認の貴族ではなく、リンドヘイム聖教絡みの貴族だったと記憶しているわ。元はアーチェッタの教区に地盤を持つ有力貴族の1つで、傘下の貴族も多かったはずですよ。でも……」
マーゴットが困った様子で、眉を顰めつつ続けるところによると。サイラック家はリンドヘイムとの結びつきが未だに強く、「リンドヘイム教徒以外は異端者」という凶暴な教義を信じて疑わない、攻撃的な側面があるそうな。表向きはグランティアズの大臣として軍縮路線を走る穏健派を装っているが……裏では私兵を集め、アーチェッタに軍隊を作っていると、専らの噂なのだとか。
「ファヴィリオはアーチェッタから離れているので、あまり影響は受けていませんが……アーチェッタ周辺都市では、住民に改宗か粛清かを強制的に迫っている……なんて、狼藉があったと聞き及んでいますわ」
「うわぁ……」
アーチェッタ、ガチでヤバい場所だった。
ティデルや王子様達の会話からも、危険区域であることは予想できていたものの。マーゴットの補足からしても、サイラックが信奉しているのはマトモな宗教団体ではなさそうだと、認識を新たにせざるを得ない。
「でも、大臣は軍隊を作ってどうするつもりなんだろう? グランティアズに戦争でも仕掛けるのかな? ……そんな事をしたところで、ちゃんとした信者が増えるとは思えないけど……」
マーゴットが語った噂話に、クラウディオが不思議そうに首を傾げている。実際、彼の言う通りで……信仰を強制的に強いたところで、本当の意味での信者を獲得することはできないだろう。嫌々ながらに信仰されたらば、信仰対象も気の毒である。
「そもそも、今のリンドヘイム聖教が何を信仰しているのか分からないのも、不気味ですわね。かつては天使様を信仰していたそうですが……その存在をいい様に曲解して広めた結果、天使様自ら彼らの信仰を拒絶されたと聞きますし……」
その話なら、ミアレットもよく知っている。有り余る恐怖と一緒に、よくよく言い聞かせられている。「大天使がリンドヘイムを拒絶した」……というのは、ティデルから「ルシエルを怒らせる事だけは、何が何でも避けるのよ」と実例として挙げられた、「逸話」の1つ。神界と魔界ではもはや「伝説の所業」として、ルシエルの恐ろしさを伝播するための語種である。
(確か、ルシエル様が「リンドヘイムは信仰に値しない!」とかって、宣言しちゃったんだっけ……?)
何の恨みがあるのかは、知らないが。大天使・ルシエルはリンドヘイム聖教をとことん嫌っており、彼らの信仰をバッサリと切り捨てるだけでは飽き足らず、聖地・アーチェッタそのものを蹂躙したことがあったそうで。しかも壊すだけ壊しておいて、リンドヘイム聖教は霊樹戦役後の復興支援対象から外すという、徹底した見放しっぷりである。
大悪魔・マモンは大国を一晩で滅ぼし、大天使・ルシエルはリンドヘイムを数時間で滅ぼした。
しかして、規模や影響力は圧倒的にマモンの方が大きいのに、恐怖度はルシエルの方が勝るのだから……いかに彼女が恐ろしい相手であるかは、推して知るべしということなのだろう。
(人間にとって、怒らせると尾を引くのは天使様の方だし……。まぁ、悪魔も怒らせないに越したことはないけど)
それでも、悪魔はまだ話が通じる部分がある。自分達も欲望に忠実でもあるためか、ちょっとやらかした程度であれば、多少のお目溢しはしてくれるそうで。大激怒させない限りは、人生の続きを容認してくれる寛容さもあるらしい。
しかし……天使を少しでも怒らせてしまうと、人間は冗談抜きで「人生お先真っ暗」である。彼女達は深魔の発生以前に世界の「凶事」そのものに神経を尖らせており、不穏な動きを察知したらば、すぐさま行動に移してくるのだ。そして、実行犯と定めた相手には凄惨な拷問の末に粛清という、清らかとは程遠い罰が下される。
今回のローヴェルズ調査だって、グランティアズの王子達の窮状を察知した天使・ネデルの報告が発端である。ミアレットを巻き込んだのは、天使長の判断も大いに含むだろうが、調査の建前としては「魔力格差の是正」が大義名分。しかし、「魔力格差」が生み出されている状況に不審な点……人為的な原因が考えられるからこそ、彼女達はやや強引ながらも調査に踏み切ったのだ。
(つまり……元凶認定されたら、大臣はお先真っ暗ってことかしら……?)
実際に彼がどんな事をしているのかは不明である以上、王子様達の魔力格差の元凶と判断するには、まだ早い気がするが。マーゴットの話からしても、相当に物騒な動きをしているようだし……元凶認定の可能性は大いにあり得る。
「とりあえず、明日からはミアレットさんはグランティアズ城へお引越しなのね。心配することも多いでしょうけれど、いつでも歓迎するわ。何かあったら、遠慮せず帰っていらっしゃい」
「マーゴットさん……!」
「うん、僕もそれがいいと思う。……大臣、何だか嫌な感じみたいだし。辛かったら、こっちに戻っておいでよ。野菜を用意して、待ってるよ」
「クラウディオ君も……! グスッ……! 何かあったら、よろしくお願いしますぅ……!」
大臣の所業も気になるところではあるが……何よりも、王子様絡みの面倒事(主に天使様達のネタ方面)に不安いっぱいのミアレットに、優しい励ましをくれるマーゴットとクラウディオ。そんな彼らの配慮に、ついつい目頭を抑えてしまうミアレットだったが……。
「もう……ミアレット、忘れてない? 何かあったら、ラゴラスに帰ってくるのもアリなんだから。本校では一緒なんだし、辛かったら私とカーヴェラに帰っちゃえばいいのよ。お母様もきっと喜ぶわ」
「うん……! そうよね。エルシャもいてくれるもんね……!」
ミアレットは親友の頼もしいお言葉に、いよいよ感極まって涙をこぼしてしまう。今の今まで、心細かったのも気付けぬ程に、あれよあれよと流されてしまったが。ミアレットの心は準備が追いついていなかったのだ。
(でも……決心したからには、できるだけ頑張らないと……)
しかしながら、新生活に向けての心の準備はできていないとは言え、王子様達を守る決心はできている。大臣のやり口が気に入らないのはミアレットとて同じであるし、彼らの動きが不穏なのは変わらない。
それに、エルシャ達が言う通り……逃げ帰れる場所は、いくらでもあるのだ。心強い拠り所を再認識して、ミアレットは涙を拭う。こんな事でメソメソしていたら、とてもではないが……グランティアズ城での波乱の日常を乗り越えることはできないに違いない。